7.20.2017

バリ島に滞在している

唐突だが、現在バリにいる。

予定していたチケットが取れていなかった→再検索したら、ずっと安い便を見つけた……というわけで、「明日の飛行機に乗る」という暴挙に出た。

出発一時間前に空港に到着するという一悶着がありながらも、無事バリへ到着した。いやほんと、成田の職員に「もう厳しいと思いますよ」と言われたときは焦った(全然余裕だったけど)。

ちなみに……料金は成田―バリ 15000円。これがどれくらい安いかというと、東京―大阪の新幹線料金と同じ。

「そうだ、バリへ行こう」で翌日にはバリに居る、というのは隔世の感。

バリのデンパサール空港。人が非常に多い。

バリへ着いて思ったこと。「涼しい!」日本の夏より快適である。もちろん気温は28℃程度はありそうなのだが、乾季ということもあり嫌な湿気がなく落ちついて過ごせている。

今はクタという空港近くの都市部のホテルに泊まっているのだが、日本人好きが多い。

タクシーでホテルまで行こうと思ったが、2000円とかふっかけられる。まあこの辺はどこの国でもよくあること。

歩くのが好きなので空港からホテルの距離(4km)を歩くことにした。成田空港なんかと違って、空港の規模が小さく、また都市部もたいして発展していないので、歩いていける距離にホテルがある。

だらだら歩いていると、道半ばで煙草を吸ったモンスターエナジーなちゃらそうな兄ちゃんに声をかけられる。

「日本人ですか?」「ぼくも日本人」「日本人の友達たくさんいるよー」「ぼくの名前はまっちゃん」

これがインドやタイだったら「ああはいはい」、となる。

海外旅行で「日本語で声をかけてくる奴」はほぼ100%詐欺師だからだ。私も何人もそういう詐欺師に声をかけられていたので、身構えていた。

しかし、話してみると詐欺師っぽくない。なんだろう、しつこくない感じ。

そんなわけで、「ホテルまでバイクで送ってやるよ」「俺は日本の友達にはいつもそうしてやるんだ」というので乗せてもらった。

タイで声をかけられて、同じように乗せてもらったことがあるが、降りるときに金を要求されるのが常だった。(今回も土産物屋に連れてかれたりするのかな~最悪路地裏でリンチかな~)と思ったが、すんなりホテルに到着。

ふつうにいい人だった。

疑ってごめん、まっちゃん。裏ピースがチャラい。

で、ホテルでシャワーなど浴びる。ここもパタヤと同じで、ファランが多い。パタヤと違うのは、アジア人が少ないということ。ちょっと疎外感。

あと、パタヤと比べるとだいぶ閑散としているなあ……と。リラックスできるからよいのだが、少し寂しい。たぶん、呼び込みが少ないからだろう。パタヤではマッサージ屋やバーから、「お兄さん~!」と黄色い声が飛んでくるので、なんとなくモテる気持ちになれる(気持ちだけ)。

晩ご飯はベジタブルナシゴレン。20Kルピア=160円くらい。

やはりナシゴレンはうまい。

帰り道、宴会中らしきツアー店のおっさんに「こんばんは」と声をかけられ、ワインを飲んでいけ、と言われる。やはり日本語が達者。

一杯だけもらうことにした。たぶん国産ワインなのだろう、濃厚な、妙な味がする。他の店員(日本語が通じない)もいて、あまり長居しても悪いだろうと思い、おっさんと仲良くなってお別れ。

インドネシア、タイよりずっと治安が悪いと思っていたがそうでもない気がする。親日家が多いのではないか?あれだけ日本語が上手なのは、よっぽど日本が好きではないと無理。

というか、邪推するとバリ島は日本人女性が買春することで有名で、そういう目当ての男が多いのかもしれない。海外でセックスおばけに豹変する日本女性は本当に多くって(買春する男も同じくらい多いが)、よほど日本人は性的に抑圧されているんだろうと思う。


ホテルは一泊100K=800円くらいのプール付きシングルルームを借りたのだが、ひどいところだった。まず、バスルームが臭い。そして、ダニと蚊が多い。エアコンがないので窓を開けなければならないが、網戸がないので蚊が入り放題。

プール付きなのはよいが、涼しいので入る気にならない^^;

それでも我慢して寝ていると、深夜一時くらい、女の泣く声が聞こえてくる。それも尋常ではない叫び声。現地人かと思ったが、ホテルのフロントでどうやら英語で絶叫しているようだった。現地人と口論している感じ。そんな状態が30分続いていた。

なんだ、この地獄のようなホテルは……バリってやっぱり治安が悪いのかなあ……。とぼんやり考えながら寝た。しかしあれほどの女の絶叫は初めて聞いた。何をされたのか……。

ちなみにインドネシアでがっかりしたのは、ビールが高いことだった……(一本2~300円)。イスラム系の国だから仕方がないのだろう。

朝目覚めると最高に気分がよろしい。というのも、空気が澄んでいて、さわやかだからである。とりあえずこの気候のためだけでも、バリにきてよかったと思う。

いろいろあったが、今日もだらだらしよう。

7.18.2017

やるせない家庭に生まれた

他者に対する恐怖が私を支配しているらしい。それが神経症としてあらわれているような気がしている。他人が怖い。恐ろしい。危害を加えてくるのではないか、という恐怖。

なぜここまで他者を怖れるのか。たぶんその前提には、歪な家庭環境があったのだろう。私はおそらく、「生きている価値はない」というようなことを言われ続けた。

私の兄弟仲は悪く、ほとんど口をきかない。特に次男とは話さない。次男とは、5,6歳頃までは非常に仲がよかったと思う。私はお兄ちゃん子であり、どこへ行くにもついてまわった。彼は私よりふたつ上で、ハンサムだったし、スポーツができ、ゲームもできたし、絵がうまかった。

しかし、母は私の方を愛した。まあ次男より末っ子の方がかわいいのは当然、できが悪ければなおさらなのかもしれない。しかし、母の私への愛はかなり偏執的なものだった。私の両親は私が15歳のときに離婚したのだが、思えばその頃から母は家庭に居場所がなかったように子供心に感じた。「おまえがすべてだ」「おまえが世界でいちばんかわいい」というようなことを言われたと思う。

そういう母の態度の関係もあったのだろうが、次男は次第に私をいじめるようになった。私をバカと罵ったり、無能とか、生きている価値がないとか、そういう言葉で罵った。両親の見ていないところで執拗に殴られたこともあった。実際、私は兄を自分よりあらゆる面で有能だと感じていたから、それらの言葉を受け容れた。

ほんとうに、こんな感じだった……
もっとも、日本は母権社会なので、聖書と事情は異なるが……

いまでも思い出す光景がある。小学6年生くらいの私は次男と、同じ部屋で寝ている。台所から、父が母を罵倒する声が聞こえてくる。母の声は聞こえない。黙って泣いているのだろう。私はその声を聞きながら、薄暗がりで見えない兄に「ねえ、離婚するのかなあ」と言った。兄は、「そんなわけないだろ」とだけ答えた。今考えると、次男も不安でたまらなかったのだと思う。

次男はフリーターになって、今は結婚している。嫁は年上で、少し性格が母に似ているようだった。

冠婚葬祭の際に兄弟が集まることがあるが、一言も交わさない。あるとき、次男が「俺には兄弟はいない」と言っているのを聞いたことがある。またあるときには、兄弟が三人実家に集まったときだったが、叔母が泣きながら私の部屋にやってきて、「お前たち仲直りしなさい」と説き伏せたことがあった。あのときも私は困惑したふりをしてみせるだけで、結局仲直りはしなかった。

別に、仲直りが嫌なのではない。正常な家族関係というものが、もはやわからないのである。言葉ではわかる。行為としてはわかる。しかし、感情としてどのような繋がりが本来的なのか、ということが、もはやわからない。

そういえば、この次男という存在があったのだ……ということを今日思い出したので書いくことにした。

これを読んだ人は、私の家庭は陰鬱でまったくやるせないものだ、と思うかもしれない。実際、そのとおりである。陰鬱でたまらなかった。



なぜ私は哲学するのだろうか。私は実際の世界から置き去りにされている。マルクスがこういった、ニーチェがこういった。そういう言葉を集めてどうするのだろう。もしもニーチェやマルクスが、なんていうことのない俗人だったらどうするのだろう。ニーチェ研究の清水真木とか、ラカン研究の松本卓也が私は好きだけれど、彼らも単なる教養俗物だったらどうしよう。彼らはその研究でおまんまが食べられて、偉い学者と褒められるからいいのだけど。私はそれらを楽しく読んで、気づいたら何も経験のない衒学的なおじいさんになっているのではないか。なにせ、読むという行為には時間がかかるのだ。カントも、ヘーゲルもまだ読んでないよ。なんで私が、哲学のお話の世界に首を突っ込んでいるのだろう。彼らはそれが「仕事」なのだ。私はなんのために?かっこいいからだろうか。知的に見えるからだろうか。ほんとうにそれらの源泉から、何かを汲み取っているのだろうか。

実際の世界に、沈潜したいと思いつつも、私にはそれはあまりに刺激が強すぎる。ゆえに、すべてが通り過ぎてゆく。ホンモノの恋愛、ホンモノの仕事、ホンモノの情熱、そういったものは、私のような存在には権利がないように思われる。

結局、生きるとは不幸に他ならないのだろうか。

グレートマザーを殺せ

人は意識のうえでは愛されないことを恐れているが、ほんとうは、無意識のなかで、愛することを恐れているのである。
愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛あらばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない。(E.フロム「愛するということ」)

昨日はSと連絡をとった。ある程度近況報告をして、その後絶縁することに決めた。

仲良く連絡をしていたのだが、最終的に私はもう連絡を取らないことにして、その旨を伝えた。もう二度とSと関係を持つことはないと思う。

またいつもの病的反応、回避性パーソナリティなのかもしれないし、これが適切な対処なのかもしれなかった。

ただ私はSに対して初めて、少しきつい態度をとった。それは自分にもはや興味を持たない女性に対する憤怒のようなものだった。

ようは情けないことだが、Sにとって私は特別な存在でもないなんでもないということをやりとりを通じて感じたがために、Sに離別を突きつけたということになる。

彼女には彼女の人生があり、私ばかりにかまけるわけにはいかないだろう。それは理解している。ただ、それなら連絡にいちいち応じる必要はないのだ。曖昧な態度を取られるのが嫌だった……ので、責め立てるようなことを書いてしまった。

神経症の人間は、女性に対する異常な関係性を持つことが多い。セックスに対する異常性や障害をほとんどの神経症が持っている。

自分が子供じみた戯れを克服し、成熟した恋愛のようなものを達成できるかはわからないが、ひとまず今回のSとのやりとりは、それへの布石だと私は思っている。

つまり、勝手に連絡してきて勝手に文句を言う私は「身勝手」なのだろうが、「身勝手なことを言える」ということが重要なのである。

考えてみると私は生まれて此の方、女性に対して自分の意志を表明するということがなかった。それは女性に対して依存的傾向を生み出した。

私が女性に求めていたのは、抽象的な表現をすると、万能の母親にすべてを包み込まれること、自分の意志、個体の概念を消滅させてもらうことだった。それは胎内回帰の願望に近い。おそらく私の母親との歪んだ関係が原因だったのだろう。

私にとって「愛する」とはそういった胎児的な……自殺的な態度だったのである。そんなわけで、私は数々の恋愛に失敗していった。はなから女性を愛せていないのだ。

私は女性にひざまずき、恭順した。しかし、相手を「罵る」というような行為は、相手を自立した個人として認めるということである。

そのような次第で、Sにもう連絡しない、連絡をするな、というようなことを伝えたときに、一種の達成感を覚えた。壁を乗り越えたような。

Sは私にとって、もっともグレートマザーに近い女性だった(子どもを慈しみ育む一方で、束縛し飲みこむ「偉大な母」)。しかしこのグレートマザーは、儀礼的に殺されなければならない。そうしなければ子どもは自立できない。

グレートマザーは死んだ。理不尽な暴力と拒絶によって死んだ。もはや私の前には現れない。おっさんは、やっと乳離れできるんだろうか。