1.30.2016

静かな生活

日常のささいなことが喜びとなり循環する日々に幸福を見出すようになっている。

明日は今日の繰り返しである、毎日似たような業務をこなし、取り立てて何か障害があるわけでもない。重圧から解放された。すると、つぎには心身が蒸散してしまうような心もとなさを覚えた。

人間が次から次へ自分にタスクを課すのは自己というものを確立したいからだろう。同僚を蹴落とし勝ち上がっていく人生、相手を憎み憎まれる人生というのも、それは退屈ではない点で有益と思える。

適度に飼いならされて、日常の小さな喜びと小さな苦痛から最大限の刺激を搾り取ろうとするのが田舎の生活である。たとえば私は今ストーブでジャガイモに火を入れているが、そういうことがたまらなく好ましく思える。

田舎に住んでいればついには駄目になってしまうだろう、という人がいる。かといって、いまさら都会に戻る気もおきない。都会、というか東京にメリットがあるとすれば、学生時代の友人たちと気軽に酒が飲めることだろう。もう、彼らとはほとんど交流がない。また、さまざまな新しいこと、革新的なことを試みている若者がいることだろう。田舎にはそういう種類の人間は皆無である。

学生時代の思い出は、何もなく、私の脳のなかにしかないから、すべてが幻想のようにも思える。人と人との繋がりが人生に意味を与える、と人が言う。私がよくかかわったのは、書物の人物とだが、最近はその繋がりも不信の目で見るようになった。

自然と社会という対立がある。田舎の人々は地母神を信仰し、社会の人々は父なる男神を信仰すると。田舎のひとびとは母親を信仰し、会社人間は上司や社長を信仰する。まあどうでもいい考察だ。

田舎で生活しようと思えば、いくらでも生活できるという気がする。私はいつか死ぬが、田舎の生活は、死を受容させるような何かがある。田舎は、死と生のサイクルがある。田畑、山々の木々、河の流れ、すべて途絶えることなく循環している。田舎で死ぬことは、それは同時に生きることを意味する。

では都会といえば、死ねばそこまでである。だから、都会人は死を恐れる。死を恐れるエネルギーが、知性と情熱を産む。キリスト教も、輪廻転生を説かない。歴史のあるスパンのなかを生存した、というのみである。この直線的な歴史感覚が、都会=男神系の根底思想である。

だからハイデガー流の実存主義は、田舎のひとびとにはピンと来ないだろうと思う。

西洋思想の潮流は、いずれ相対化されるだろうと思う。いままでの西洋思想の悪癖が、客観視される時代がくるのではないかな。

ともあれ、私の生活は、刺激のない、退屈なものになっている。私はこの退屈な生活も、ひとつの生として楽しむことにした。何にも影響を与えず、何者でもないような日々だが、自己を薄めて、世界に蒸散させるような感覚は、これはこれで心地よい。

今日は雨がやんだら、バイクを走らせようと思う。

1.28.2016

夢らしいこと

一般的に世界一周旅行には200~300万円かかると言われている。

ただ、これは今のように円安の時代ではないから、現実的には400~500万円は欲しいところだと思う。私には時間的制約はないけども、金が尽きて帰国せざるを得ない状況というのは、どうしても避けたい。

また、移動は可能な限りバイクでする予定なので、陸続きであればバイクで国境を越えたいと思っている。バイク旅行は、バックパッカーよりも金が浮くかもしれない?地続きであれば飛行機を使わなくて済むし、タクシーや電車など、現地のインフラを使わなくて済む。もっとも、海外は日本のように交通インフラが高いわけではないから、1000kmの道のりが数千円の切符で行けるということもあるから微妙だ。

中国~ヨーロッパ~アフリカを1台のバイクで横断し、アメリカ~カナダ~南米を1台のバイクで横断する予定。ヨーロッパ~アメリカ間でバイクを空輸するかは微妙だ。ヨーロッパで売り払って、アメリカで買った方がいいかもしれない。

バイクの排気量も悩ましいところ。欲を言えば大陸横断の定番であるBMWの1200GSを使いたいが、なにせ重すぎるし、盗難やいたずらが怖い。そもそも200万円くらいするので予算を大幅にオーバーするという実情もある。

中国ならバイクも安いだろうから、そこで20~40万円で買える日本車の400cc程度のオフロードバイクを買うことになるだろうと思う。難点はタンク容量が少なく航続距離が短いこと。あとはパワー不足で最高速が伸びないことだろう。

あるいは日本でバイクを買って、十分に整備し、ロシアまでフェリーで運んでしまうという手もある。そうなると季節は限定されるか。バイクで雪道は辛い。

あと1年くらいは準備期間として取っておく。そのうちにしておくべきことは、働いて金を貯めること、英語の学習、バイクのライディング(主にオフロード)・整備の練習、旅行用の情報収集といったところだろう。旅行といっても、人間が国家間を移動するだけなので、たいした情報は不要だとは思うが、二輪車の手続きはどうもわからない。まあ、この辺は本を数冊読めば十分かな。

私は決して旅慣れているわけではない。海外旅行の経験は、高校時代にオーストラリアへ団体旅行で行き、あとは東南アジアと、インドをひとりで旅しただけ。そのときの思い出は、とにかく歩くのがつらかったということだ。また、電車や飛行機の手続きがめんどくさい。タクシーに乗る際のくだらない交渉も時間の無駄だ。

だから、バイクで行くとなれば、だいいち身軽だし、ちょこちょこ移動するには最適だと考える。また、現地でいろんな旅行者をタンデムで乗せて、長距離バイタク(バイクタクシー)でガス代を浮かせるのも楽しそうである。

滞在期間は、2年ほどを予定している。今年になるか、来年になるかはわからないが、近々実行する。今から楽しみである。最近の日常はどうも味気なくて退廃的だが、こういう夢・希望が持てるということは、良いことだと思う。



アラスカ~アルゼンチン



中国~インド~イラン~トルコ~EU

1.27.2016

小説家を考える

芸術だの科学だのそういうものに心酔していたときはいつかは自分は芸術家だの思想家になるだろうことを夢に描いていた。しかし昨日の冴えない日記を読み返してみるにそのような可能性はないだろうことに確信を得た(最近はひどい散文しか書けていない)。

私は一個の凡庸な人間に終わるだろうと思う。それはまあまあ幸福な道に違いない。私は長く不幸に生きていたから芸術のような救済の道が必要だった。私の不幸を何かに転化しなければなかった。しかし私はある程度の幸福を得た。私は自分がいまさら何か小説家になれるとか思っていない。何だか小説というものに、可能性を感じない。また、書物全般に、あまり良いイメージを持たなくなった。

かつてはそこにすべてがあると思った。世界中の人々を熱中させる、天才の沸騰した頭脳で記述された書物。なにか真実があると思った。しかしそこには何ら確定的な事物はなく、世界を単純化して見せるだけのものだった。

考えてみれば、言語、ロゴス、それ自体が世界を単純化するためのものである。非言語的領界はふつう隠されている。我々はそうしなければこの世界で生き残れないだろう。リンゴをリンゴと認識できなければそれを口に運ぶこともできない。

そういうわけで私が読書体験によって得たのは、ロゴスによって描かれた、「ロゴスの性質」でしかなかった。それは味気ない道具であった。我々は道具をひたすら凝視し、分析することに夢中になった。そしてその道具の目的からはどんどんと離れて行ってしまったというわけだ。

非言語的領界を記述しようという試みはある。それが思想にまで高まることがある。それが、実存主義である。けれども、言語的に描かれたそういった試みは、非言語的領域への橋渡しにはなるけども、それ自体は本質的な営みではないように思える。

そういうわけで、言語というものにあまり関心がなくなってきた。それでもこうして、何かを書くことが好きなのは不思議である。

これまで、小説あるいは小説家というものに、なぜか関心が持てなかった。筒井康隆は好きだったけど、古典的な小説や、文学的な作品は、あまりピンとこなかった。文筆家になろうと思うなら、ふつうの人間であれば小説家になろうとする。しかし、なぜ小説なのだろうか。

小説を書くモチベーションは、孤独であり、不幸である。幸福な人間は、何も訴えるべき悲惨がない。ゆえに、なにかを記述しようとは思わないはずだ。だから、幸福な小説家などはふつう存在しない。

それでは、ひとはなぜ孤独になるのだろうか。元来、我々は孤独ではありえなかった。人類はもともと集団主義的であった。未開の民族などには、「個人」は存在しない。戦前の日本でもそうだっただろうし、阿部謹也が言っていたと思うが、ヨーロッパでも庶民は近代まではそうだった。

やはり小説というのは、西洋イデオロギーの産物であるという気がする。これは芥川だの、漱石だの、そういう大作家についても同様である。

それでは西洋のイデオロギーはいつ成立したのだろうか?ふつうは、プラトンやソクラテスに遡るだろう。キリスト教の源流はプラトニズムである。

それで、私が以前適当に予測したのだけど、プラトンはピュタゴラスの系譜であり、ピュタゴラスはゾロアスターの……という風に、さかのぼるとゾロアスターに行き着く。拝火教の教祖である。この辺はとても興味深いのだけど、掘り下げてもしかたないという気がする。

ここで言いたいことは、小説家というのはたいていプラトニズムの病に侵されているのであり、その点が私にはすこし気に入らないということである。近代の小説家たちは、プラトニズムの布教者であるとさえいえる。

そういうわけで非言語的領界をすこし探求してみたく思っている。

1.26.2016

契約と血縁

私の精神は、長く「中二病」的だったけども、今度は「社二病」と言えるかもしれない。つまり、社会人二年目にありがちな精神的偏向。

日本企業に入れば、否応なく日本文化に従属することを強いられる。この点は、外資系では違うのかもしれないが、例えば日々の勤労において「奉仕の精神」だったり、「年功序列」システム、難解な「礼儀作法」のような、日本ビジネスに深く根付いた日本文化に囲まれるうち、徐々に根本的な思想にまで日本の文化が入ってくる。

というのも、我々は学生時代のように、授業から抜け出すということはできない。なぜというに、我々の生活は経営者が握っているからである。

この互酬の関係が、日本的である。経営者は我々に食べさせてもらっているし、我々は経営者に生活を握られている。この点が、血縁的なのが日本企業の特徴である。同期は「同じ釜の飯を食う仲間」、すなわち家族である。

これが西洋ではどうかというと、これは「契約」関係となる。ここでは契約の条文が重要になる。だから、「8時間働きます」と念書を書いて、実際には12時間働かされた、給料は8時間分しか出ない、というようなことは西洋ではよほどのことがない限り起こらない。

日本では契約ではなく、血縁的な「情」が重要になるから、「この不景気のなか働かせてもらっているだけでもありがたいのだぞ」と言われれば、そういうものかと思ってしまう。

日本に西洋的なイデオロギーがもしも浸透していれば、ブラック企業は簡単に撲滅されるだろう。ししかし、それは契約の文化であり、血縁の文化とは違う。イスラム教やキリスト教のような「砂漠の文化」であり、このような文化を国内に取りこむことは、イデオロギー的にはグローバリズムに飲みこまれることを意味する。

以前香港で、民主主義を勝ち取ろうという民衆の運動があった。そのなかの若者が、こう言っていた。「日本人は、民主主義だから投票の権利が与えられている。そのことを当たり前のことだと思わないでください」。それで、バカな日本人は、「感動した。ちゃんと選挙に行こうと思った」などと言っていた。

民主主義という概念も、根底には契約の概念がある(社会契約説)。が、血縁的関係には契約など必要ない。契約とは、もともと切り離された個人同士で交わされるものであるが、血縁で濃密な関係が築かれている日本ではこの必要はない。たとえば、日本人は何も言われなくとも「整列したがる」が、これは別に法律に規制されてのことではない。法的な権利意識というよりも、「恥」の意識と言うべきか。

日本では、法律や契約を破ることをなんとも思っていない。それよりも、「血縁」や「恥」の方が重要である。「私は無罪だが、世間をお騒がせして申し訳ない」、「彼の方が優秀なのはわかっているが、この職には私の愛弟子を」。法・契約のようなものを軽視する習性は、支配階級でも末端の庶民でも同じである。

この国家は、イリーガルなマフィア集団と説明してみるのもおもしろい。外国人にとって、日本の習性はほとんど理解不能といったところだろうが、マフィアのようなものだと言えば、わかりやすいだろうと思う。国家マフィア、警察マフィア、会社マフィア。法令違反も上等だ。談合、賄賂、何でもござれ。公共の精神などは存在しない。

日本の国家構造は理念上、厳密な上下関係において築き上げられる三角形構造である。集団の中での自己の役割が重要になる。西洋では、これは解体され、個人が地平に点々と存在する平面構造になる。個人が主体となる。

単純に「個人主義」「集団主義」と分けてみたところで、国家構造を理解していないと概念として理解しづらいだろう。我々の思想とは、あんがい国家の統治(権力による支配)によって形成されているものである。フーコーの構造主義はこの点を指摘している。

まあ、西洋イデオロギーと日本のイデオロギーのどちらが良いかはわからない。別に上で語ったようなマフィア制度は、日本だけのものではない。中国や韓国でも同様だろう(あるいは他のアジア、ロシアのような国)。だから日中韓のような東アジアが協力しあえば、西洋イデオロギーに対抗できるだけの勢力を生み出すことができるかもしれない。

アメリカのような西洋国が恐れているのはこの潜勢力であることは、なんとなくわかることである。日本では反中、反韓のような稚拙な思想がブームとなっているけど、その根底にはアメリカの謀略があると私は考える。人間の思想とは、容易に権力によってすげ替えられてしまうものであり、その意味ではまったく不自由なものだと言えるだろう。

1.24.2016

ポス・サイ

今日の晩御飯はキャベツとソーセージを炒めたものにする予定である。これを、炊き立てのご飯に乗せて食べる。ストーブを買ったので、その上で焼き芋を作ることもする。

生活はうまく行っているが、不安を覚える。私は確かに幸福だし、まあまあ良い生活をしていると言えるだろう。しかし、生活が良くなっていくにつれ、私の知性も曇っていくように感じる。

もともと知性とは何か、と考えてみると、私はもう何度指摘したかわからないが、それは苦痛により生じたものである。我々がもしも厳しい環境にさらされなければ、知性は発達しないはずだ。

知とは、必要のために生まれる。何かが欲しい。何かを解決したい。そのための道具が、知性である。だから、我々がもはや苦痛から解放され、何も望む必要もなくなれば、知性は用済みとなる。

岸田というフロイト好きのどこかの大学のセンセーは、「白人は迫害されていた」という説を立てていた。これによると、白人はもともと黒人から生まれたアルビノであるという。

現代では白人が黒人を奴隷化した歴史が教えられているけども、実は古代には黒人が白人を迫害していた歴史があったのであり、白人にはその時代から怨恨がDNAに刻み込まれ、立場が逆転した近代において、黒人に復讐を果たしたのである。白人が他民族を支配したがるのは、かつて支配されていたからだ。作用、反作用――というような。

なんとなく、理解できる話ではある。白人の宗教であるキリスト教は、「愛」を説いたが、その「愛」が極めて重要な役割を持った理由は、彼らがあまりに「憎しみ」に満ちていたからだ。

愛のあるところで愛を説いてもしょうがないし、憎しみのないところでも然りである。

日本の中世において、来日した宣教師が愛を説いたところ、「それは性交のことか」と笑われたという。このあたりは単純に宗教観というよりも、白人とアジア人の違いと言えるだろう。

白人は迫害の歴史のなかで、知性を肥大化させた。それは生き抜くための術であった。対して、豊かな自然環境でぬくぬくと育ってきた日本人は、某氏の言葉を借りれば反知性主義であると言えるだろう。経営者に搾取されようと、文句ひとつ言わず、他民族の攻撃に対して、笑顔を浮かべる。

次世代のパラダイムシフトとは、ポスト・サイエンスである。科学の終焉である。それは、不必要になった道具を捨て去ることである。ヒッピーのように反作用的にテクノロジーを否定するのではない。論理思考、矛盾律を廃する。

思考様式とは、時代によって著しく変わっているものだと思う。かつての常識は未来の非常識になる。そのような時代が、いつくるかはわからないが、アリストテレスやプラトンの思考様式から、そろそろ解放されてもいいと思うし、そのときに科学は終わるのだと思う。

1.23.2016

幸福

君はまったく
堕落してしまったように見えるね

かつての眼の光は消えて 
足しきったように濁っている

佐川やヤマト
明日には何かが届く
今日は刺身や牛肉 なんかを食べる

そんなことだけを楽しみに
生活しているとやがては

俗悪な中年に
成り下がるのみ

かつて君が呪った
あの凡庸な 何も見えていない連中に
君は成り下がってしまう

出る杭はとろけて 霧散してしまう
大気の引力に 君は負ける

なにか固有だった
君のたましいは 何にもならなくなった

あとには ひとつの巨大な世界
世界に君は 溶け去って

君が在った証はなにもない

君は そこまでの男だったかもしれない
君は それで幸せだったかもしれない

もはや 思考など無意味だと
君は思っているだろう

情熱や 夢想は
幸福な人間には 不要だと
正しい人間には 不要だと
思っている

ロゴスは 狂気の産物

動物にはロゴスがないから
恍惚に満ちていると
君は思っている

明日は何かが届き
明日は何かを食べる

そういう生活の中で
君は霧散する

あとには何も 残らない

それで満足できるなら
それは幸福なことだろう

1.22.2016

かいわれ大根

よくわからない日々を送っている。

生活はだんだんと豊かになっている。私の貯蓄額は増え続ける。バイクも2台に増えた。対流式の石油ストーブを買った。一日の労働時間は、だいたい8時間で済むようになった。美容室のおじさんから、生楽器を貰えることになった。

なにか生活が上昇しようというときには、ひとは足元を見ることはない。目のよい人間は、わずかな生活の向上に天上の幸福を見出す。逆に生活の喪失にあたっては、地獄を見なければならない。それが、目のよい人間の宿命である。凡庸な人間は、天国も地獄もないが、目のよい人間はささいなことで狂喜し、ささいなことで死のうとする。

私の生活から、なにか達成すべき課題はなくなった。私はこれまで、よくがんばった。この生活を得るためにだ。私にはもう物語がない。生活は十全している。ヒーローとお姫様は結びついた。あとの数十年は、「幸せな生活」の一語で締めくくられる。歴史は終わった。

因果律は消える。私には過去ももうない。私は自分に関することのすべてに、執着することはなくなった。両親に対する反抗のようなものも、なくなった。それは執着だった。私は見知らぬ老人に接するように、両親に接する。

私の前を、どんな人間が通り過ぎようが、それはどうでもよいことだ。私は、人ごみのなかであって、孤独であることができる。私はだれかと話しながら、孤独であることができる。それと同じように、私は事件のさなかにあっても、平静を保つことができるだろう。



今日は朝から疲れているので、適当なことを書いている。読書をしたいけどあまり時間がない。少しずつ本を読んでいる。やっぱり学生時代の、朝から晩まで読書ができた環境は、すばらしかったと思う。でも、最近は読むべき本、私に興奮を与えるような本も、限られてきた。半分くらいは読んでみても、飽きてしまうことが多い。

さいきんはTimesがやっと届いたので、読んでいる。なぜか、英語を勉強していた学生時代よりも読みやすいと感じる。受験英語は、英語力を日本人につけさせないよう作られていると聞いたことがある。西洋グローバリズムへの対抗策だという。陰謀論めいているが、たしかにあんな教育を受けていれば英語はできなくなってしまうだろう。難しい構文や文法を覚える必要はないから、単語と、スピーキングにもっと力を入れるべきだと思われる。

Timesでは、ほとんと米中の記事がメインで、日本の話題はほぼない。ようやく見つけたのは、「こんまりの片づけ術」の記事。それ以外は一切ない。いまの世界の注目は、大統領選と中国経済ということか。当然スマップやベッキーではない。

英語記事を読んでいると、脳が活発化するのがわかるから好きだ。当然だが、外国語は頭を使う。

適当にブログを読んでいたら、ヒュームの懐疑論を否定するコメントを見つけた。科学においては懐疑論は正当性を持つが、実生活においてはそれは成り立たない。AがBに押されて転ぶとする。「Bが押した」ことは懐疑論によっても否定できない。という理屈だ。

一見して、これは簡単に反論できるような気がしたけど、混乱してきた。まあそういうことを考えながら今日も仕事をしよう。


1.20.2016

自殺の公理

生きていくことが我慢ならなくなれば、その命を絶てばよい。

が、私は何ら躊躇なく、生きることを選択する。

選択する?結局、私は生きる以外の道がないのだ。それなのに、いつ私に選択する権利が与えられただろう。

現状、私はそこそこ幸福だ。死ぬ理由もない。幸福でなかった時代でも、死のうという気はなかった。「適切な時期に死ぬ権利」も、万人に与えられたものではない。

考えてみると、私は幸福になる現在を見越して、不幸に耐え忍んでいたということができるかもしれない。それだけ、ぬるま湯につかったような現在だ。

知性が限界まで発達したひとは、たいていこう言うものだ。「人生は苦悩と不幸に満ちている」。だが、こうも言えるのではないか。「苦悩と不幸を生きた人は、知に生きるしかないのだ」と。

生まれつきsensitiveな人間は、傷つきよろめきながら生きることが宿命づけられる。しかし彼には光もある。凡人の見過ごしてしまう些細なことに興奮し、そこに一切の幸福を見つける。それは昆虫採集だったり、石ころであったり、ビロードの布であったりする。それがたまたま古典哲学だったところで、変わらないことだ。

知性は、なにか迷宮のようなものを求める。できるだけ緻密で、雑多な情報で溢れている方がいい。それがなければ、生はあまりに空漠で、その隙間に、落ちて消えていってしまうような恐怖に囚われるからだ。

幸福な人間には、信頼できる友人と美しい愛妻が用意されている。私には、グロテスクな現実と、哲学とが用意されている。だが、どちらも光に満ちているということだろう。

平等の概念。私はこれを懐疑の目で見るが、一面では真理を示している。それは、だれにでも幸福は用意されているということだ。

今日はもう寝よう。

精神の因果律

フロイトに強く影響を受けた人物の著書を読んでみると、どうやら人の現在の成り立ちには、幼少期の体験が強く影響しているということである。

なるほどこれは当然で、例えば我々はもう、現実に対してある程度の準備が完成しているけども、我々が無垢の赤子だったときには、世界はまったく得体の知れない怪物として我々を驚かせていたことは想像に難くないからである。

我々が赤子のときに、正しい段階を踏まずに世界に対する了解を得てしまったとすると、
それがあとあと、神経症のような倒錯的な精神病に導かれると考えることは自然である。

父親があって、母親があって、我々はある。これは事実である。遺伝の要素もあるし、我々が生まれたとき、またその世界として直面する畏怖の対象は、まずもって父母である。我々の直面する世界とは、まず父母なのである。



ただ世間のひとびとが考えるほど、私は父母の影響はないと思っている。また、過去から現在が成り立っているという一般的な因果律も、そもそも私にはあまり重要でないと考える。これについては長くなるから、今回は触れない。

我々が赤ん坊であるときにも、我々はまっさらな白紙であるということはない。遺伝的にある程度素因が決定されている。私はまずもって男であって女ではないし、私は白人でも黒人でもない。
私が両親のせいで白人になるということはなく、女になるということもない。そうであるなら、どうして精神だけが自由になると言えるのだろう?

よく未熟な精神の持ち主が、自分の生活の不満や、性格上の難点を、何十年も前の両親の子育てに求めようとすることがある。私はそこまでの責任を肉親に求めるのは、酷だと思うし、単純にわかりやすい便利な誤謬に固執しているだけのように思える。こういう人間は、たいてい自分を憎んでいるだけであり、自分への憎しみを対象化するために両親にぶつけているだけだろう。

私の考えはといえば、私の顔が指紋がこうであり、顔がこうであり、肌の色や、内臓の具合がこうであるように、精神の具合というのもこういうものであり、それはある程度素因によって決定づけられていた、とする極めて単純なものである。

たとえば「私は両親に支配的に束縛されていた、それで神経症を発症した」と先のフロイト派の先生は言うけども、そもそも神経症的な素因があり、それに両親が影響されたとはなぜ考えないのだろうか?

人と人との関係は、互いにバランスを取り合って成り立つ――と彼はいう。そうであるなら、赤子と親の関係は、親の一方的な関係であると必ずしも考える必要はないだろう。初めから支配的な母親があったわけではない。赤子は、支配に適した性格だった。それで、母親が支配欲にかられた。そう考えることもできる。

私の考えでは、こういう人物は、もしも違う親に育てられていたとしても、神経症を発症していたはずだ。私も神経症ではあるが、もし違う家庭に育ったとしても、さまざまな事柄に我慢のできない、
あるいは平常の感覚から逸脱しているような人格になることは、運命づけられていると思う。

精神がなぜ初めに白紙である必要があるのか。

我々は、何か過去の体験が自分を形づくるとなんとなく思っている。それは他者を観察するがごとくである。彼は○○部署だからああなのだ、彼は統合失調症だからああなのだ、彼の親は、彼の出身は、彼の学部は、彼の宗教は、云々。それはある程度蓋然性はあるのだろうが、こと自己を観察するに至っては、こうした因果律は迷妄であることの方が多い。我々を突き動かす欲動は、明白な因果律よりもはるかに無意識的、カオス、非言語的領域であると私は思う。

例えば私の目が黒色であることは、私の意志ではない。また、それを意識的に変えることはできない。同じように、精神もこういったものだったのだ。そう考えることで、私の神経症は結局治っていないけども、人生に対する了解を得たことになる。私にとっては、父母よりも、「因果律」の呪縛の方が厄介だったようである。

我々が苦しむとき、因果の誘惑が訪れる。我々はかりそめの因果を見つけてほっとする。私の親が悪かったのだ。子どもの頃の、あの事件が悪かったのだ。私にはそういう解決方法は、どうもこじつけにしか見えない。なんだかしょうもない帰結だが、人間は記述したがる本能があるということだろう。その衝動は、神経症の私がいうのも何だが、強迫的でさえあると思う。

1.19.2016

隠者の日記

昨日のように、日常のルーチンがある以上、何かを書こうと思っても、それは細切れの、断片的なものになってしまう。私にもっと自由な時間があれば……とおもいつつも、仕事を辞めて生活を送るというプレッシャーは、並大抵のものではないことは想像できる。

最近、入ってきた優秀な社員が、8時間労働と契約したのに、実質8.5時間労働なのはおかしい、と経営陣に主張し、私たち全員の労働時間が、8時間となった。これは嬉しいことだった。自由な時間が増えるし、事実上、時間給が数百円あがったも同然だからだ。

それにしても、仕事は、かなり過酷であり、息着く暇もないといったところだ。初めは思考をフルに使っていた作業も、もはや何の思考も介在させずにすることができる。私は熱心に仕事をしているが、その片隅では追いやられている、沈黙の自己がいる。まったく退屈だ。

このような仕事は、何年も続けるべきではない。ただ、さいきん私は仕事から得ているものもある。初めは単なる金稼ぎだったが、毎日続けていると、それなりの価値を見いだすことはできる。それは「幸福な循環」と言っていいような、良い意味でも悪い意味でも凡庸な人間のもっている、毎日が平和で、何事もおきず、変化がないことの喜びである。

そういう生き方もあっていいと思う、というか大部分の人はこうした循環の中で生きているのだろう。これが地方の現実である。都市部で、大企業勤めをしているだろう、大学の同期たちとは、いまはほとんど関わりを持っていないが、彼らの生活は、私のような田舎の小企業勤めとは違うのだろう。

何か、変化に富み/絶え間なく目標が現れ/時代の先端をいく/高度な仕事を、彼らをしているのかもしれない。また、高学歴で、出自の良い有能な社員たちのなかで、切磋琢磨し、自己を高める、そんなキャリアデザインを実現しているのかもしれない。仕事はたまらなく楽しい、というような生活をしているのだろう。

私が新卒で田舎勤めをしようというときに、私の研究室の助教はこういった。「仕事は毎日するものだから、よく考えろ」と。私は、仕事に対して金銭的対価しか望んでなかったし、大企業だろうと何だろうと数年で辞める予定だったから、彼の忠告はわからなかった。

しかしいま考えてみると、大学の知人たちと仕事ができれば、楽しいだろうとなんとなく思う。やはり彼らは今職場にいる人間と比べると優秀だったし、人格も優れていた。人嫌いの私だったが、ある程度本音を話すことができた。

いま、田舎の生活において、私はこの場でしか、自分のことを話すことができない。友人はなく、当然恋人もいない。音楽をやる場も、仲間もいない。私はひとりで楽器を練習している。さいきん音楽がまた楽しくなってきたので、Youtubeで無料の音楽講座を観ながら、ひとり練習している。

私の生活は途上であると言えるのかもしれないし、もう頓挫してしまっているのかもしれない。世間は私を認めないだろうと思っている。私はつまはじきものである。つまはじきものは成功できない。世間になんらインパクトを与えることなく、私は世界を終えるだろうと思う。

私は世間に迎合できない半狂人であり、個人主義者だけども、私は個人として成功することもままならない。たとえば文化人とか、文筆業とか、そういう職業で成功する自分が見えない。というか、そういう成功も、あまり楽しいものではないと思える。

私は、老成してしまったように思える。最近の性欲の減退も、関係しているのかもしれない。発情期の猫のように、やたら活発に動き、わき目もふらず、目標に向かっていくようなある種の過剰さが、へなへなとしぼんでいった。

ようは、どんな目標も、私には裏の面が見えてしまうのである。金持ちになることも、有名になることも、仕事で成功することも、ただ不幸への道、うんざりするようなことに見える。じゃあ何が楽しいことか、というと、そういう執着から離れて、自分のことや他人のことに思い煩うことなく、静かに暮らすことくらいしか頭に浮かばない。

私の人生はもう終わったので、あとは隠棲したい、という、私は20代だけど、もうすでにそんなことを考えている。

私はバイクでの海外旅行の計画を立てているけど、それもうんざりする旅だと、初めから思っている。旅とは、基本的にうんざりすることの連続だ。

その旅は1,2年で終わるだろうが、それが終わったら、猫を飼って、車の騒音も聞こえないような山奥で、本を読みながらひっそりと暮らしていこうと思う。私の人生の究極目標は、そういったところになるだろう。

若いときは世界を変えるだの、文筆家になるという目標があったが、それらはもう目標にしないことにした。私がそういうことができるのであれば、何ら意志しなくてもそれを達成するだろう。そういった目標への執着は、人間を歪め、病気を引きおこすものだと感じる。私は思い煩うことなく生きていきたいと思う。

1.18.2016

小説と個人

人間はなにかの不幸に見舞われて心身の痛みを感じているときでなければなにかを記述しようとは思わないものだ。

幸福であれば記述する必要はないわけで、シムノンの「著述業とは不幸な天職である」というのは、事実だと思う。創造や表現はまず第一に苦しみから生まれる。満足な人間は雄弁には語らない。言表は、あくまで副次的なものである。

著述家は、まず第一に苦しむのだが、大いに苦しむ人間はまた恍惚のような喜びに浸る権利も持っている。というのも、彼の感覚器官が苦しみに対して過敏であるということは、喜びに対する感覚においても、並の人間が感じうるよりはるかに鮮烈であることを保証するからだ。

苦しむ人間は、ささいなことでつまづき傷つくものだが、それは彼らがその生活のなかで、凡人では気づき得ない事象に驚き、とまどうからである。彼らの不幸は、彼らの知性と表裏一体である。いったい、幸福な人間が賢明である必要があるだろうか。

著述業は、まず大いに苦しむ前提からスタートするから、彼らが成功していざ長年の目標であった安寧へ至ると、今度は職業を失う危機に陥る。彼らが成功し、例えば貧しい生活から脱したり、自尊心を得られるようになると、鋭敏な神経は落ち着いて、ただの凡人へと戻ってしまう。

こうなると著述家は、たいてい決まったパターンに陥る。ひとつは開き直って、駄作を量産し、メディアへの露出を増やすことで、もはや暗い過去を捨て去ってしまう道である。もうひとつは、あくまで創造の道にこだわり、ふたたび不幸の海のなかへ飛び込もうとする道である。それは、近代小説家によくみられるように、激情型な、野放図な、放蕩の生活に落ち込むという、一見不可解な、無意味な痙攣が起きる。具体的には酒・ドラッグ・女に溺れ、最後は自殺という道である。

日本の近代小説とは言うまでもなく「個人」の誕生を象徴としている。それは文明開化によって突如日本に突き付けられた概念であった。その西洋由来の魅力的な概念に多くの人間が惹かれた。近代小説家たちは、すべてこの「個人」の崇拝者だったと言えるだろう。

などと書いていたら時間がなくなったので、仕事へ行く。

1.17.2016

デジェネレ

観察のもっとも瞠目すべきものは、文士自身によってなされている。文士たちは自分の細々とした感覚までも書き込む。自分の病的性質を大事にする。それを自らの栄光とし、私たちに示す。自分の思考と感覚の表現という観点からすれば極めて才能に恵まれた彼らはその思考に相応しいやり方で自我を表明する。精神科医はそこから取り出せばいい……。それは解剖された神経症である。Voivenel

とくに思い煩うことのない日曜日である。

私は今週起こった一連の出来事を反省、吟味して、なんとなく結論のようなものを得た。

それは、私が集団・社会・世間に対するところの個人・私人であるということだ。

個人として生きる以上、世間との摩擦は避けられない。

もちろん、どんな国でも同様の事件を起こせば、同じように警察の捜査がされるだろうと思う。

問題はそういった法的な手続きではない。私の行動やふるまいが、集団・社会にどう捉えられるか、という点を考えてみると、私の行為は、世間における倫理からかなり逸脱したもののように思われる。

合理的体系としての倫理の観点からは、私の行動は特段非難に値するものではないと、私は依然として思っている。しかし、この国の倫理といえば、「警察の厄介になる」時点で私は断罪されるだろう。私は危険人物のレッテルを貼られると思う。

それは阿部謹也が繰り返し主張するように、「世間を騒がせた」罪である。この類の罪は、日本だけしか見られない。いや、中国やインドネシアでも「世間」はあるというから、少なくとも、西洋国では存在しない。

西洋:「私は無罪なので、みんなが私を信じてくれるまで戦います。」
日本:「私は無罪だが、世間をお騒がせしたことをお詫びします。」

私はマスコミにバッシングを受けたというわけでも、ネットで炎上したということもないから、大したことはないのだが、それでも警察の捜査や尋問を受け、また被害者との示談もあったから、「事を起こした」ことは事実だと思う。

私は自分のしたことは正しいと思っている。法的にも、法治国家で私刑を行った罪くらいしかないと考える。ただ世間的観点からは、私の行為ははっきりと断罪されることだろう。それは、あいまいな、空気による断罪といったところだ。だから、私の一連のブログ記事が輩の目にとまり、炎上したとしても(それこそ私刑なのだが)、それはしょうがないことだろうと考える。


考えてみると、私はこれまで、頑なに個人主義的であったと思う。そのことでずいぶん損をした。私はこの見た目だけ近代化の行われた国で、個人であろうとした。

私はかつてなんども年長者や目上の立場の人間を激怒させ、叱責されたが、それは根本的には
、私が彼らと対等の一個人であろうとしたからだと思う。そのたびに、私を知る人間は、私を奇異の目でみた。「なぜお前はうまく世渡りができないんだ」「周りと同じようにやればよいだけだ」と。

それはたしかにそうなのだけど、私は世間の空気に馴染むことができなかった。私には彼らこそ奇異だった。個人であるために、私の人生は不幸続きだった。日本において個人であることはそういうことだ。

だからまあ、やっぱり、脱日本を検討してみるのも良いかもしれないと思った。西洋のなかには、私と似た考えを持つものもあるかもしれない。そういった人びとや文化背景や思想に触れるためにも、海外旅行は必要だと再認識する。書を捨て、旅に出よ。

もちろん、私のルーツはあくまで日本だから、西洋と日本、どちらに落ち着くとしても引き裂かれるような部分があることは確実だ。それくらいのことは私は理解している。

それにしても、私がこのように日本において異端であることは、不思議なことだと思う。私はなぜこの国にあって個人なのか。これは、たぶん、生まれついてのものだと思っている。生物には一定数、奇形が生まれる。私は精神の奇形といったところだろう。


1.15.2016

職場に警察がきた話④

今日は振り替えで午後が休みなので、警察署に電話した。担当の刑事につないでもらう。

「示談が無事終わった。いまから示談書を提出に行くがよいか。」

バイクを走らせる。ちょうど、ミラーを壊したときに乗っていたバイクだ。「犯行に使われたバイク」と言ってもいいだろう。風が冷たいので、広いバイパスでも速度は出せない。油の切れたチェーンがカタカタと音をたてる。私の横を、ボロい軽自動車が追い抜いていく。冬の冷たさの中だが、空気は澄んでいて、日光が気持ちよかった。

その田舎の警察署は、最近建て替えたのか知らないが、やけにきれいだった。パトカー、覆面パトカーなどを見物しながら中に入る。老人が受け付けにいる。にこやかに、丁寧な対応を受ける。おそらく、もとはかなりの役職についていたのだろう。そんな風格がある。

「刑事科の○○に会いたい」と言うと、「すぐに来ます」とのこと。

示談書を片手に待つ。数日の間だが、ひさしぶりの対面に感じる。職場にきた刑事は二人だったが、若手の、攻撃的な方ではなかった。刑事はたいてい二人組で行動するようだが、意図的にアメ役とムチ役で組んでいるのかもしれない。若手の方は二十代後半といったところだが、こちらのアメ刑事は三十代くらいか。三十代でも、この田舎ではずいぶん若々しく見える。

示談が成立したことを伝えると、刑事は喜んでいた。刑事は示談書をコピーして、戻ってきた。「あなたが正直に話してくれてよかった」と、再度言われる。おそらく、私が罪を認めなければ、国家権力により拘留といった形になるのだろう。

私はたしかに、刑事が突然職場にきたとき、なぜ刑事が私を捕まえにきたのかわからなかった。それで答えをしぶった。しかし、私は誤魔化そうとしたわけではない。本当に忘れていただけだ。私は罪悪感の欠片ももっていなかったから。

「あなたに話を聞いてみると、どうも相手の方が悪かったようだ」。刑事ははっきりそう言った。その言葉は、私には少し救いだった。「しかし、会社としては関係ないからね」。……それはそうだ。それで、「これからは、冷静に行動してくれ」と、訓戒された。

私は冷静に考えたうえで、そう行動したのだ、と言いたかったが、刑事にそんなことを言ってもしょうがない。なので、私は「以後気を付けます」とだけ言った。そうして、刑事に「ありがとうございました」と頭を下げて去った。

こうして、一件は終わった。

キックでバイクにエンジンをかける。バイパスを走りながら、なんとなくムルソーのセリフを思い出す。
 「君は死人のような生き方をしているから、自分が生きていることにさえ、自信がない。私はと言えば、両手はからっぽのようだ。しかし、私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、また、来るべきあの死について。そうだ、私にはこれだけしかない。しかし、少なくとも、この真理が私を捕まえていると同じだけ、私はこの真理をしっかり捕まえている。私はかつて正しかったし、今もなお正しい、私はいつも正しいのだ」(カミュ「異邦人」)

結局、私は正しかったのだと思う。あくまで私人として。法と倫理は違うということだ。

私を捕まえにきたとき、刑事の態度はあまりに横柄だった。が、それはともかくとして、彼らもまた人間であり、職務を遂行していただけであるということを私は理解した。もしも私が刑事であり、(事実とは異なる)被害者の訴えを聞いたとすれば、加害者を凶悪な人間だと思うだろうし、そういう人間には、強圧的にあたるべきだと考えるだろう。

また、被害者側の重役老人の態度も、私には理解できた。彼はたぶん、いきさつをそれとなく予測できていたのだと思う。自分の社員が、乱暴な運転により、バイク乗りを激怒させた……という経緯が、それとなくわかっていた。だから私の罪を糾弾することもなかったし、私に詳しい事情を説明させようという気もなかったのだろう。

もしもその重役の部下であるトラックのドライバーが、日頃から運転マナーのよい人間であれば、重役はどういう経緯でそうなったのかを知りたがるはずだ。自分の社員に乱暴を働いたのだから、それを叱責してしかるべきだ。私にはそれに対する言明の用意があった。だが、それを語ることはできなかった。私の証言は、警察の調書に書かれるのみだった。重役はその経緯を聞きたくはなかったのだろう。事をややこしくしなかったのかもしれないし、そのドライバーを守りたかったのかもしれない。

私は、私も、刑事も、重役も、正しいことを理解した。ドライバーのあの行動が悪であり、それ以外はすべて正しく事が運んだ。

そういうわけで、職場に突然警察がきてからの、一連の事件が終わった。その当日などは、だいぶ動揺して、すこし混乱した文章を書いたけど、いまでは落ち着いている。なるようになった、というところだろう。

警察署から帰ると、メンテの途中だったもう一台のバイクの修理を完成させた。試運転のついでに、猫のいる海岸へ行き、いつもの猫に餌をあげた。

その猫は発情期のようで、しきりに動きまわり、身体を岸壁にこすりつけていた。過剰な性欲の苦しみを、なんとなく私は理解した。私は、年をとったから、もうそういった過剰さとは無縁である。警察との一件も私はしごく落ち着いた調子で終えた。

私は、昔であれば、自分が正しいと思えば、どこまでも自分の正当性を主張したものだった。それが、最近ではなにが正しいのかわからなくなってきた。ある程度はわかるが、絶対的な善悪というものがなくなった。正と悪が混じり合って、もう元には戻らなくなってしまったようだ。

まあ、とにかく、これからは落ち着いた日々が送れるようだ。警察にはもうお世話になりたくないと思いつつ、また似たようなことを起こす可能性はゼロではないと思う。私人としての正義と、社会の正義は別だ。あの刑事には悪いが、これはしようがないことだと思う。

1.14.2016

職場に警察がきた話③

さらに、こういう者たちもいる。かれらはおのが沼のなかに腰をおちつけて、葦の合間からこう語る。「徳――それは沼のなかに黙って座っていることだ。われわれはだれをも噛まず、噛みつこうとするものを避ける。そして何事につけても、人から与えられた意見を持つ。」(「ツァラトゥストラ」「有徳者たち」 手塚富雄訳)

上司から仕事の手続きの話を聞いていると、「そんな真剣な顔をするな」と言われた。気づかないうちに人相が変わっていたらしい。

今日は早めに仕事を切り上げた。被害者と会う約束がある。被害者は、警察署付近に来いという。

私と一対一で会うのが嫌なのかもしれない。またあの無作法な警察官に会わなければならないと思うと嫌な気持ちになった。

田舎だが、警察署周辺はそこそこトカイなので、帰宅ラッシュの渋滞につかまる。マニュアル車で渋滞はつらい。仕事の疲れもあって、ぼんやりしてくる。

「警察署についた」と電話する。電話の相手は、被害者の会社の重役。60は過ぎているだろう老人の声。敵対心のようなものは感じられない。「そこから回って来い」と言ってくる。どう回ればよいのか、さっぱりわからないまま警察周辺を回る。途中電話がかかってきて、なんとか重役を見つけ出す。

重役は、なんということのない老人だった。スラックスに、安っぽいジャケットを羽織っている。しかし、やけに気さくだ。私の出身とか、家族の話を聞きたがる。連なって歩く。その近くの食品系の会社に案内される。別に警察を介すわけでもないらしい。ただ警察署に近かっただけか。

オフィスは薄汚れた雰囲気。デスクが数人分、散らかった文房具、ヤニに汚れたままの壁。いちおうの応接間といったところに私は座る。そのときに、買っておいた菓子折りも渡しておく(その程度の社会性は、私も持ち合わせている)。

本題が始まるか、というときに、老人は、書類がない、ない、と言って立ち上がった。あちこち探し回っている。車の方まで探している。5分くらい私は老人が書類を見つけるのを待った。しかし結局それは老人のポケットにあった。私たちは笑った。

老人は、ミラー代の請求をしてきた。私はそれを支払った。思ったより高かった。私の給料の、1.5日分といったところ。

示談書を用意してなかったので、その場でスマホの検索を参考にしながら書いた。この手の公的文書は、独特の格調がある。なぜ被害者と加害者は「甲」「乙」でなければならないのか、と思いながら筆を進める。その間、老人は私の家族、仕事について聞きたがっていた。

書き終わると、双方が二枚の書類にサインし、事は終わった。

被害者と加害者の関係だが、最後には打ち解けたような雰囲気になってきた。「警察は示談で済ませろと言っていた。あんたの人格面を評価したんだろう」と言う。私は老人の話をただ頷いていただけだが、それが老人にとっては好印象だったらしい。人格が優れていたら、ミラーを殴ったりはしないと思うし、それに警察はめんどうな仕事を増やしたくないだけだろう。

気のいい老人だった。しかし私は、逆に手ごたえのなさを感じた。私がなぜミラーを割るようなことをしたのか、一言でも聞いてくれればよかった。

その老人は、やはり部下のしたことをよく知らされていなかったらしい。「運転手に悪いところがない、ということはないだろう。でも、手を出したらいけない」と、老人は締めくくった。私は、否定も肯定せずに終えることにした。一言でも、私を非難するようなことを言えば、私は自分の正当性を主張してやるつもりだった。老人なりの考えもあったのかもしれない。


こうして、警察がきてから、ばたばたとした日々が過ぎた。私はふたたび安寧を見出したというわけだ。また日常的な生活に戻ることができる。

いろいろ考えるところはある。私は、やはり反省はしていない。あの殺人的な運転をしたドライバーを依然として憎んでいる。ただまあ、事は早めに終わらせた方がいい。

私が学生か無職だったら、徹底的に抗戦しただろう。ただ、私は日々の仕事に疲れている。そんな元気はない。それに加えて裁判やら何やら、とてもかかえていられない。

そういうわけで、私はさえないサラリーマンのように、金を払って事を終えた。まあ、そんなものだろう。

あとは警察に示談書を提出して、事はおしまいとなる。

1.13.2016

職場に警察がきた話②

そういうわけで、前科一犯となることを免れた私だけども、昨日は布団に入りながら、このようなことをウェブ上に記述することに、少しの戸惑いを覚えた。

私のなかで、私の行動はある程度の妥当性をもつと思っている。しかし、おそらく常識的な考え(それはつねに正しいとは限らないのだが)を持ったひと、あるいは想像力の欠けた人であれば、たぶん私を冷ややかな目で見ることは想像がつく。


もしもトラックと私があの状況で接触事故を起こしたとすれば、判例タイムズによれば、1:9でトラックが悪いことになるようだ。普通は2:8だが、私は二輪車で交通弱者なので+10が加算される。

それに、トラックは速度超過もしていたから+10。それでなくても、悪質な運転と認められれば+10ということになる。ようはふつうに解釈すれば、トラックの完全な有罪になる。

追い越される側の「譲る義務」の法解釈は微妙だが、ふつう救急車などの緊急車両でなければ譲る義務はないし、こちらが極端な低速で走っていない限りはそのような義務は生じない。だから、事件のありさまは、私は軽トラの後ろをごく普通に走っていて、横からトラックが幅寄せで潰しにきた、というシンプルな構図になる。

それでも、私が怒りを抑えきれずにミラーを割ってしまったのは事実だし、そういった暴力的な手段に訴えて、話し合いもしなかったのは、私の過失でもあると思う。

私は、人間としては間違ったことはしていない。なにせ、向こうが殺害・傷害致死な暴力手段で訴えてきたのにたいし、私はそのお返しに物を破壊しただけだからだ。

ただ、「一応」法治国家だから、その体面上、私刑をしたことがまずかっただけだ。私は今回の件をそのように理解している。


相手方はミラー代を払えばよいとしている。私は刑事から、業務ができなかった間の賠償金とか、慰謝料とか加わるかもしれない、と脅されていたから、これには安心した。

なにせ、向こうが「刑事告訴してください」と警察に言うだけで、私は拘留されてしまう。私には選択権がないし、警察もそれが仕事だからしかたない。拘留は10日ほどに及ぶし、会社にも説明しなければならない。よく考えれば、私は首になったら首になったでぜんぜん構わないのだが(どうせ近々辞めるし、貯金もある、できれば実家でのんびり過ごしたい)。

まあ普通であれば加害者は弱みを握られた状態になるわけで、被害者がウン十万円払え、と言われたら文句言わずに払わねばならない・あるいは高い金を払って弁護士に相談しなければならない状態になるだろう。

しかし、拘留されて、(100%ないだろうが)起訴されて、裁判ということになれば、私はそれはそれでよいと思っている。私にも幾分かの正義があるわけだし、そうした正義が、法の庭でどう扱いを受けるのか、興味があるからだ。

おそらく、私に問われる罪は、上に述べたような罪だ。それは、法治国家で私刑をした罪だ。この罪を私は認めなければならないだろう。私刑は、いくら正当性があっても、法治国家という前提ではこれを罰しなくてはならない。私人としての行為が倫理的にどうかは別にして、社会制度・基盤にそぐわなかったことは認める。

しかし、正当性がある私刑は、ある程度は情状が考慮されるはずである。その辺の按排を、ぜひ実際の場で確認してみたいと思った。が、やはり起訴はありえないはずなので(日本では検察側に1%でも負ける可能性がある限り起訴はない)、無駄に拘留されるだけ損ということになる。ミラー代を払って終わりにする予定である。


そういうわけで、しょうもない事件だったけども、いろいろ考えるきっかけになった。私はなんとなく、ソローの本を思い出していた。たしかソローは、数ドルの税金請求に腹を立てて、「市民の反抗」という大仰なタイトルの告発文を書いていた。ともあれ、よい経験になったと思う。今日も仕事だ。

1.12.2016

職場に警察がきた話①

警察に捕まった。

まさか、この年になって取り調べを受けるとは思わなかった。

職場で働いていると、私服の男性がふたり。見慣れない顔だ。私に用だという。五分だけいいですか、と言われ承諾すると外へ連れていかれる。覆面パトカーが止まっている。刑事ふたりは前席に。私は後部座席に。しっかり鍵もかけられる。

唐突に、強圧的な尋問を受ける。「何したかわかってますね」と。私は突然のことで、わからないと答える。私は、あまり遵法精神がないので(なにせバカらしい法律が多すぎる)、軽犯罪くらいならいくらでもしている。

「交通違反ですか?」と聞いてみる。違うようだ。私はバイクであちこち走っているので、軽(から中)度の交通違反くらいならいくらでもやっている。とはいっても常識の範囲内だから、わざわざ刑事がくるほどのことはしていないはずだ。

私が煮え切らない答えをしていると、突然刑事が怒鳴りだす。「あんたが正直に言わないつもりなら、こっちにも手段があるんだぞ」「正直に言え」と言ったふうに。私は、混乱する。本当にわからないからだ。私が思い出そうと努力しているのに、刑事がぎゃーぎゃー喚くので、思考が定まらない。「思い出すと言っているだろう、静かにしてください」と少しきつめに言うと、鳴りやんだ。いったいこいつらはいきなり職場に来て何様なんだ。

それで、ようやく話がわかってきた。刑事たちは、威圧的に怒鳴りながらも、さりげなく細かいヒントを与えてくれたので、ようやく道筋ができた。

ようは、私がバイクに乗っているとき、幅寄せしてきた車のミラーを砕いたことだった。



これは、去年の10月くらいになる。私が田舎道の二車線道路をツーリングしていたときのこと。前には軽トラ、その先にも数台。すこし渋滞していた。速度は制限速度+5kmくらい。

私は別段急く用事もないので、のんびり軽トラの後ろについていた。気分のよいツーリングだった。すると、後方からかなりの勢いで走ってくる中型トラックがあった。私は、当然だが、トラックが私のうしろに続くものと思い、そのまま軽トラの後ろを走っていた。

すると、トラックは加速し、私の横を並走してくる。私は驚き、クラクションを鳴らす。危険極まりない。対向車がきたらどうするのか。そもそも、前は渋滞しているのだし、私だけを抜く意味もわからない。

こういう輩を、私は心底嫌いなので、対抗してしまった。それが悪かったといえば悪かったのだが……。でも、この段階で私に非はなかったはずだ。

1分ほど、並走した状態が続く。軽トラの後ろで、二台が並走している形。ひどく長い時間だ。トラックは、次第に幅寄せしてくる。ついには、左方のガードレールとの間は、1mほどしかなくなった。途中なんどか路上の電柱に当たりそうになり、寸前で避けた。私は死ぬ思いをした。私はその間ずっとクラクションを鳴らし続けている。トラックは余計に幅寄せをしてくる。

私は確信した。このトラックは私を殺したいのに違いない。

そのときに、私の右前方にトラックのミラーがあった。私はそれを殴った。我慢の限界だった。恐怖よりも、怒りが強かった。ミラーは派手な音をたてて割れた。それで、トラックを追い抜き、私は去った。

「汝の権利を踏みにじった他人をして、処罰を免れて恬然たらしむることなかれ」とカントは言った。



そのあと、そのトラックの運転手が被害届を出したらしい。

私が思い出せないのも当然といえば当然で、私は自分が悪いという認識がなかったのだ。それどころか、自分が正しいことをしたという感覚すらあった。正直いって、よくもトラック側が被害届を出せたものだと思う……。まあ、被害届を出したのはドライバーではなく運送会社の重役だそうだから、紆余曲折あったのかもしれないが。

ともあれ、私の罪状は「器物損壊」ということになる。だけれど、相手が告訴しないというので、民事で解決ということになるようだ。交通事故と同じ示談。これで前科がつかなくて済む。ミラーの修理代を払って、おしまいとのこと。



警察の人びとが私を凶悪犯のように扱うのも当然で、被害者側は私が追い抜きざまにミラーを叩き割ったとしか伝えていなかったらしい。私はそんなバカなことはしない。

もちろん、我ながらミラーを叩き割るという行為は軽率だったと思う。ただ、考えてみれば、相手がトラックで私をバイクごとミンチにしようと思っているのと、私がミラーを叩き割るのと、どちらが狂気的だろうか?私はいまでも、自分があまり悪いことをしたと思ってはいない。下手すれば私は殺されていたのだから。

それでも職業の必要上、刑事告訴されては困る。私は自分が正しいとは思っているが、そういう事情を同僚も雇い主も理解しないことを知っている。それが日本社会だ。だから、示談で済ませることにした。

相手方が私を告訴するというのなら、私も彼らを相手取って告訴しても良いと思う。が、ムキになってもしょうがない。

警察のひとも、最後には事情を把握したようだ。調書をとると、あとはしばし雑談。仕事やバイクの話をする。最後には、「気持ちはわからないでもないが、手を出せばこういう面倒なことになる。次からは話し合いをしなさい」というような説教で終わった。それでも私は、やはり警察は嫌いだと思った。容疑者というだけの初対面の人間に、怒声を浴びせかけるというのは、尋常ではない。気の弱い人間は、自分の罪でなくても、ついには認めてしまうだろう。そのような迫力はあった。警察マフィアという言葉が頭に浮かぶ。

示談の電話を被害者側(被害届をだした重役)にかけてみると、わりと話の通じる人だった。どこまで正しい情報がいっているかわからないが。また、「いくらカッとなっても、手を出してはいけない」というお説教。でも、あんがい朗らかな雰囲気だ。ミラーは、2万円程度でなんとかなるとのこと。これぐらいで済むなら、良いのかもしれないが……。

徹底的に、抗戦してやりたいと思う気持ちもある。お前らが悪いのに、なんで俺が金を払わなければならないのだ。ふざけた運転をするな。ミラー一本で済んでよかっただろう。と、言ってやりたい気持ちもある。

しかし、私も守るべき生活がある。妥協点が必要かもしれない。私はこんなことに構っていられない。今年は、金を貯めねばならないし、海外旅行の準備もせねばらない。

まあ、いい経験をしたと思う。上の私の記述を読んで、私を犯罪者とか、精神異常者とか、(あるいは日和見主義者だとか)勝手に思っていただいてかまわない。私は経験と、自分の思っていること・感じていることを正直に述べたまでだ。

1.11.2016

循環機械

昨日はバイクで走り回っていた。今日はバイクのメンテナンスをした。

私はバイクのメンテナンスは初心者だけど、なんとか技術を身につけるよう努力している。その方が、不測の事態に対処しやすいからだし、バイクに愛着が沸くからだし、なにより工賃が浮く。

海外旅行では大部分の行程をバイクで移動する予定なので、そういった知識を身につけなければならない。

今日はキャブレーターという精密部品のオーバーホールをした。キャブレーターとは、いまでは電子制御にとって代わられてあまり使われないけど、ようはガソリンタンクとエア・インテークから、燃料と空気を適切な量で混合し、エンジンへ送り込むような装置だ。

アクセルを捻れば自然とガソリンと大気が適切な分配でエンジンへ送られる。このおかげで、エンジンは適切な回転を保つことができる。もしガソリンが多くなれば(濃くなれば)プラグが被って点火しなくなるし、逆に燃料が薄くなればガソリンによる気化熱でエンジン内部が冷やされず、オーバーヒート(デトネーション)によってエンジンが焼き付いてしまう。

いずれにせよ、キャブレーターが不調だと走行不能に陥ることがある。そこまでいかなくても、キャブが不調だと、何でもないところでエンストを繰り返したり、思うようにバイクが進まないということがある(私の買ったバイクはそういう状態だった)。だから、まあ大抵の基幹部品ではそうだが、欠くことのできないたいへん重要な部品である。

キャブレーターは精密部品だが、外部から燃料と空気を取り込む以上、メンテナンスは必要だ。そういうわけで、作業の詳細は省くが、一日メンテをしたというわけだ。

バイクのメンテナンスに私が不慣れだというのは、それは知識の話ではない。もっと精神的なレベルである。とは言っても、これでもずいぶん進歩した方だ。私はバイクのメンテは、バイク屋に任せるものだと思っていたから。

それというのも、私はバイクをなにかブラックボックスのように考えていたからだ。しかし、バイクとはきわめて合理的な構造物である。そして、そこまで複雑ではない。つまりほとんどの事柄が自明であるし、わからなくても少し考えればわかる、ということだ。

ナットやネジを見て、「これではお手上げだ」なんて思う人はいないだろう。ナットはレンチで外せるし、ネジはドライバーだ。ほとんどのメンテナンスは、この繰り返しでなんとかなる。

そういうことを知ったのは、必要から自分でメンテナンスをしてからだった。初めは恐怖心でいっぱいだった。それは弄り壊してしまうのではないかという不安だった。悪いところを直すつもりが、余計に悪くしてしまうのではないか。しかし、杞憂だった。私はきわめて拙いメンテナンスをしたが、それでも悪い部分は直った。バイクは問題なく動いた。私は、バイクは簡単にメンテナンスできるように作られていることを知った。

それはメーカーの善意というか、企業努力というべきかもしれない。バイクは基本的に、メンテをされるべく作られている。つまり、上のキャブレーターもそうだし、たいてい消耗品があるところや調整が必要なところは、ユーザーフレンドリーに設計されている。ユーザーというか、一般的にはバイク屋の親父にフレンドリーと言うべきかもしれない。いずれにせよ、「整備性の良さ」という要素はあんがい重要である。自分でメンテをするライダーは同じメーカーのバイクを買うだろうし、親父は整備性のいいバイクを売りたいと思うだろう。だからメーカーは、あまり目立たないところだが、整備のしやすさはきちんと確保している。

このあたりのニュアンスは、バイクを実際に持っているひとでないとわからないと思う。自分ではオイル交換すらしない人がいる。工具を一切持つことなくバイクを維持する人がいる。そのようなことは専門家――バイク屋に任せればよいと思っている。バイクではまだよいが、自動車ではこのようなユーザーがほとんどだ。

しかし、いったん自分でメンテナンスをするようになった人間は、可能な限りは自分で対処したいと思うだろう。なにしろ、バイクはユーザーにも簡単に整備できるよう作られている――ということを、彼は知っているからである。そうして、完全にお手上げ状態になったときに初めて「専門家」を頼るだろう(そのようなことは、あまりないだろうが)。

話が長くなった。ようは私は、バイク屋任せのライダーから、自分で整備するようになっているというだけの話である。

私がこのようにバイクのメンテナンスに拘るのは、今読んでいるパーシグの本「禅とオートバイ修理技術」の影響が大きい。このなかの、「テクノロジーに宿る仏性」という言葉が妙に気にかかっている。バイクはしょせん工業製品である。だけれども、工業製品に仏性は宿らないのか?仏性とはその程度のものなのか。

バイクのメンテをしながら、いろいろなことを考えた。けれども、その半分はイライラしていた。なにせ、手は傷だらけ、化学薬品とオイルまみれで、ささいなことで何度も頓挫するといった具合だったからである。この感覚は、私が入門者であるからだと思う。だから経験と共に落ち着いてくるだろう。

これは楽器と同じだ。いずれ何も考えずに手指が動くようになる。インプロヴィゼーションと同じように、行為のなかに沈潜するようになる。趣味とは、このようなものであり、このような状態こそ、われわれが目指すべきものであると思う。

どうでもいいことを、長々と書いた。明日はまた仕事だ。

1.09.2016

医学における東洋と西洋

朝からどうしようもないことを書いた。こういう日は、たいてい体調が悪い。案の定、発熱気味だ。

今日は休日出勤の傍ら、ベンジャミン・フルフォードの本を読んでいた。陰謀論者の間では有名な人だ。私は陰謀論者じゃないが、こういう界隈の人の本も読むべきだとなんとなく思ったのだ。

私が読んだのは、「人殺し医療 マフィアが支配する現代メディカル・システム」という、医療業界の暗部を告発するような著作。めまいのするようなB級感あふれるタイトルだが、内容はまあまあといったところ。つっこみたい部分もあるが、感心することもあった。流し読みだから、数時間で読めた。

この本のなかでたびたび、「西洋医学は戦争のなかで生まれた」というような記述がある。私は、そのような認識はなかったから、これにはなるほどと思った。西洋医学は外科的治療の技術に優れ、また患者の容態を急速に安定させる面で優れる。つまり能率的に兵士を戦闘に復帰させるような治療には向いているのである。

これと反対に、例えば東洋医学は、一般的に緩徐で長期的な治療になる。漢方薬では病気の根を治すというよりも、体質の改善が重要になるからだ。たとえば腸の弱い人、下痢や便秘を繰り返すがいるとする。西洋医は、下痢止め・便秘薬を投じる。あるいは、腸の運動を調節するような薬を処方する。これらは数時間~数日で効き目が出る。一方漢方医は、腸を温めるような薬を出す。これらは数日間で効果が出ることもあるけど、体質がしっかりと改善するにはふつう数か月間の治療期間が必要である。

即時に回復するのは西洋医。だが、原因を根治するのであれば東洋医の方が適しているだろう。

ベンジャミンは述べていないが、単純に二元論的な考えと言ってもいいかもしれない。身体のなかで悪さをする菌がある。それを殺してしまえばいい。身体のなかで欠乏すると病気を起こす物質がある。それを摂取して補えばよい。あらためて考えると、西洋医学は根本的にこういった考え方をする。善悪二元論的な考えである。

東洋医学も、弱った部分を補うという点では同じである。ただ、西洋医学とは根本的に違う、と私は思う。西洋医学は、人間に十全な状態があるとする。「完全に」健康な状態があるとする。そこに近づけようと努力する。東洋医学では、ひとはそれぞれ違うということを肯定する。違っていてよいが、生活が困難であればそれを修正する。そういった考えのように思える。

西洋は太陽を目指す。それは、天空の一極点である。東洋は地に根差す。大地の上で、各々が自然と調和し生きていくことを目指す。

この東洋・西洋の違いは、表現しづらい。ただ、やはり西洋医学には根底に善悪二元論があり、理想主義的である。その影響が医療にも現れていると感じる。

西洋医学が戦場で発展していったものであるとすれば、なにもすべて西洋医学で治療する必要はない。慢性的な疾患では、東洋医学の方が役立つのではないかと私は思った。たとえば風邪を引きやすい、喘息、胃腸が弱い、イライラしやすい、などの体質。



ついでにこの本で感心したことは、ビタミンDがインフルエンザの予防に良いということである。インフルエンザワクチンの予防効果は、10%程度と気休め程度のものである。

ビタミンDはどうか。調べてみると、慈恵医科大が研究していた。ビタミンD摂取群は、その対照群と比べ、インフルエンザの感染率が半分に低減したのだという。これは私も意外だった。インフルエンザワクチンが効かないことは知っていたけど。

ビタミンDのサプリメントはアマゾンで600円程度で売っている。これでは数千円するワクチンを打つのもバカらしい。もっともビタミンDは脂溶性ビタミンであり、高Ca血症を起こすこともあるので安易な使用は控えたいところ。

ベンジャミン氏は、まあまあいいことを書くという気がする。でもやはり、あまり好きではない。

日本の労働環境考

日本人は働きすぎかどうか、をバカな男が考察していた。

バカな男は、日本は統計上米国や韓国よりも労働時間は短いとする。

さらに一人当たりGDP/労働時間のグラフでは、諸外国と比べてもまずまずで、中程度であるとしていた。

ゆえに、われわれは働きすぎということもないし、それなりの対価をもらっているのだから、貧しいわけでもないとした。


私は、第一に、日本の統計を信ずるべきではないと思っている。私はそもそも、文化的に日本人はあまり統計を重視しないのではないかと思っている。つまり、日本政府は正確な統計データを公表しなければならない、とは考えておらず、また正確な統計データに基いて政策を決めようともあまり考えていない。

言うまでもなく、現状の正確な認識には統計データが必要不可欠なのだが、日本人はそれよりも、皮膚感覚や感情によって行動を決めることを是とする性質がある。あえて例をあげることはしないが……。

そういうわけで、日本政府の公表している統計には眉に唾をつけなければならない。

第二に、日本の労働時間を考察するときに、サービス残業を考慮しないのは、あまりにもおバカだと思った。

というのも、現実に、私の職場にいる職員は、おそらくだれひとり残業申請をしていない。それでも、平均してみな10時間は働いている。なかには、8時間労働のところ、13時間以上働いている職員がいる。ようは、8時に出社し、21~22時に帰宅という按排だ。

地方の中小企業の現実とは、このようなものだ。そうして、こういう過酷な労働条件こそが日本ではスタンダードなのではないかと私はひっそり思っている。

そういうわけで、私の目から見ると、日本人はあまりに働きすぎであり、身を粉にして働いており、加えてその労働の対価はひどく貧しい。日本人はどんどんと貧しくなっている、というのが実感である。


我々の生活は貧しいということを基準に立たねば、世の中の認識は歪んでくる。

私は、日本人が貧しい生活をしていると思うけども、それは物質面の話で、精神的に豊かであればそれでよいと思う。

日本人がもしも人権意識や法的な規律に厳格になることがあるとすれば、そのことは物質的な豊かさを保証するだろう。たとえば、個人個人がサービス残業を強要する経営者を即時告訴して、残業代がきちんと出るようなことがあれば、労働者各々の残業時間は減るだろうし、残業すれば、それだけの割増の対価を得ることはできるだろう。

もしも法意識が行きわたれば、NHKの料金徴取はなくなり、記者クラブは解体し、風紀を乱すパチンコ屋は消え去り、ヤクザはいなくなるだろう(なんだかこの手のことしか思い浮かばず、発想が貧困だ)。

しかし、それで物質的に豊かになったとしても、我々は精神面の貧しさを感じるだろうと思う。また、国家―国民は深層レベルで断絶されてしまうだろう。

我々は国家と血縁的な関係にある。つまり、天皇を頂点とする「父―子」の関係にあるのである。平社員は「父」経営者に奉仕し、経営者はその上層の大企業や役人に奉仕し、大企業は政党や官僚、皇族に奉仕し、その最終的な父は天皇なのである。このことの是非を問うつもりはないが、まあそういうことになっている。日本人が経営者に奉仕する(サービス残業をする)という構図は、この背景から生じる。

国家という訳語はなかなかうまいもので、日本では一国は家族なのである。人権意識は日本にとっては毒素であり、一家離散を導く厄災ということである。

西洋はといえば、「神―人」の超越的関係にある。話がとんでしまったし、長くなったので、今日はこれだけにする。

とにかく、そのバカな男は、世の中のことを皮相的にしかとらえることができていないから哀れである。そのくせうだうだと御託を並べ、自分は賢いのだ、というようにアピールする。こういう人間を、私は軽蔑する。

1.07.2016

Church of Reason

「理性」と「理性の外側」との葛藤に、悩んでいるわけだけども、私より聡明な人間はいくらでもいるはずなのに、そういうひとびとがこうした分裂的な危機に陥ることがないのは、不思議なことである。

大学のような教育機関のことを「理性の教会」と、アメリカの記憶喪失の元大学教授は言っていた。教会では、神を信じないものはいない。また、教会ではひとびとは神について語り、神の前にひざまずく。大学という場では、教会にとっての神が理性に置き換わったことになる。

われわれが理性を信じたいと思うことと、神の存在を認めたいことと、いったい何が違うのだろうか。

Lyonel Feininger

こういう相対主義的な思考にいったんひとが陥ると、プラグマティズムに行き着くようだ。われわれは神/理性を信じる。その方が有益だからである。ひとは、有益だから信じる、という味気ない結論に至る。

神を信じずに、理性を信じることは簡単である。「この世のすべては理性で説明できる。幽霊や神や呪術は、迷信である。」このような考え方は多い。外国でも増えているだろうし、宗教的なこだわりの少ない日本ではとくにそうだろう。

では、神も信じず、理性も信じないとなると、ひとはこのような境遇に耐えられるものだろうか。

「耐えられるものだろうか」と問うても、私は別段苦しんでいない。酒が回ってきたのである。結局、私はデュオニソスを信仰する或る者である。分裂した世界は酒によって繋ぎ止められた。ニーチェがたいして酒を飲まなかったことは、不思議ではない。ニーチェは反吐だった。だから、彼の文章は苦渋と困惑に満ちている。素人には、ニーチェは独断的に見えるのだろうが。

彼の身体が酒を拒絶しなければ、彼は陶酔に満ちた文章を書くことはなかっただろう。芸術的陶酔に浸らなくても、ひとは手軽に酔うことができる。

酒神ほど強力なものがあろうか。これほど美しく、空想的で、熱情的で、陽気で、憂鬱なものがあろうか。酒神は英雄で魔術師だ。誘惑者で、愛の神の兄弟だ。彼には不可能なことができる。貧しい人間の心を、美しい不思議な詞をもって満たす。彼は、私という孤独な百姓を王さまに、詩人に、賢者にした。からっぽになった生命の小舟に、新しい運命を積み、難破したものを大きな生命の奔流の中へ押し戻してくれる。(郷愁 / ヘッセ)
 しかし、よく考えたらのんべえのヘッセも芸術的陶酔のなかに生きた人だった。

私にヘッセのような文章が書ければよいと思う。しかし、芸術作品の産みの苦しみはなんとなく知っている。苦しんでも遂行すべきなのかはわからない。苦しむくらいなら初めからしなければよいのかもしれない。

岡本太郎が子どもを作ることを避けたのはなぜか。「芸術とは、そういう安易な生産を捨て去ることです」という事情からだと、フランスのインタビュワーにフランス語で答えていた。本当かどうかは知らない。

私は安易な生産でもいいという気がする。なぜ安易な生産ではだめなのだろう。なぜ、難解で、高度でなくてはならないのだろう。

芸術も、しょせん、進歩からは逃れられない。昔のバイクは、数馬力だったけど、いまは300馬力である。われわれは、前進している。われわれは、より豊かに、より恵まれた存在になっている。そう教えているのは、結局理性の世界である。芸術は、理性に取り込まれてはならない。理性を破壊するものでなければならない。と思う。




1.06.2016

変わっていく

なんとなく、小説を書こうと思った。さまにならない日々を送っていると、こういう気持ちになる。希薄化した日常のなかで、足がかりとなるような凝固点が欲しくなる。そうでなければ、われわれは空に投げ出されたような気持になってしまう。明日と今日との違いが欲しい。ひとつの進展、打ち込むべき仕事があるべきだ、と。

日常に矛盾なく染み込んでいくような自己と、それから逃れようとする自己がある。

というか、最近はこういう抽象的なことばかり書いているな。書くネタがあまりないということもある。

前までは、本を読めば、なんらかの記述したいという要求が生まれた。今も、読書はするけれど、たいした分量ではない。もっとたくさん読んでみたいと思うけど、本を読んで得られるものも、あまりなくなってきた。

この感覚は少し前からあった。新しい知見を得られるというよりは、すでに知っていた事実の再確認になってしまうのである。昔は、名著を10ページも読めば、そこから得られる教訓は何十個もあった。いまは、同じ分量を読んでも、たったそれだけのことを表現するためになぜ引き延ばす必要があるのか?と考えてしまう。

知識は、細かな要素の集合ではない。記憶それ自体は知識ではない。それらを統括するはたらきが、「知」ということが言えるだろう。だから、知が発達し、洗練されていけば、最終的にはすべてが統括されるだろうと思う。

われわれの青春時代を考えてみると、あらゆる事象が、色彩を持っていた。新鮮な感覚とはっきりとした輪郭があった。青春を終えると、われわれを待っているのは、微妙な色彩である。この意味で、われわれは年をとることを肯定的に捉えることができるだろう。ただ漫然に生きているとしても、やはり何らかの学習をしている。

智慧を持つ人は、唐突に刃物を持った強盗が押し寄せても、驚くことはないだろう。本来、智慧とはそういう性格のものだと思う。なにも計算能力とか、論理能力のことを指す必要はない。

まあそんなことを考えていた。私はいよいよ、ダメになってしまったかもしれないと思う。知を愛することができていたときが懐かしい。あのような熱情がなくなった。評判のいい小説も、子どもじみた著者が書いた暇人向けの駄文に見える。これが、よいのか、悪いのか。

私は生活のなかに沈む。神経症も直っていっている。これがよいのか、悪いのか。

1.05.2016

旅の計画

世界から再び阻害された感じ。かといって、不幸ではない。微妙だ。

私は田舎の片隅で生きている。私は海外に出ようと思っているが、それは地を這うに等しい行為だ。私は別に、高みに昇るわけではない。海外での経験が、私をなにか満たすとか、私に能力を付与するとか、それが「よい思い出になる」とかいう風には思えない。

おそらく、どうしようもないくだらない人間と、出来事に、うんざりさせられることだろうと思う。

想像すれば、私には見える。わざわざ旅などして、それ以上なにをするというのか。感じるために移動しなければならないのは、想像力が極度に脆弱な人間だけだろう。(不穏の書、断章 / フェルナンド・ペソア)

私の親戚は、一流大を出て、官僚になり、財閥系企業に引っ張られた人間で、いまは海外支社で勤務している。このような「高みにある」人間と、私とは接点がない。

私は、地を這うようにできている。私が乗るのは、7万円のバイクと、9万円のバイクと、30万円の軽自動車。私はいまだに高速道路も乗れない。私は下流である。

下流には、下流の旅があるし、下流の目線がある。世界は断絶されている。下流の知る世界は、下流でしかない。それは、わかっている。

世界がもしも円錐状だとしたら、私は底辺(円周)にある。私は中心の高みに昇れないだろう。それにあまり昇る気にもならない。

私が旅に出るということは、この外円をくるくる回ることに過ぎない。このことは冷たい目でもって認識している。

最近は、この円錐状の世界が、あまりにも巨大で、複合的であると感じる。響きのいい言葉でいえばコングロマリット的な様相を示してる、ように思えた。それは、巨大な「理性の城」である。

われわれは、理性を手に入れたと同時に、理性の奴隷になったのだろう。たしかに、われわれは飢餓を克服した。病気を克服した。しかし、失った代償は大きい。

よく、ヒッピーかぶれはこういうことを言う。「科学によって核兵器ができた。より多くの人間が戦争で死ぬようになった。だから科学は悪だ」。私が言っているのは、こういう幼稚な話ではなく、もっと深い精神のレベルのことだ。

科学の成長は無限大だろうか。いつか終わることもある。科学は役目を終えるかもしれない。われわれが理性への妄信を捨て去り、その毒素に気づいたとき、ポストサイエンスの時代がくるのかもしれない?「ポストサイエンス」とは、いま思いついたのだが、良い言葉だと思う。やはりヒッピー臭いけど。

ともかく、理性は相対化されるべきだ。何事も絶対化すべきではない。これは当然のこと。

私の旅は、理性の外側をめぐることになると思う。

旅の計画を立てていると、気分が高揚してくる。出発はだいぶ先になるだろうが。これまでも海外旅行をしたことはあるけど、極限まで金を遣わない貧乏旅だった。今回の旅は、もう少し、余裕ができるだろう。また、そのときはひどく対人恐怖気味だったから、ひととの関わりもほとんどなく、あっても歪な形でしかなかった。そういった点もましになるだろう。

だれにも口にしなかった(ここ以外)旅の計画だけど、最近、母親に、旅の計画を伝えた。その上流階級な親戚にも連絡をとって、海外の情報を得ることにした。計画が、少しずつ進展していく。

特段意識をすることなく、事態が進展していく様は、おもしろいものがある。私は、そういう人間だったということだろう。ひとりが好きだし、旅が好きだから、一人旅をするのである。自然なことだ。

運命の流れに手放しに、といったところ。

1.03.2016

合理主義を超える

こころの安寧を見出すことが必要だと考えた。あらゆる事象に囚われることなく、摩擦なくするすると流動的に生きるのである。

そういうふうに生きることは、神経症とは反対の立場にある。神経症とは、不安、執着の病理だからである。単純に、神経症が正反対に振れれば、そこには安寧が見つかるはずである。

じっさい、病気――健常は単純な対立構造にあるのだろうか。病人が健康になるとは、健常の要素を身につけ、病人である要素を捨て去ることなのか?

消化器にできたポリープを摘出すれば、それは治療されたことになる。精神はというと、これは五臓六腑がはっきりしているわけでもないし、「深層心理」だの「無意識」だの区分をつけてみても、それが正しいわけではない。ポリープのようなものは見つけられない。

精神分析は、合理主義による精神への適応といったところだろう。精神はバラバラに刻まれ、解体されねばならなかった。「腑分け」の作業、これが精神にも行われた。

合理主義の精神は、「人間はみな一緒」ということになる。合理主義とは、根本的には命名・定義づけのドグマだからである。「人間はロゴス的な動物である」と定義するとき、これから外れる人間はいない。定義づけとはそのようなものである。

とにかく私が神経症から回復したとしても、私は単なる健常者に落ち込むわけではないと思う。

「健常な人間」なんていうのも果たして存在するのかわからない。狂気のない人間は、狂気を抑圧しているだけだ。私の試みは、狂気を排除することではない。

精神疾患が克服できるとすれば、それはある意味で超越すること、次元を超えることにあるのだと思う。私はこのことを切実に思っている。精神はというと、ポリープを切っておしまいという風にはいかないのである。

合理主義とは、世俗のドグマである。……と言い切ってしまうと、なんだかすごいことを言った気分になる。科学者が沸騰した頭で生涯をかけて探求するほとんどすべて学問は、世俗的な出来事に還元されるのである。これは合理主義の行きわたった現代では極めてラディカルな発想だが、仏教では昔からよく言われていることなのだという。

こうなると、では、真理に近いものは何か、ということになる。合理主義のアンチテーゼとして実存主義があるけども、アンチテーゼである以上は真理になりえない。やっぱり東洋思想を追究しなければならないかなと思う。

1.02.2016

2016

実家から帰ってきた。

実家で、大学時代の荷物を荷ほどきした。本、本、本……まあよくもこれだけ読んだものだと思う。何年かぶりに本を開くと、なんらかの響きがある。

ひさしぶりに母親に会った。母親は離婚しているから、実家にはいない。母親と、その再婚相手と、3人で酒を飲んだ。母の料理は相変わらずうまい。再婚相手のおじさんは、どうということもないサラリーマンで、私とはもう10年以上の付き合いになる。私がもう27歳になるのだというと、驚いていた。母親は寝てしまったので、私とおじさんで呂律が回らなくなるまで飲んだ。おじさんは私に社会性が身についていることに感心していた。私はたしかに社会性が身についた。仕事の必要上、なんとか身につけた処世術だ。でも、母やおじさんとは、違う世界に生きたいとなんとなく思った。

姪っ子にお年玉をあげた。祖母は私がお年玉をあげるような年になったことに感心していた。姪っ子に2000円。小学生くらいになるいとこには5000円をあげた。私は別段苦に思うことなく、その金を差し出した。いとこはもう反抗期のようで、私の声を無視する。

私はこのいとこが、なんとなく好きだ。ピアノ、バイオリン――音楽の教育を受けており、コンクールに入賞するくらいだというからだ。私は、音楽のセンスを持った人間、つまり芸術のセンスを持った人間が、つねに苦しむ運命にあることを知っている。だから、私は彼女が自分と似た運命を辿るだろうと思った。そんなことは、叔母も、彼女自身も望んでいないだろうが……。ともあれ、私は彼女を少し同種のように感じている。

実家はどんどん痛んできている。いつか改修が必要だろう。住んでいる祖母、祖父、父も、三人ともガタがきている。彼らが去ったあと、この陋居にだれが住むかはわからない。私は離れを立てて、そこでなら住んでいいと思う。なんといっても、実家も田舎で、静謐が保たれている。私の現在住んでいる戸建ては、ときおり車の騒音がうるさくて、それが我慢ならない。

実家からは、ショーペンハウエルと、カントの本だけ持ち帰ってきた。どちらもまだ読んでいない。あとは、パーシグの「禅とオートバイの修理技術」の上下巻を。これを初めて読んだときは、バイクのメンテナンスはバイク屋任せだった。最近は、バイクのメンテナンスに凝っている。

「テクノロジーに宿る仏性」、そんなことを言い始めたのはパーシグが初めてではないか?バイクのエンジンひとつにも、仏性を見出すことができる。また、この本には東洋思想と西洋思想の対決も盛り込まれている。

私は、変わった。バイクのメンテナンスもきちんとするようになった。私は下卑た笑いをすることを厭わなくなった。東洋のイデオロギーを認めるようになった。これらはぜんぶ、同一のことである。人間は、ひとつの基軸をして、左右に揺れ動くのだと思う。理想と現実と、天と地と、理性と狂気と。それと、付け加えておかねばならないが……左右に動きながら、同時に反対側に自己を置くことがありうる。私のなかの哲学では、人間は矛盾的存在である。その意味で、狂気的であり、理性的である。ロゴスを超越しつつ、ロゴスのなかにあらねばならない存在である。

実家から帰る途中、ナビの間違いと、トイレに行きたいがために着いた(つまり偶然に着いた)神社で、私は初詣をした。するつもりはなかったが、これも運命だと思いすることにした。しかし、手を合わせても私には願うことがなかった。

かつては、私は、「正しいことをするだけの力をください」と願っていた。今の私はというと、「それほど善人でもなくなった」と苦笑しながら、境内を去った。正しいこと、間違ったこと、これが私にはもうわからなくなったのである。

50円を払って引いたおみくじは、末吉だった。せくと失敗するのだとか。もう、失敗がよいのか、成功がよいのか、それすら私にはわからない。