8.31.2016

神智学に触れる

進め。汝は鍵を持っているのだから安全である。(「沈黙の声」ブラヴァツキー)
Sと私の間にあったこと、私自身の変化、神経症から抜けだせたことを、いろいろ整理しなければならないと思い、学習していた。

もともと神経症の克服記のようなものを書こうとして、何日か書いていたけど、その本態は依然わからず、つきつめてゆくと「執着」「迷妄」といった抽象的なフレーズに帰結し、方向性がつかめなくなった。一般的な「こうして治った」「治ってよかった」というような闘病記でもないし、病理学的にアカデミックに神経症を解明していくような感じでもないし、どちらかといえば宗教的な、哲学的な観点から神経症という病わずらいを記述することになってきて、しだいにこんなものをだれが読むんだ?という疑念が頭をよぎり、あわよくば闘病記を電子書籍として売り出し、こづかいを稼ぐという計画は頓挫することになった。

それでもう神経症という観点から自分におきた出来事を考察することをやめて、個人的な知の探求として、全人的な現象として捉えようと思い、いまふたたび宗教だの、神智学に傾倒している。

読んでいるのは王道といえば王道の「沈黙の声」という本、ブラヴァツキーの著書である。

まあ良い本に出会えたなという気分、たまたまブラヴァツキーに行き当たったのだけど、適切な時期に、適切な本に出会えることには、ほんとうに驚くばかり。
苦しむ者の目から落ちる涙の一滴を、激しく照りつける太陽が乾かす前に、汝はその涙をぬぐえ。人の流す熱い涙を汝の心に滴らせよ。その人の苦痛の源が取り除かれるまで、汝の心からその涙をぬぐうな。ああ恵み深い心の持ち主よ、その涙こそ不滅の慈愛の田畑を潤す川の水である。仏の花はそのような土地にこそ育つ。夜の暗闇に咲く仏の花は、ヴォーゲーの木の花よりもさらに見つけづらい。それは輪廻から解脱する自由の種である。それにより、アルハットは敵意と情欲から離れ、沈黙と無の世界だけに知られている平穏と至福に至る。
私の涙はSによって拭われたのだけれども、今度は私がだれかの涙を拭わなければならないと考える。私は、ひとのためになにかをするという観点が抜けていた。
俗衆を見下して人里離れた暗い森で座禅を組んだり、木の根や草の葉を食べたり、ヒマラヤの雪で渇きをいやしたりすることで、究極の解脱という大いなる目的を達成できると信じてはならない。
弟子よ、これこそ隠れた道である。完成した諸仏はこの道をとり、弱い者たちの「小我」のために大我を犠牲にした。 
隠れた道……。人類の進歩に貢献しましょう、「救済者たれ」ということが、隠れた道だというのだから、なんだか逆説的だ。秘教に対するよくある偏見……「こそこそ隠れて、悪いことをしているに違いない」。

神智学、おもしろい世界だな。もう少し踏み込んでみよう。

8.27.2016

禁酒一週間

おととい、Sとはまた親密な友人の関係になった。私が断酒したことを伝えると信じられないような顔をしていた。ハンバーガー屋へ行って、他愛のないことを話した。それから外へ出て、海を眺めながら、Sの髪をなでて、別れた。Sは車で帰っていった。明日にはもう、都心に引っ越すはずである。

家に帰ると、携帯にメッセージがきていた。「今日も柔軟剤のいい匂いがしていた」ということだった。私は、「今日のSは特別美人に見えて、ドキドキした」と伝えた。「酒をやめたせいかも?」とつけ加えたら、怒られた。今度は都心で会う予定だ。

禁酒は一週間つづいたことになる。体調はすこぶる良い。……良いのだが、抜群によくなったわけではなく、仕事は疲れるし、嫌な気持ちになることはある。ただ酒を経っていた方が疲れにくいのはもちろん、ストレスもそこまで溜まらないようである。私にとって酒は、感覚を麻痺させ、時間と体力を消耗させるためのものだった。だから味を楽しむとか、ストレス解消とかとはニュアンスが異なる。私にとって酒は麻薬と同じだった。

私の余暇は酒を飲みはじめると椅子に座ったままだらだら酒を飲み続けるというものだった。それは休日であれば午後三時頃より始まり十時頃に酔い潰れるまで続くのだった。いまは酒を断っているからちょこまか動いている。楽器をしたり読書をしたりコーヒーをいれたり部屋掃除をしたり寝転がったり雑多だが、前の生活よりずっとましである。

私は酒を飲みながら「俺はひとりでも生きていける」と考えていたのだから痛ましい。私の酒量は一般的なアルコール依存症に比べまだ自制が効いている方だがそのまま常飲していれば増え続けるのは目に見えているのだし、肝臓を壊して入院するか、仕事を放棄し経済的に破綻して廃人になるというようなおきまりのアル中コースを辿っていたかもしれない。

酒をやめてから、明らかに体重が減った、腹回りの浮き輪のような脂肪が薄くなった。また姿勢がよくなり、物が明瞭に見えるようになった。目の下のくまが薄くなり、仕事においても積極的に動き、いくらか社交好きになった。胃腸の具合が悪くなり胃痛だとか下痢に悩まされることがなくなった。

禁酒は一週間続いている。たぶん、機会飲酒はするだろうけど、常飲はもうしないだろう。

時間がたくさんあるから、なにかを成し遂げたいという気持ちになっている。それでブログで毎日こつこつ書くかわりに、ひとつの作品を創ろうと思っている。しかしブログでなにか書かないと、気分がかなり落ち込むようである。うまく折り合いをつけよう。更新頻度は減るだろうが、あしからず。

8.25.2016

上に

自己に対して然りを言うこと、これは成熟した果実である。(「道徳の系譜」ニーチェ)
長い神経症の患いは消えて晴れ晴れと日々を送ることができている。これまでの私は、神経症の間にあっても、こういった幸福感を味わうことが幾度かあった。 しかしその都度私は絶望に叩き落とされた。今度だけは……と思っても、最後には絶望の谷が待っていた。

ただ今回はおそらく完全な解脱と言ってもよいのかもしれない。「嘔吐」風に言えば、「記すことなし。解脱した」。……いや、記すことはいくらでもある。

私は孤独や絶望や不安や神経過敏の良いところを知っている。それは偽の幸福から遠ざけてくれる。
地獄についてのふたつの考え方。ふつうの考え方(慰めのない苦しみ)。わたしの考え方(にせの完全な幸福。あやまって天国にいると信じること)。(「重力と恩寵」ヴェイユ)
この世には階層があるという気がする。一番に「にせの幸福」の世界、二番目に「慰めのない苦しみ」の世界、最後に到達する「解脱」の世界。平等主義のひとびとは、「階層化」することに抵抗を覚えるのかもしれないが、実際に人間によって下等・高等があることは事実であり、だれしもが認めることである(むろん社会的地位とは別)。

ニーチェも三段論法は好きだった。すなわち「ラクダ」「獅子」「赤子」というのがある。ラクダ。ひたすら現世の苦しみを耐え抜く。獅子。悪や弱者に向かって容赦なく牙を剥き、破壊する。赤子は……ただ、「然り」を発する。

最近いろいろな本を読んでいるがニーチェやヴェイユやマズローやドストエフスキーなど雑多であるがそれらはすべて同じ方向を目指していると思われる。それは人格の向上ということである。内的覚醒である。

「悟り」のようなものは、いくら文章で書いたところで、同じ覚醒者にしかわからない類であって、そのことは私自身の経験からもわかる。「重力と恩寵」とか、「マズローの心理学」のような本は、5年ほど前に読んでいたにもかかわらず、今読むと理解の度合いがまったく違う。「だれでも読めるが、だれにも読めない」。

覚醒といってもなにか大事を成し遂げたわけではない。「朝早く起きてしまったので風呂の掃除をした」。この些細な出来事が私には信じられない進歩なのである……。「酒を一滴も飲まずに自然な疲れによって眠りにつく」。これも、私には獅子から赤子への覚醒なのだ……(大げさか。そもそも、まだ駱駝から獅子の段階かもしれない)。職場において私は「自分から積極的にはたらき仕事をこなそうとする」ようになったのであり、これもとても大きな変化で……周りの人が驚いている。

つまり、私は意志そのものの体現者となった。意志を抑圧せず、自分の本当にしたいことをするようになった。「おいしいものが食べたい」「健康でありたい」「人に好かれたい」「性交したい」「きれいな部屋に住みたい」「みんなに認められたい」「幸福な生活をしたい」……これら人として当たり前な感情を、ひとびとが抑圧してしまうのは驚くべきことである……。われわれは、基本的な欲求を抑圧するよう「教育」されているのであり、その教育によって、われわれは自分で自分を抑圧することを学習する……。それは個人の願望というよりは、社会的・国家的な要請であるに違いない。

成長への人間の本能は、強いというよりもむしろ弱いものである。したがって成長への傾向は、悪い習慣、貧困な文化環境、あるいは不適当な(まちがってさえいる)教育といったものによって、容易に押さえられてしまう。(「マズローの心理学」フランク・ゴーブル)

つまり、支配者層の要請は「高尚なことなど意志せず、地道に働き、つつましく生きるのが幸福なのだ」と庶民に説くのであり、この教育は体系的な国家を作るには必要といえど、一般に強固な意志を持つ神経鋭敏者は、内的意志と社会要請のあいだの矛盾にわけもわからないまま悩み葛藤し、ついには神経症のようなこじれた人格を作り上げてしまう。

私は自分が哀れな神経症者であって、「同時に」なぜ芸術家ではないのかということを考えたものだった。自分の鋭敏な神経は芸術家向きのはずなのに、音楽の面でも文学の面でもまったく芽が出ないのはなぜか?と考えることがあった。

今考えればその理由はわかるのであって私は十分に意志を発現することができなかった。基本的欲求を満たすことなしにどうして芸術的な成果を出すことができるのか。ゴミを散らかした部屋で過ごしてどうして芸術作品の校正ができるのか。一般的な芸術家のイメージは汚い貧しい部屋で一心不乱に作品に打ち込むのであるがそういう彼も仕事が一段落すれば普通のひとと同じく掃除するはずであり、「何にも打ち込むことのない人間」がただゴミを散らかしているのとは、道理がまったく異なるのである。

私は芸術家と同じく絶望に苦しみ放埒な生活を送っていたがしかしそれは「産みの苦しみ」の代償ではなかった。私の苦しみは何も生み出さなかった。私は苦しむために苦しんでいた。それでやっと今はなにかに手をつけようかという段階である。

私はもうあまり恐ろしいことがないという気がする。たとえば私は平均以上に楽器がうまくやれるのだが、ライブなどで人前にでると萎縮してしまい「ありえないミス」を連発してしまうのだった。この「病的なあがり症」というのも神経症のせいだったのであり、いまは観客や奏者や音楽と一体感をもちながら演奏できるという気がしている。だから音楽や、文章のような領域でなにかしてみようとかと思っている。

「神経症だった私へ」などとどこかで聞いたことがあるようなタイトルの本を書いてみようか?という気にもなっているのだが、ひとまず私はまるっと変わってしまった世界にまだ馴染んでいないのであり、掃除や公共料金の支払いなど、身近なことを整備してから取り組もうと思う。

今日はSに会ってくる。



8.24.2016

母の呪い

裁いてはいけない。あやまちはすべてが同等なのだ。ただひとつのあやまりだけしかないのだ。すなわち、光を受けて生い育つという能力を持たぬこと。この能力が失われたからこそ、あらゆるあやまちが出てくるのだ(「重力と恩寵」ヴェイユ)
 Sと別れてから、神経症が大幅に改善されており、私にとっては信じられない日々を送っている。それと同時にアルコールを断った。日常は再び光を持つようになった。実に十三年ぶりだろうか。この十三年間、呪詛をまきちらしながら生きてきたが、自然に、まっすぐに生きられるようになった。私は何だかよくわからない奇形のような存在だったが、いまは十全なひとりの人間として立つことができているという気がする。

神経症の根本的な問題は、その症状にあるのではない。症状に執着するから、治療が遠のく。神経症の根本原因は、結局は、人生に対するattitudeの問題のように思われる。 成熟と独立への拒絶。

精神分析はあまり好きではないのだけど、どうやら神経症は他の精神疾患同様、親子関係や発育環境の影響が大きいようだ。私の場合では、母親が私の成熟を拒んでいたというふうに思われてならない。母親は私が成熟することを恐れていた。母は、父を憎んでいたのかもしれない?(離婚するくらいだし) 兄たちがみな成熟し父親のようになったことが、恐ろしかったのかもしれない。永遠の子どもたれ――と母は願った。その願いは無意識的だったかもしれないし、母にとってそれは善意だったのかもしれないが、ともあれ私はそのとおりに生きることになった。

私は母親に息子の人生を台無しにした責任を問おうというわけではない。それでも、母親が子どもに与える影響というのは、信じられないものだ!母親なんて、もう何年も会っていないのに、その母親が私をコントロールし続けていた。それはまるで強力な呪いのようだった。私は縛られつづけた。やるせない悲劇だ。地獄の沙汰も親次第、ということか。

岸田秀というフロイト派の学者がいてかれも神経症だったのだがその原因は母親であるとわかったとき症状が霧散したという。長いが岸田が治療に至るまでを転記する。
精神分析の本を読み、その理論を学んでも、それを自分の問題とは表面的にしか結びつけなかった。親子関係の問題は親子関係の問題として悩み、それとは別のところで、強迫症状に苦しんでいた。両者の関連に気がつかなかった。
強迫症状は、長い年月のあいだにいろいろなものが現われたけれども、最後には「本を読んではいけない」という強迫的禁止一本にしぼられていた。そのたびになぜこの本を読んではいけないかのもっともらしい理由がくっついているのであった。
しかし、ある日ふと、この強迫的禁止はわたしが自分と無縁な世界の人間となるのを望まなかった母の声がわたしの心に内在化されたものではないかと気づいたとたん、あれほど頑強だった強迫症状がまるで嘘のように消えてしまった。これは、いったん気づいてみれば、なぜこれまでこんなことに気づかなかったのかが不思議なほど簡単なことであった。(「唯幻論物語」岸田秀)
私の場合は「本を読んではいけない」という強迫ではなかった、どちらかというと「人と打ち解けてはいけない」という性質のものだったけれども、自然な生長や成熟を拒むという点では同様だ。

岸田のこの本を何年か前に読んだけど、まさか自分の神経症の原因が「母親」と私も思わなかったのであり、自分の母との関係がいたって健全であるというふうに今になるまで思っていた。「フロイト派の人はなんでも親子関係に結びつけるなあ」と漠然と思うだけだった。

母は私に献身的であったし、一般に「毒親」と言われる人とはほど遠かった。優しく、弱く、料理の上手だった母。しかしそのように理想化されていたからこそ、私は母親の呪縛から逃れることができなかったのだろう。私は母がただひとりの悪人であると思われない。成熟を拒む性質は私自身の問題でもあるし、母が私に呪いをかけたのも、ただ母にとっての絶望的な環境がそうさせたに過ぎない。岸田は神経症の原因が母であることを突きとめると、怒りに燃え母を叩き殺してやろうと考えたらしい。私がもっと若ければそう思うのかもしれないが、もうそんな風には思えない。

それだけにやるせない気分になる。私はようやく、神経症から立ち直ることができたというわけであり、それは幸福であるけれども、迷い苦しみながら過ごした十数年の重みというのは、大きいものがある。私はこの事実を背負って生きて行かなければならないと考える。







8.22.2016

神経症者の持つ才能

まじめなことばかり書いていたら疲れてきたので気ままに散文でも書こうと思う。

酒をやめたら身体がしゃっきり動くようになりまた視界がクリアになった。中島らもが禁酒したときに「世界が鮮やかに見えて楽しい」というようなことを言っていたが同じ感想である。勤務中に眠くてしかたないということはないし、同僚と会話するのがめんどうで上の空ということはない。いつも昼休みは中盛り程度の弁当を食べてぐっすり寝てしまう、という状態だったが、今日はパン二つ程度の軽食で、あとはコーヒーを飲みながら音楽を聴いて過ごした。それで午後もしっかりと身体が動く。

職場の人間は、Sがいなくなったら私が意気消沈するのではないかと心配していたらしいが、反対に私が生まれ変わったように仕事をこなすのを見て、驚いたようだ。実のところ私自身驚いているのであり、ふつう恋人と別れたときは意気消沈するものなのだが、私にはそれがなかった。多少の痛みはあったが、すぐに気にならなくなった。バカな男のようなことを言うが、私はSと深く結ばれており、遠く離れていったとしても、根底においてつながっているように思われる。

神経症はやはり快癒に向かっていた。職場においても私の神経症は悩ましい存在だったが、今日の私は神経症ではない「まともな人」のように、ごく普通に仕事をこなしていた。まあ私はもとから「まともな人」だった。そのことに気づけないから、神経症だったのだ。

私は自分を異常者だと思いつづけた健常者に過ぎない。私は異常者でありたかったのだと思う。そうすれば私は厄介ごとから逃れられるからだ。

もちろん私は何度も神頼みのような真似をした。その願いは真剣そのものだった。この病を治してください、神経症さえ治れば私は幸福になれるのです、と。苦しくて布団を噛みながら嗚咽した夜もあった。この神への願いは10年以上続けたが、しかし、神は私を救わなかった。健康な人間が治癒を望むこの喜劇!万能の神にも「救いようがない」ということがあるのだ。

それで身体の調子よく精神的にも健康という状態である。なにか物事をはじめようという気持ちになる。



風呂でニーチェを読んでいると、たとえば彼の対比させた「ローマ人⇔ユダヤ人」とか、「アポロン⇔ディオニュソス」、「よい・わるい⇔善・悪」、「超人⇔末人」などの用語の対比が、自分の精神状態の分裂によく似ているように思われる。

仮面としての自己、自然な生としての自己が私のなかにあり、長く仮面的自己が自然な自己を圧倒していた。形式主義的、理想主義的、「こうでなければならない」という強迫的な行為を意志する「仮面的自己」というのが、ニーチェの言葉でいえばアポロン的・ユダヤ人的・善悪道徳的・末人的な自己だったのだと思う。それで、私はこの末人的傾向をようやく克服できたのではないか?と思っている。
生あるところ、ただそこにのみ意志もある。ただし生への意志ではない。そうではなく――わたしはお前にこう教える――それは力への意志なのだ。
それぞれの力の中心から発するより強くなろうとする意志、これだけが唯一の実在である――自己保存ではなく、わがものにし、支配し、より大きくより強くなろうと意志すること(Mehr-werden-,Starker-werden-wollen)
さて「末人」をwikipediaで調べるとこうある。
末人(まつじん)とはフリードリヒ・ニーチェによる哲学によって用いられていた概念である。ツァラトゥストラはこう語ったで述べられ、超人の対極にあり最低の軽蔑すべき者とのことである。末人というのは社会において生きる大多数の中流市民でもある。彼らは病気になることと疑うということを罪として考えて生きている。そして互いが摩擦を起こさないように、ゆっくりと歩むようになる。彼らは貧しくもなく富んでもおらず、これらはいずれも煩わしいものであるとされる。人々がこのようになれば、人々を統治しようと誰も思わなくなるし、他人に服従しようとも誰も思わなくなる。人々がこのようになれば社会には牧人はいなくなり誰もが平等であり、誰もが平等を望む社会ということでもある。末人の生き方というのは、ひたすら安楽を求めるということである。社会においての最高価値が信じられなくなりニヒリズムが広がってきたならば、人々は頑張らなくなり創造性を欠いた安楽を求める人間ばかりになるということであり、このような状態になった人間というのが末人ということである。
よく考えてみるとこの「末人」とは匿名掲示板でよく見られる人物であり、そうして匿名掲示板は究極的に「平等な社会」である。金持ちも貧乏人も智者も愚者も一個の発言者でしかない。

さて神経症者の理想は「安楽」である、と言えると思う。不安や苦痛から一刻もはやく離れたい。「ふつうの人」となり、安心して生活したい。「世間一般の幸福を目指す」これは一見自然な感情ではあるけれども、しかしニーチェによれば「最低の軽蔑すべき者」ということになる。

神経症者はまず平凡な人間になりたがっている。……ここでコリン・ウィルソンの言葉を思い出す。
「アウトサイダー」は何よりもまず「アウトサイダー」たることをやめたがっている。といって、「アウトサイダー」をやめてあたりまえのブルジョワになりはてることはできぬ。いかに前進するかが、彼の問題でなければならぬ。(「アウトサイダー」)
コリンの言うとおりであって、神経症者のひとつの誤りは、「大多数の中流市民」に憧れることである。それは怪物が人間に憧れるようなものであって、野獣が人間になったとか、人間が豚になってまた人間に戻るとか、そういうことに意味はないのである。怪物は怪物のまま生きるのが正解だ。

それでもこの市民社会においては、そういった「中流市民」が理想化される。それはオルテガの批判した大衆主義でもある。社会的・国家的・宗教的なイデオロギー教育によって我々は大衆であるべきと洗脳される。たとえばわれわれのだれが「サザエさん」のような家庭を否定できるだろうか?まただれが「平等主義」を否定できる?

神経症者が理想とすべき人間は、一般人よりもう少しましな存在でなければならない。「成熟した人格者」に会わなければならない。しかしその人格者は、決して多くないように思われる。

大多数の人間は「安楽」を求める。安楽とは「動かなくてよい状態」であり、それは生のはたらきではなく、もはや死への衝動であると言えるだろう。

神経症者は根本的には、末人であるようにできていないように思われる。「力への意志」を持つべき存在だと思うのである。その才能をうまく開花させなければならない。
<天才とは狂人である>...私がこんなばかげたことを言ったと思われている...そんなことはない、天才はまさに天才であり、狂人はまさに狂人である。これはまるで違うことだ。私が言ったのは、天才と狂人は同じ器質的起源を持っているということなのだ。
天才と狂人はひとつの幹から出る。遺伝によって体質のうちにあったり、先天的法則によって完全に作られた「同じ器質的条件を伴っている」。それらの条件は個人のその後の展開によってさまざまに変容するが、時に狭義の神経症、また時に知的突出を、ある者には痴愚や狂気、またある者には非凡な知的・精神的能力といったものをもたらす。そしてほんの少数の者のうちに知的ダイナミズムの最高度の表現、すなわち天才をもたらす。(「創造と狂気」フレデリック・グロ)
私は狂人が天才になることはあると思うし、その反対もあると考える。

神経症の治療に「作業をし続ける」ことがほとんどゆいいつの効果的な方法(森田療法)であるのは、作業がとりもなおさず生の本来的なあり方の模倣になるからである。無心になって草をむしることが、人間の本来の生のあり方を教えるのである。人間の目指すべき「理想状態」とは、どこか天国のようなところに安住することを意味するのではない。そんなところは死んだあとにゆけばよい。生きてある限り、われわれは力を志向し続けなければならず、それは理性の挟むことのない衝動の連続なのである。

神経症者の病理的な錯誤は、本来的にひとより優れている人間が、平凡な人間を理想化し、それに同化しようと試みることにあるのではないかと思う。神経症者はわざわざ自分を低い存在に合わせようとする。それが「社会的な要請」なのである。しかし神経症者のエゴは、これを否定する。この分裂が、神経症の症状として表出するのではないかと私は考える。

だから、神経症者は本来は才能ゆたかに生きることが可能だった「もったいない」人々だと言えると思う。昔、下のような記述を本で読んだとき、反発したものだった。
芸術家はより強固なエゴの強さを持っているという点でも一般人とは違っている。ことばを換えていえば、芸術家は自分の精神病理によって一般人より大きなストレスに苦しむかもれないが、彼らはより優れた制御器官を持っているのであり、神経症や精神病には他の人と同様かからないし、かかってもたぶんほかのひとと同程度なのである。(「創造のダイナミクス」 アンソニー・ストー)
神経症である私が、劣った制御機関を持っているとは思えなかった。また、私は神経症が一生治る見込みがないと思っていたし、神経症のまま社会的な成功をするつもりだった。だから神経症者が芸術家になれないということが、信じられなかったのである。

しかし今では、神経症者が「天才のなりそこない」であることがわかるし、感情の制御に「劣っている」ということが理解できる。長くなったが、今日はここまで。ただ日記を書こうというつもりが長くなった、酒をやめると集中力がつくようだ。

依存の回路

仮に注意を張り詰めて、むさぼるようにしてすべてを観察したところで、所詮自分の鼻先で起こっていることでさえ、多くを見逃すことだろう(「死の家の記録」ドストエフスキー)
アルコール中毒にせよ、神経症にせよ、根底にあるのはある個人の未熟さと、目を閉じたがる傾向にあるのだと思われる。

ひとは幸福を求めるという人があるけれども、私は精確には、ひとはだれでも生長を求めるものではないかと思っている。生長、それはニーチェの「力への意志」そのものである。つまり「生きている間に、できるかぎり最も良い所へ昇りつめようとする努力」のことである。そうしてこれは、意志であると同時に、生命そのものであるとも言える。

神経症者は、ひとつの回路を形成する。ネズミの回し車のようなもので、いくらその回路のなかをぐるぐる回っていても、一歩も進めない。動いたような気がするが、徒労でしかない。何にもならない活動に疲労し、「私はまじめにこなした」と自分を慰める。私はようやくわかったのだが、神経症とは、ひとつの依存症である。アルコール中毒は酒に依存するのだが、酒の常習性が認められるにせよ、結局のところ、内面の未熟によって依存するのである。神経症は、行為に依存すると言える。

例えば医療麻薬としてのモルヒネは、疼痛緩和としての使用であれば、依存性は医学的には認められない。これを未熟な人間に与えると、即座に依存症を起こす。同様のことが酒にも言える。社会生活を送っていれば飲酒する機会は何度も訪れるが、だれもがアルコール中毒になるわけではない。毎日酒を飲み、徐々に酒量を増やし、最後に破滅するのは、依存傾向の人間である。

だから酒が悪いのではなく、問題は自分にあると認めなければならない。

神経症は行為に依存する。行為というか、回路である。赤面恐怖症は、とうぜん赤面することが問題なのではない。「赤面した→恥ずかしい、どうしたら赤面しないのか→赤面しないよう努力してみよう→それでも、赤面した」そうして最初に戻る。この回路のなかを神経症者はぐるぐると回る。森田療法ではこれを「とらわれ」と言うのだが、私はこの回路に依存する傾向は、受動態で表現すべきではないように思われる。この類の回路はだれでも経験することがあるけれども、アルコール同様、だれしもこれに「依存」することはない。神経症者は深層心理的にこの回路を求めている。だからとらわれるというよりも、逃避しているのである。

神経症者の精神は分裂しており、片方はニーチェの言う「力への意志」を求める自然な人間的精神があり、片方は理性的・社会的な仮面としての自己があるように思われる。そうしてこの理性的な仮面が、自然な人間的精神を抑圧していることから、神経症が発症しているように思われる。

これは私自身の経験から言うことだから、一般化はできないかもしれないけど、神経症の根底にはこの「力への意志」の否定、ルサンチマン的な「生の否定」の感情が強力にはたらいているように思えてならない。

自然としての自己は生長を求める。回路を破壊し、前進しようと試みる。理性的な自己は、これを阻止しようとする。自然としての自己は、他者と自然な交友関係を作ったり、夢目標に向かったり、課題や義務をこなそうとする。理性的な自己は、これを抑圧する。

さて理性的な自己がなぜ生長を拒むのだろうか?この点はいちがいには言えないけれども、私は親子関係にあるのではないかとにらんでいる。私の例で言えば、私の母親が私に「永遠で子どもでいてほしい」と願っていたように思われる。

はっきりとそう言えるエピソードはないのだが、母親は家庭内で孤立しており、末っ子である私に依存気味だった。私には兄が二人いるのだが、その兄はふたりとも反抗期を迎えており、母親には辛辣に当たった。祖父母はもとより母親と妙な距離感をとりたがる人だったし、儒教的・家父長主義的な父親は母親との関係よりも祖父母との関係を優先した。

それだから、母親が私に「永遠の子ども」たるよう望んでいたと、今では考えることができる。



長くなって仕事へいかなければならない時間になったので、ここまで。調子よく書けているので、仕事終わりに続きを書こう。

依存傾向のある人間に必要なのは、回し車を回し車と認識することであり、また自分が前進することよりも、回路の中を回りたがる傾向があることを、自認することである。そうすれば車はどこかへ消えて、前進することができるのだと思う。

8.21.2016

アルコール依存への訣別

この二年間アルコール依存気味であり、毎日酒を飲んでいた。就職して一か月ほどは、酒を飲まない日があったものの、それが過ぎたら酒を飲まない日はないというようになった。

酒量はというと、基本的にはビールを1リットル飲んでいた。それで飲み足りないと、ワインを半分とか、ウィスキーを一杯とか、缶チューハイを一本とか、そういう飲み方をしていた。この酒量は客観的に評価すると、中軽度のアルコール依存者の量になるのではないかと思う。周りの人に普段これだけ飲んでいるというと、驚かれることが多かった。それでも私は節度をもって酒を飲んでいると思っていた。吐いたり、記憶を失ったり、転んで怪我したり、ということはなかった。せいぜい翌朝、すこし頭痛がするとか、眠りが浅くなったりというくらい。

酒との付き合いは中学生の頃から始まる。そのときは味の良さもわからなかったが、高校のときから日常的に酒を飲み始め、高校卒業くらいになるとすでに常飲していた。酒量はビールを1リットル。その習慣は大学もずっと続いた。ただ金がなかったので、チューハイや安焼酎など質の悪い酒を飲んでいた。

両親はふたりとも常飲者だった。依存症というほどではなかったと思うがかなりの酒好きで、毎晩飲酒していた。両親の赤らんだ顔と酒臭い吐息を私は思い出す。祖父も酒好きであり、唯一祖母は飲まなかった。

そんな家庭だっただけあり私は「仕事終わりの酒」の習慣のない家庭が信じられなかった。テレビでは酒のCMがやっているし、コンビニやスーパー、至る所で酒は売られていた。大学生はみな酒を好むものだと思っていたから、私は同級生をしつこく飲みに誘い、閉口させた。まあ実際酒好きの大学生は多かったけど、常飲者はほとんどいなかったのではないかと思う。

田舎に就職したあとはこれといってすることはなく、大いに酒を楽しんだ。仕事が終わると、まずは冷えたビールを咽喉へ注ぎ込んだ。酒を飲んでしまえば、有意義な時間の過ごし方はできなくなる。本を読むこと。楽器の基礎的な練習に取り組むこと。掃除や支払いなどの雑用をすること。車を運転してどこかへ出かけること。だれか他人のことを考えること。将来のことを考えること。……結局、私は「先送り」したかったのかもしれない。無為の時間が怖かったのかもしれない。

何もすることがなくなったら、私は何をすればよいのか?

漠然とした不安が私を日常的に捉えた。酒さえ飲んでいれば脳味噌を麻痺させることができ、ネットのくだらないゲームや動画を痴愚のように楽しむことができた。それで私は内面的な要求から目を逸らし続けた。

今朝も書いたことだが、神経症の私の自己は分裂していた。仮面的な自己が本来の自己を抑圧し、それをないものとしていた。無為の時間、余暇の空白、そういった時間は、仮面的な自己にとって恐ろしかったのかもしれない。そういった時間は、本来の自己があらわれる危険がある。自由なときにこそ、人間の自然な欲求が沸いてくるのである。

本来の自己が望んでいたことは、生長なのではないかと思う。本来の自己の欲したはたらきはまさしくニーチェの「力への意志」だった。それは部屋掃除とか公共料金の支払い、知人との和解や楽器の練習、なんでもいい、とにかく人間的な前進を試みる意志だった。その意志は永続的に動き続け、人間の活動の根源であり、生そのものだった。その意志を、私は封殺し続けていた。

話が脱線したがとにかく私は無為を恐れ、そのために酒を飲み続けた。そのおかげで私の余暇の時間は暗く密度が薄かった。私は独りであることが不快ではなかったが、それはいくらでも酒で時間を殺すことができたからだった。私には友人はなく恋人もなく、それでよしとしていたし、あらゆる社会的な義務を放棄していた。私の学校の成績は悪いし、私の会社の勤務態度はよろしくない、税金や公共料金の支払いが滞っていた。それでも私は酒を飲んでいればそれらを忘れることができた。

Sと働いているとき、私が「疲れた」「眠たい」とよく口に出すのを聞きとがめ、「酒を辞めてみてはどうか」と注意したことがあった。他の要因もあったがそれがきっかけにかなりの大喧嘩となった。ただSの言うことも正しいだろうと思い、一日酒を飲まないことにした。その短い禁酒は、一年ぶりのことだった。喧嘩は結局Sが譲歩するという形でおさまった(やはりSは大人だ!)ので、私はまた酒を飲み続けた。

しかし仕事に対してまじめになれず、生活も荒廃しているのであれば私はやはり酒を飲みすぎていたのではないかと思う。Sの言うことは正しかった。私は神経症の偽りの病気に執着・依存したように、酒に依存していた。それも目の前の課題や仕事から目を逸らすためだった。

今は酒を辞めて二日目だが飲酒欲求はあるもののコーラやジンジャエールを飲んでごまかしている。とくに幻覚、震顫など禁断症状はなし。ただ食事をまったくとる気がおきず体重が落ちている。

生活をまともにする、前進する、人格を成熟させる、といったことが最近の目標であって、アルコール依存からの離脱はぜひとも必要なことであり、達成させたいと思っている。私は自分の依存的な精神を、改善しなければならない。

神経症の治癒の記録

長かった混迷の時間はすぎて、ようやく救いに達したような気分。

これまで私は、どれだけ自分を探ることに時間を費やしただろうか?自分、自分、自分……。さて、自分をどこに置いてきたのか……。

14歳で神経症になってから、自分はどこかへ消えてしまった。私は何を望むのか?という根本的な事柄が、もはや理解できなかった。私は身動きがとれなくなった。そうだから、私の願望は世間一般の欲望に向けられた。友人の数、セックスの回数、高い学歴、高い収入。とりあえず私は自分がそれらを求めている、と思い込み、十年間それを追い求めた。しかし私は根本的に満たされることはなかったし、あいかわらず自分が何を求めているのかよくわからなかった。

大学でほんとうによかった出会いは、楽器と、読書と、書くことに出会えたことである。これらがなければ私は内的葛藤の蓄積によって破滅していたのではないかと思う。

私の自己は分裂していた。14歳のときに、私の自己は分裂した。それまでの私は自分がひとつだけであった。それだから、私は自分が何を求めているかに確信があったし、私は多少過敏で独創的なありふれた子どもでしかなかった。――私にはまだ地面があった。

それがどういうわけか、私は「自分を封印しなければならない」という衝動にとりつかれたようだ。私は14歳以前の自然で充足していた自己を、精神の奥深くに抑圧した。それで新しい自己を手に入れる必要があった。私は新しい自己を手に入れたわけだが、それが必要だったのは、当時意地の悪い女子生徒に陰口を言われていたせいかもしれないし、両親の関係が日を追うごとに悪化していたせいかもしれない。

もっとも思春期はだれしも内的な葛藤に悩むものだろう。社会的要請と自己の願望とのコンフリクト、肉体的成熟にともなう、自分の劇的な変化になんとか折り合いをつけること……。多くの人間がこれらの仕事を達成し、まともな、成熟した人間に成長する。

神経症としての私は、自己内の矛盾を克服できなかった。それだから、14歳の自己を封印し、新しい自己を作り上げることにした。しかし新しい自己はうわべだけ取り繕った出来損ないであり、仮面でしかなく、人間のもっとも根本的な内的な感情や衝動が欠如していた。私はしかしこの出来損ないこそが自己なのだと信じていた。

14歳の自己は、27歳になるいままで、ずっと生き続けていた。その自己はずっと解放を求め、人生を自分のものとして取り戻そうとしていた。私はその声を無視しつづけていた。その間の私は、自分が何をしたいのかわからないまま、浮動して生きているよくわからない人間だった。私の10年は悲しみと絶望に彩られていたが、その理由がわからないままただ困惑し傷ついていた。「なぜ私の人生はこんなにも悲惨なのか?」、私はどうしてこうなったのかわからなかったが、なぜなら私は自分がなにをしたいのか、ずっとわからないまま生きてきたからだ。

神経症は私を悩ませ続けたが根本的な問題ではなかった。しかし私はそれを重大問題だと思い続けた。私の十年間はそのことばかり考え続けていた。なぜ私はまともではないのか?私が異常なのはなぜか?私の異常性は神経症にあるのではなかった。神経症は仮面的な自己が作りだしたスケープゴートでしかなかった。

私に欠如していたのは自分の精神だった。自己の自然な願望だった。14歳のときに置いてきた生身の自己だった。

大学の時読書に目覚め、それから心理学や宗教、哲学の本を読み漁った。なかでもニーチェに心惹かれた。それというのも、ニーチェは形式主義を批判し、大地に生きる、無意識に目を向けることを主張したからだった。それは私にとっては、14歳の自己に目を向けることだった。それこそが私に必要なことだったのだ。ニーチェは「心理学者」と自称したが、なかなか食えない奴である。また禅や神秘主義にも心惹かれた。それというのも、これらは本来の自己と向き合うことを要請するからであった。

毎日楽器をやること、芸術に触れること、日記を書くことや、読書によって、20代前半になってようやく、神経症はましになっていった。思えばあの頃から少しずつ治療が始まっていたのかもしれない。私は自分の内心を音楽や日記にぶちまけていった。もっともそれはだいぶ的外れなことがあったが、しかし必要なことだった。

だんだんに14歳の自己は底からあがってきた。遠くからささやかな声が聞こえ始めた。27歳、職場にやってきた後輩のSによって、その声は認められた。当時は気づかなかったが、いま考えてみると、S以外も私の内心の声に気づいた者はたくさんいたと思う。しかしわざわざそれを救うということをしなかった。救おうという奇特な人があったかもしれないが、それはことごとく失敗していた。

Sは私の汚泥のような心に、腕をつっこんだ。27歳の4月から8月までの4か月、おおがかりな治療だった。そうして14歳の私を引っ張りだすことに成功した。この顛末は、最近書いたことである。

私はようやく、かつて置いてきた自己と対面した。仮面としての自己と、本来の生である自己はまだ打ち解けず、気まずそうだ。14歳の自己は、憤りと苛立ちを隠せないものの、ひさしぶりの空気と明るさに喜び、私を許そうとしている。いずれは和合しなければならない。時間をかければよいと私は思う。いくらでも時間はある。

8.20.2016

神経症の病理

病気にかかったのはあなたの責任ではないが、現在病気を治すのはあなたの責任です。あなたが私にはできませんと言ったら、あなたは自分をのけ者にしているのです。身体がどこもこわれていないかぎり、他の普通の人ができることは何でもできるのです(アブラハム・M・ロウ)
 神経症のcriticalな部分について、いろいろ考えていた。その根本原因は、神経症者の未熟さ、具体的には自分の内的な問題から目を逸らそうとすることにあるのではないかと思う。

「この苦しみはだれにも理解できない」というのが神経症の苦しみであり、その孤独感とあいまって絶望的につらい症状ではある。神経症者であればだれでも人生に絶望するような時間を味わっていることだと思う。そうして絶望に陥らせた「神経症」に執着し、そのことによって余計に神経症が悪化する。この絶望と執着のサイクルとが、神経症を泥沼化させる。

自分の苦しみは世間一般の苦しみとかけ離れていると独断し、孤独にひきこもり、他者を拒絶し、あたりまえの価値観を受け入れられなくなる。つまり、世間のひとびとが仕事や学業の困難に立ち向かい異性との関係に悩んでいるようなときに、神経症者は神経症を治そうとあらゆる努力を試みているのである。神経症者は、神経症の問題がとりあえず片付かなければ、恋愛や仕事のような「本来なすべき事柄」に真剣になれなくなると考えている。

実のところ神経症者は神経症に甘えているのであり、神経症を克服すべきだとは思っていない。ここが神経症の問題の核心部分だ。神経症者は治療をこころから熱望しているように見えるし、彼らも自分でだれよりも救いを求めていると思っている。人生を破綻させたこの病を、一刻も早くやっつけなければ。

しかし彼らは、あまりに長い時間を神経症に費やしてしまった。さらに彼らは人生の短くない間のさまざまな大問題から、目を逸らして生きねばならなかった。もちろん彼らはそれらの原因を、神経症のせいにしてきた。……まあ神経症者が人生のあらゆる失敗や不満や憎悪を神経症に向ける技術は芸術的でさえある。

そうだから、彼らがなんらかの「治療法」によって神経症を克服したとすれば、今度はそういった大問題がふりかかってくる。人間関係のこと、仕事のこと、ほったらかしにしてきた夢。

それら大問題は、けっして容易ならざる問題である。というのも、神経症はいくら複雑だろうと個人の内面的な問題でおさまるのであるが、こういった「本来の問題」というのは、ひとと関わること、社会とかかわることにあるのである。

ここまでくれば、神経症者の内的な問題面が見えてくる。単純に言ってしまえば、神経症者は社会や他人と関わることを恐れているのである。だから個人的・内面的な領域を出ない神経症に執着し、拘泥するのである。

俺の神経症は――と言う人があるだろう。俺の神経症は相手の眼が見れないという症状だ。人と対面すると赤面するというものだ。だから対人的な問題に悩んでいるのだ。そんなことはわかっている、と。

実際のところ、赤面しようが目を合わせなかろうが些末な問題だ。むろんその些末な問題に病的に執着するのが神経症というものであり、「そのせいで社会的な関係を構築できない」と対人恐怖的な神経症者は言うのであるが、何のことはない、彼ら自身が「社会的関係を自分からぶち壊したい」と願っているのである。

目の動きも、赤面も、しょせんは自分の肉体的な変化であり、「これさえよくなれば他人とうまくやっていけるのになあ」と、「自分の個人的な欠点」にのみ目を向けようとする。だから結局「他者」や「社会」といったものに背を向け、自分の問題だけ扱っていたいのである。この逃避と独断のプロセスが、神経症を持続させる基本的な原理である。

神経症者に他者は存在しないし、自分と相手の関係に目を向けることもない。彼らはそうした考えを抹殺してしまう。それは「厄介ごと」で「手に負えない」と内心では思っている。神経症者はめんどうなことを投げ出してしまう子どもなのである。神経症者は社会的な事柄から逃避してきたため、精神的に未熟だ。そうして潜在的に抱え込んでいる人生の課題は、膨大な量である。そこから動けないジレンマが、神経症者を釘付けにする。時間が経てば経つほど、余計に状況が悪くなる。神経症は地獄の苦しみだと言うが、これは事実である。

実際のところ、人生の充足感は社会や他者との関わりからしか得られない。だから神経症である以上、人生は空疎になる一方だ。

まずは自分の未熟さを自覚すること。神経症者が逃避していた間に蓄積した人生の大問題は、徐々に片付けていくしかない。足元から少しずつ、というわけであり、たとえば森田療法の作業療法が有効なのはこの理由によるのである。神経症者に必要なのは、少しずつでいいから、問題を片付けていこうという気持ちである。私はそのように考える。


長くなったのでここまで。神経症が改善傾向にあるので、ついでに酒もやめてみようと思っている。

神経症と「悟り」

神経症である自己の、本質的、内的な部分について、しっかり向き合ってみようという感情がわいてきた。Sと別れたことによって、私は自分のなかの歪みを見つめる機会を得た。

神経症の克服が困難なのは「治そう」と思うと治らないという逆説的な状況にある。神経症者がその苦痛に悩み、それを改善しようと思うほど改善が遠のく。であるから神経症の治療には一種の「悟り」のようなものが必要である。森田療法はこの考えを取り入れて、「あるがまま」の状態を目指す。神経症の苦しみを自分の一部として受け入れ、受容し、それを拒絶しないということ。

考えてみると私は14歳のとき神経症を発症してから十余年この症状をなにか外的な困難かのように考えてきた。それは交通事故の障害のように、不幸な偶然により自己に舞い降りた悪魔のように考えていた。私はこの悪魔を追い払えばほんとうの自己になれると信じていた。だから私は悪魔祓いの儀式をいろいろとした。まあいろんな悪魔像を想定しその弱点を見極めやっつけようとしてきたわけだ。

そうしてこの悪魔に苦しめられている自分は本当の自己ではなく、「本来の自己」は順当に友人や恋人に恵まれ、まっとうに成長していたはずであり、現在の自己は「そうあってはならなかったもの」であり、はやく正当な自分に戻らなければ、人生は台無しになってしまう、すでに十何年も「無駄に」してしまった、と思われた。この長い年月の重みが、私にはたいへん腹立たしく、苦々しく思った。私の人生はこんなものではなかった、悪魔に台無しにされてしまった、と考えていた。

いまでは上のような考えは、バカらしく思われる。だいいちにこの悪魔は自己のこころの外側にあるものではなく私のこころの病巣である。悪魔を追い出す必要はなく私に必要なのは病巣に必要な処置を施し栄養をあたえ「いたわる」ことであった。私は自分を殴ろうとしてひっくり返る酔っ払いのようだった。私は胃が痛むから胃を切り取ってしまおうと試みるバカ者だった。悪魔は私の一部であり、さらに「必要な」一部だったのだ。

それだから神経症に苦しんだ年月というのも、実の私の人生であり、それ以外はありえないのだと今では確信できる。そんな簡単なことに、何年も気づけなかったのだから、やはり私はバカなのだろう。

私に必要なのは、この十余年を慈しむこと、大事な財産にすること、攻撃し排斥していた自分の一部を今度は大事にしてあげること。「私は愚かだった、でもそれは必要だった」と思うこと。

ここ最近は神経症は軽減しており、それというのもSが私に自己肯定感を与えてくれたからだと思う。離別した今となっても、Sはやはり聖女のようであり、偉大な、「おそるべき女」であり、私にはまるで信じられない存在である。

離別の前に、Sはさんざんに私を罵倒し説教したのだが、その最後の一撃が、神経症の迷妄に悩む私を、がんじがらめになって身動きのとれない私を、なんとか救い出してくれたのではないかと今では思っている。

私は、私自身によってからめとられ、私は14歳のままで、まるで身動きがとれなかった。私の十余年は、死んだように沈黙していた。それでも、かすかに声を発していた。だれかに気づいて欲しかった。私はといえば、愚鈍なバカのようになににも気づかずに、自分を殺して生きてきた。Sはさぞ「困難な」人間だと思ったことだろうと思う。それでもSは私の内心の声に気づき、拾い上げ、腕をつっこみ、私をひっぱりだしてくれた。多少の血は出たし、傷ついた部分もあった。それでも、私の治療はSの目論見どおり、成功したのではないかと思われる。

ここまで書いてみて――神経症が治るのだろうか?
ちょっと信じられないような気分だが。もう少し様子を見てみよう。

今日は楽器をやりに出かける。あとは、図書館で本を読もう。

8.19.2016

Sとの別れ

そういうわけなので、Sとはほとんど完全に離別ということになった。Sと別れて、10分程度してから今これを書いている。まあもともと恋人ではないのだが、私が心を許し、人間を信頼したほとんど初めての人間と言うことができると思う。

離別の苦しみ、仏教でいうところの愛別離苦は、おそらく黒い波となって私を襲うのだろうと思う。その予感はいまからしている。愛別離苦にあって、ひとは平静にいられるものではない。それでもこれを乗りこえなければならない。私はバガヴァッド・ギーターが好きだ。「失敗も成功も、同一のものと見よ」。どちらに転んでも、神は私の胸の内にある。喜びに震えるときも、悲しみに凍えるときも同様である。

孤独と自由と、冷たい皮膚感覚と、鋭敏さが私には戻ってくるのだから(それは保証されている)、まあ良いといえばよいのだが、私が真に問いたいのは、私はこのような人生を望んでいるのかということだ。また人類は、このように生きるべきなのだろうか。知恵の実を食べたことからアダムとイブは楽園を追放された。

孤独と血の痛みが知性を育む。そうだから人は禁欲なり苦行なりをせんと試みる。そのようにして智慧は得られるのだろうか。そのように得られた智慧は良いものなのか。ドンファンと聖者は同一か。互いに愚者という意味において? 私にもうすこし知恵があれば、Sと別れることはなかっただろうと思う。

実際のところ、原因は私にあったのだ。それは神経症ということが原因でもなく、私がブサイクでハゲとかでなく、私が単に愚かだったのだ。それだから、Sのような特異な人間を、伴侶とすることができなかった。

私は喜びに溺れすぎた。愛する人間ができたという歓びに、知性の光をにぶらせ、それで良しとしてしまった。それでSは私の愚かなところに、愛想が尽きたのではないかと思う。私はSのことを信用している。Sが間違うことはない。間違えているとすれば、私の方だろう。

歓びに動じず、また悲しみに動じず。前者は失敗したのだから、後者は耐え忍んでみよう。

愛する人間との関係が断絶するということには、肯定的な意味もあるはずである。私にはいま、深い悲しみしかないけど。なんとか光を探すような状態?

旅に出るには、良い時期になった。異国の、乾燥したよい空気を味わいたいという気持ち。折よく、会社には新入社員がちらほら入ってきたから、そろそろ辞められるのかもしれない。

なんだこのおっさんは、誰とも長続きしないな、とこのブログを読んでいる人は思うだろうが、それは正解だ。私は人として未熟なのだろう。



There will never be another you

今日でSは職場からいなくなり、退職ということになる。すぐにSはこの地を発つので、もうしばらく会うことはないだろう。喪失感というものは確かにあるのだが、今日いなくなることはわかっていたのだし、受け止めるべきなのだろう。

Sとは5月ごろから恋仲のような関係だったけど、もうそれも終わりということだ。私はだんだんに襲われる痛みの予兆を感じてはいるのだけど、それがどれだけのものかはまだわからない。指を切ったそのときは痛みがない。しかしその痛みは、ずっと続くのである。

おそらく神経症の私には、持続した恋人というものはあらわれないのではないかと思われる。このような事情と予感が、私のスキゾで回避的な人格を形成したのだとは思うが、このような人格にどうやって折り合いをつけるべきか。私は自己を改善すべく、現在の自己を吟味批判し、努力すべきなのだろうか。私はもう自分をこのようなものだとあきらめをつけて、孤独に生きていくのか。

Sは私の人格をかなりの部分で改善することに成功したように思われる。それはけっこう大がかりな治療だった。水商売をしていたときのSに、何百万円も費やす客がいたというが、その気持ちもわかるという気がする。おそらくそういった治療は、Sのような特殊な人間にしかできないからだ。一種の神がかりと言ってもいいかもしれない。功利的にいえば、私は実にリーズナブルにSの治療を受けられたということもできる。

私のすべきことを冷静に見つめてみると、やはりもうすこし真剣味をもって学究として取り組んでいく必要があると思った。宗教、哲学、医学、歴史、科学全般……。あとは音楽もまた熱意をもってやろうと思う。孤独はそのための好機である。孤独からたまには抜けださないと、孤独の味もわからなくなるものだ。

8.18.2016

十分生きたおじさん

と昨日書いてみたがSは単に私との関係を断ちたいのかもしれないと思った。Sは今週で仕事を辞め、都市の学校へ行く。時機としてはちょうどいい。

まあそれで良いのかもしれない。私がSから得たものはたくさんあるのだし、一時はSと結婚しても良いという考えもあったが、私はまだ何も為していないのであるし、私にももう少し孤独の時間が必要であるから、この際Sとの関係をなしにしてしまうのでもよいと考える。

当然ながら、それは離別の苦しみを孕んでいる。Sが他の男を抱くということがあれば、嫉妬心のようなものが湧いてくる。しかし私はもう、何物にも執着しないのであるし、私はSの精神性を評価しており、精神的に通ずるところがあり、離れていったとしても、ユングの集合無意識的には連帯しているのである、だからそれでよいのだろう。成熟した人間は親や兄弟と必要以上に関わらないものである、それは別段離れていても関係性が持続するからである。Sとの関係も、それに近いものがある。

Sは最初から最後まで医師のようであり、功利的な医師はさっさと患者を治さないものだが(食い扶持がなくなるから)、Sは熟練した腕で劇的に私を治療し、私を立ち上がらせ、世界と向き合えるよう整えてくれた。私は独立して、医者も母親も教師も、必要なくなったというところか。Sによって、私は他者と和合することを知った。他者と涙を流すことを知った。他者と持続的な関係を築くことを知った。いたわりと、注意深さを知った。他人のこころに干渉することを知った。私に欠けていたものだ。ひとはいずれも、人生のある段階でこういった事柄を知るのだろう。私はとても遅くに、これらのことを知った。

いずれにせよ私は何年か単独で行動しなければならない。だから恋人のような存在は障害になる。年内に出発できれば、そうする。それはどうしても必要なことだという気がする。私は、その旅の途中で自分が死ぬのではないかとなんとなく思っている。これは単なる予感であって、たぶん旅を終えたあとの生活がまったく予測できないから死のイメージが沸くのだろう。まあ人間、そう簡単に死ぬことはない。死ぬにしても、生きのびるにしても、私はもう十分生きたという実感がある。27歳とは、そういう年だ。もう十分だ、と考えてしまう。



私は自分が回避性パーソナリティーであることを知った。それは自分をゲイだと受容したおっさんのように、世界がぐるんと変わる感覚だった(私はゲイではないが)。私は自分のメンタリティを肯定的に捉えていた。孤独でいられるということは、ひとつの特権的な能力なのではないかと思っていた。

しかし最近は「性格」というものに、疑問を抱くようになった。ある精神分析医は、「良い家庭はそれぞれ似通っているが、悪い家庭は種々様々で個性的だ」と言っていた。個性とはそも、悪癖のことではないのか。考えてみるに、よく言われる「人格障害」のようなひとびとは、その本質として悪に捕らわれている人なのかもしれない。プラトニズムは嫌いだけど、ある理想としての善があり、人間はみな知性によってそこへ辿りつくべきなのかもしれない。


8.16.2016

恐るべき女

今日はSに説教を受けていた。

年下の女に説教されるなどはじめはムッとしていたがSの語気に真剣さがあり私もしっかりと受け止めることにした。その内容は「お前は他人に気をつかわない、気をつかおうとしない」ということだった。べつに痴話喧嘩というわけでなく、仕事中の私の態度を指摘してのことだった。たとえばあるAという社員が風邪気味でつらいところを、自主的に手伝わない、というような。

私はだんだん、この女がかつて以上に神聖に思われてきた。彼女は私のかなりcrucialな部分を治療しようとしているのだと思われた。そしてそれは大仕事に違いない。

私が自己愛性人格障害について調べていたとき、ほかに人格障害が見つかった。それは回避性人格障害というもので、「傷つきと失敗を恐れるあまり,人と接触したり,課題にチャレンジしたりすること自体を避けてしまうことを特徴とするパーソナリティ障害」とあった。私はかつての自分は確実にこれであったし、いまでもそうかもしれない、と思った。

Sはこの反対の人格を持っている。他人の痛みと自分の痛みに敏感だが、ひととの接触を好んでするし、また人間関係上の課題を克服している。

私はSのような人間を、自分と別個の存在なのだとどこかで思っていた。それは生まれ持った特性が違うのだ、というふうに考えることもあったし、知性的に洗練されてくると、自然と社交を回避するようになるものだと考えるようになった。

ただSは私のその性質を不快だと切り捨てた。もっと他人に興味をもって、他人と交流しろと。私ははじめその考えを幼稚だと拒絶したが、Sの言うことももっともだと思った。そのうちに彼女は、ただひとり真実を知る子どものように見え、哀れに思えて愛おしくなった。

Sは私の心に躊躇なくメスを入れるのであり、その仕事は精確で自然だ。だから私はSのことを受け入れるようにしている。よい医師に対するよい患者のように。

Sは恐ろしい女であり、私ごときではとても手に負えないようである。それでいて、私を道具のように利用するようなそぶりはない(彼女にはそれが可能だろうし、それで稼いでいた時期があった)。彼女は、私の人格を高めてくれるようである。それだから私は、しだいにSが不要になるだろう。患者が健康になったとき、医師は不要なのだ。それでもなお私を治療しようとするSを、聖女のようだと私は考えるのである。



静かにいく者

開業医の妻である知人の家にあがったのだがやはり金銭的成功は良いものだと思われた、建物は広く天上高くがっしりとしており、応接間はアンティーク家具で揃えられ、いたるところ油絵が飾られており、本棚には分厚い洋書が並んでいた。全体としてフランス趣味だったが下品なところがなく外国のアッパークラスの家のようだった。輸入物のカップで紅茶をいただいた。庭にはきれいにかり揃えられた芝生がありとくに何をするというわけでもなさそうな広大な庭にカーポートがぽつんとあり、そこには当然のように高級外車が鎮座していた。

こういう生活をするのに金がいくら必要なのかわからないが開業医なのだから年に数千万円は儲けているのだろう、医師家系だというから一族に相当な資産もあるのだろう、金というものはあったらあるだけ良いものだな、と思う。「貧乏は褒められるものではない」と言う人がある。それで私も金を稼げるよういろいろと努力をしてみようと思った。

ただまあ目下で計画立てているのは金儲けではなく、海外バイク旅行なのだけど何も進展のないまま日々を過ごしている。どうやらSは半年間都会に出たあとは4月に戻ってくるようなことを言っているのであり、それまでこの田舎にいてほしいと言っているようだ。そうなると旅の資金は500万円くらいにはなるのだろう、ここまで金を貯められれば金に困るということはほぼないだろうと思う、3年くらいは旅に出られるのかもしれない。

折よく円高傾向にあり1ドル=100円くらいになってきた。アメリカでバイクを買ってカナダへ北上したのちアフリカまで南下。そのあとは、とくに考えていない。それで旅のメインは読書にあてたいと思っているから、雨が降りそうな日は休息がてら一日読書。Kindle paperwriteを買ってみたが、やはり紙の本の方がずっと読みやすい。もう少しどうにかならないものか。

ここ最近はまったく弛緩しきったような日々だ、思索的に深まるということはないしなにか新しいことに興奮することもない、安寧といえば安寧だが頭がぼんやりして物事を考える気力が失せている。

西郷隆盛いわく「道に志す者は偉業を貴ばぬもの也」とある。善悪の感覚持ち合わせた人間は大物になろうとかそういう野心を抱かないものだ。私も西郷の気持ちがわかるという気がする。

それでこういう感覚を抱いた人間はネット上ではあまりいないように思われる。厭世的というか浮世を離れて生きていく、自分を可能な限り小さくしてひっそりと生活していく、そういうものに私はだんだんあこがれを抱くようになってきた。
われわれが先に述べたように、あらゆる時代に、そしてあらゆる国において、完全な形而上学的認識に到達し得た人々がいたことを原理的に否定する理由は全くないからである。……そのような例外がもし存在したとしても、文書的な証拠は何も存在しておらず、彼らは一般的に知られているような痕跡を残していない。それは否定的な意味での証拠となるわけではないし、驚くべきことでもない。(ルネ・ゲノン)
「静かに行く人は、遠くまで行く」と某実業家が言っていたが、 まったくだれにも気づかれないまま悟りのような境地に辿りつくひとがあるとすれば、それは興味深い事実だと思う。考えてみると上の開業医のような人間も、ふつうは知ることのない世界であり、知の世界も、富の世界も、つきつめると秘密と隠遁の領域なのかもしれない。

8.12.2016

Complicated

現実の私は、充実して幸福を感じるとともに、思想はだんだんに退化して、かつて愛したものたちが、気づかないうちに手から零れ落ちていく感覚がある。私は何者かになろうとしたけど、世俗的な喜びにしだいに夢や理想を忘れて、今日のパンと、今日の性交と、職場でかかえこむささやかな問題と、毎月ふりこまれる潤沢な給料とに安住している。

まあだれしも幸福を求めるものじゃないか、金もあるし、彼女に近い存在もある、今の若者なんて悲惨なものだよ、年収はよくて300万円、車なんて買えないし、女の快楽を知らない奴もいる。いったい何を悲しむ必要があるんだ。お前は恵まれている――

若さの恥辱と、年寄りの不潔と。そりゃあまあ、私はあるていど、自己肯定感をもつようになった。宗教や哲学や精神医学や社会学を勉強した。そうして長い苦しみのときは去った。持続する光をこころのうちに持った。そうしたらこんどは、退屈に襲われるのだからやりきれない。

職場の若い女が人格障害で苦労していると言っても、お前は神経症なのだから笑い種だ。目糞鼻糞という奴だ。じっさい、お前はその女のことが、少し気がかりなのではないか。内心は自分と似ている部分があることを認めている。通底するなにかがあるはずだ。

それはたしかにある、というか、ああいった人間に対してはだれしも多少の共感を抱くものだ。彼らはけっして悪人なのではない、彼らはただ、目の開ききっていない子どもなだけだ。私は依然としてサイコパスを「悪」だと思う、この世の大半の悪はサイコパスによってもたらされると思っている。しかし自己愛性人格障害のような人には、見た目の悪性と同じくらい生まれもった善性が存在する。だからすこし難しい。

私はサイコパスを、ルシファーのようにしか考えていない。それは悪そのものなのであり、世に害悪をふりまく存在であり、可能な限り彼らの行動を制限することが必要だと思っている。私はサイコパスにどれだけつらくあたっても、罪悪感を抱くことはない。しかし、自己愛性人格障害は「傷つく能力」を持っているのであり、より人間的であり、私が必要な手段として防衛的に攻撃的態度をとるとき、私は葛藤に苦しむのである。

理性においてはそういった態度をとることが、必要でありまた適正であると判断できるのだが、いかんともしがたい。自分が害されることも許容すべきなのか?私は他者に煩わされたくない。距離を置ける人間には、置きたいと思っている。

すこし酔っぱらってきた。いよいよ人生が混濁してきたなと思う。

8.11.2016

職場のジコアイさん3

昨日も職場のジコアイさんを泣かせてしまったのだが、それというのも私が無視したりつらくあたったりするからであった。

私はできることならこの女と可能な限りの距離をとりたいと思っている。近づけば近づくほど、ろくなことがないことは明白である。この部署では働きたくないと経営者にも伝えてあるが、上はバカなので現状把握ができていない。あまつさえ私を未熟だの怠慢だの責めてくる。それだから私はこの周囲に危害を与えるしかない存在と、向き合わなければならない。

現状把握といえばジコアイさんは現実把握がとことん苦手であるらしい。なににつけても「私は正しい」「私は悪くない」と主張するのみである。だから私が攻撃的な態度をとると、「何も悪くないのに不当な扱いを受ける私は、かわいそうだ」と泣き出してしまう。

そうではない。私はジコアイの攻撃や侮辱に憤っているのである。こういう人間は、無口な人間とか、内向的な人間に対し、過度の攻撃性を見せる。孤独な人間は周囲に助けを求めることがないから、攻撃しやすいということもあるが、だいいちにジコアイというのは、自分と向き合うことを放棄した人間であるから、孤独に生きていける人間に対し、嫉妬心のようなものを抱くようにできているらしい。もちろんこれは無自覚なのだが。それで自分にとって都合の悪い問題は消滅させようという彼らの子供じみた衝動が、他者への攻撃へつながる。

この幼児的な衝動は人格全体の特徴をしめしており、自分のミスを棚にあげ他者のミスを徹底的に糾弾するとか、他者の能力的優越とか社会的優越から目を逸らすといった態度に一貫してあらわれている。目を逸らすというか、彼らの脳内で根本的に「欠落」してしまっているのだ。だから彼らとの会話は、要領がつかめなくなる。対話不可能性、意志疎通ができているようでできていないということも彼らの特徴である。

それで私はジコアイさんのあまりの未熟さに憤るし、その攻撃によるストレスにも憤るので、ときに会社の備品などをこっそり破壊したり、仕事中抜け出して煙草を吹かしたりといった精神衛生の保護を図らなければならない(「物へあたる」のはふつう良くないこととされているが、攻撃衝動を発散させるのに極めて効果的である)。

なにせ彼らは「自分が悪い」ということをかたくなに認めようとしないので、性質が悪いのである。現状認識を意図的に歪め、反省するということがない。ただし彼らは、サイコパスのように倫理感覚が欠損してしまっているわけではない。彼らも根本的には自分の存在に対してつねに不全感を抱いている。それゆえに他者の承認というのが彼らが生きていくうえで必要不可欠なのである。彼らは承認を求めるために奔走し、ときに社会的成功を実現することもある。まだ自己への不信感や罪悪感を無意識的にでも抱いているだけ、サイコパスより改善の余地はある。

彼らはつねに内心の自己不全感に脅えているがゆえに、私が「あなたのような人間には一切関わりを持たずに生きていきたい」というような、冷酷な態度(というか自然な感情)を表に出すと、ジコアイさんのような人は泣き出してしまうのである。私もやりすぎたかな、と思うくらいの泣きようである。そうして彼女は職場を抜けだし、だれかに電話をかける(たぶん会社の世話役的な人間)。そうしてさんざん泣いて、自分が正しいこと(私が悪いこと)を他者に承認してもらった次には、また「有能で非の打ちどころのない社員」を演じるのである。

この類に人間に欠落していることは、孤独を知るということだろう。精神的な成長には、「独りでいられる能力」というのが不可欠である(ウィニコット)。自己愛性人格障害とは、おそらく親離れができていないのだと思われる。彼らのこころは、三日月のようになっている。だから欠けた部分を埋めるために、他者の承認とか、他者との和合をつねに求めているのだろう。精神的に成熟するということは、満月のように円形になることである。円形にまで成熟すれば、ひとりであって安定し、他者に対しても調和的である。

ジコアイさんが「満月形」にまで成長するのが、いつになるのかわからない。これはほんとうに、「悟り」のようなプロセスが必要であり、たとえば座禅のような、内的観照と向き合うことが必要なのだが……そんなことは強制することはできないし、職場の同僚というだけの人間に対し世話を焼くことはできない。本来それは両親や学校の仕事である。またもっと言えば、彼女自身の仕事なのである。

まあそういうわけで昨日もいちだん疲れたというわけだ。私は他人を攻撃したくはないのだが、しかたがない。

哺乳類の攻撃反応は共通している。自己に危害を加えるような存在が十分に遠いときには、身体を緊張させ固くなる。それほど遠くないときには、走って逃げ去る。距離があまりに近いときには、攻撃する。この攻撃反応は、あまり力関係が考慮されない。ゆえに窮鼠猫を噛むということがよくある。

身丈ほど繁った林で熊に出くわすと危険だとよく言うけど、それは熊の攻撃領域に入ってしまうからである。見晴らしのよいところであれば、上記のような反応を示すため、熊による事故はあんがい少ない。

それで私も職場という密接な関係が要求される環境だから、攻撃反応を起こしているということになる。もうなんだか、私はひとりで山小屋で暮らしたいような気分である。

昨日は仕事を終えたあとに、Sと遊びにいった。Sと一緒にいると、とてもほっとする。精神的に成熟している人間とは、波長が合い、リラックスする。「一緒にいるとドキドキする」というような関係は、けっしてうまくいかない。心臓を鎮静させ、副交感神経を刺激するような間柄こそ、持続する関係といえる。


8.10.2016

職場のジコアイさん2

最近はひさしぶりに憂鬱の気分を味わっている。それで多少知性を取り戻すことができている。職場の雰囲気が悪く、その原因はわかっている。他人に負の影響しか与えないような類の人間は存在する。その人間は、自己愛性人格障害なのだと私はにらんでいる。

その若い女は、「私はがんばっているのに、なぜ認められないのか」という感情が、表に出ている。たしかにがんばっているのだろう、サービス残業を何時間もして、一見仕事熱心だ。だがその動機はつねに「褒めてもらいたい」という承認欲求である。仕事が好きなわけではないし、理解しようとはしていない。そうであるから、ときにありえないような業務上の暴走をする。また、「がんばらない」他人を容赦なく攻撃・密告する(私のような)。そうして業務上の注意をされれば、自分の人格が全否定されたかのように反駁する。「私はこんなにがんばっているのに、なぜ注意するのか」と、ときに大泣きして注意を引く。

私はこれを発作的なものとして見ない。会社は、他人に褒めてもらうところではない。労働の対価に金銭を受け取る場だ。この人は、子どものまま人格の成長が止まってしまったのではないかと思う。まるで「見て、自転車が乗れるようになったよ」と母親にせがむ子どものようなのである(私も5歳くらいのときはそうだった……)。

はじめはこのような人間をなんとかコントロールするよう努力したが、最近は放棄することにした。子どもは勝手に学び勝手に成長するが、子どものままの大人は成長することがあるのか不鮮明だ。私が親の代わりに教育するのもめんどうだ。

そういうわけなので私にしてはめずらしく、攻撃的手段を取ることにした。攻撃的というより、ほとんどは逃避的なのだが。無視をする、口を利かない、目を合わさないなど。このような行為は、私としてもしたくないのだが、職場という「離れられない状況」にある以上、精神衛生上そうせざるを得ない。

この人間は、自分の内面を見つめることを悉く拒絶しているのだと思われる。そのため自分のふるまいが正しいのか、正しくないのか自分の価値観によって判断することが不可能である。だから他者の「承認」を求める。権威的であればなおよい。「○○さんが私を褒めていた」ということで、自分を慰めて生きていくのである。このような人間を私は不幸だと思うが、それだからとどうすることもできない。ただ、私があえて褒め称えて彼女を操縦するよりも、つらくあたった方が彼女にとっては薬になるという気はしている。

そういうわけで仕事中に余計なストレスを抱えて若干の抑鬱気味だ。そのせいかSとの関係もうまくいっていない。いったん悪くなった関係を、どうすればよいのか、私にはわからない。夢を見た。Sは私から離れた。「うんざり」とか、「失望」というような顔をしていた。彼女は怒りと困惑で泣いていた。それで、私は新しい女を得た。それは精彩を欠いた、つまらない女だった。

一度失望した男に、女は二度と想いを寄せることはないのだとよく言われる。まあ、私はあらゆるところに定住できない人間なのかもしれない。とりあえず旅に出ることにはなっているから、そこでいろいろ考え事をすればよいのかもしれない……。時間が必要だ。

ここしばらく、旅への欲求も筆記への欲求もあまりなくなっていた。書くこと書かれたこと、どこかへ行くことに何かあまり興味がわかなかった。それでも何か書くとこころが整理される気持ちになる。最近の精神不安定もこの日記療法の中断に依るのかもしれない。

読書は漫然と続けているが渡辺京二のコレクションがおもしろい。このひとは事物を斜めから捉える力がすごい。政治思想家としての岡倉天心に着目するとは。
「彼ら(西洋人)の社会協力の方法でさえもが、露骨な私欲が共通の餌食のために結びつき血にまみれた不信が戦利品の配分を監視していた太古の狩猟と戦争を憶い出させる。彼らの徳は独立独行と友愛を育てはしても思いやりと同胞愛を育てず、彼らの型は画一を育てはしても調和を育てず、彼らの権力は支配を育てはしても統治をそだてなかった。……東洋の社会はたがいに関連し合った義務の調和がまことに美しい。土地は仕事を、仕事は共同社会の理想をあたえ、その共同社会では各成員が完全な全一体をかたちづくっている」(天心)
西洋精神が狩猟⇒戦争の「掠奪」志向を根底にもっていることは一般的に知られていることである。

私は思うのだけどやはり肉食文化と草食文化は相容れないのではないかと思う。

哺乳類という人間に近い動物、人間とある程度コミュニケーションをとれる、同系統の感情を持つ草食動物などを食す理由はないのだと思われる。肉食者は、何も考えずに肉を食べるときに、潜在的に罪悪感を抱いているはずである。だから「動物は機械なのだ」「動物は神が人間に与えた道具なのだ」という考えが生まれてくる。その延長が人種差別や植民地化につながっていくのではないか。

私は鶏肉を食べるし魚も食べる、それらは人間に近くないからだ。食べることに罪悪感をあまり感じない。それで牛肉や豚肉の切り身を前にすると、こんなものは食べられない、と感じる。エゴでも偽善でもなく、感覚的な問題だ。私は魚をさばくことに罪悪感を抱くことはない。鳥を殺すことも、さほど気にならないだろうと思う。でも豚や牛が殺されたあとの肉塊を目にして、おいしそうだとか、そういう感情にはならない。

人間が哺乳類を食すということは、すこし不自然であると思われる。まあ、たまに食べることはあるけど。

8.07.2016

系譜

近代以降の日本人の精神性についていろいろ考えているがこの点に関しては渡辺京二のつぎの記述がすぐれていると思う。
実体として利害の体系である市民社会を指向しながら、幻想として共同体的な正義が貫徹されてあるものと擬制しなければならぬというこの絶対矛盾は、わが近代史をつらぬく基本的逆説となった。誇張していうならば、われわれの近代政治史の過程はことごとく、このほんねとしての前者とたてまえとしての後者の角逐ないし錯綜としてとらえることができるほどである。
性急な近代化を求められた日本国家と下層の人民の錯綜。われわれはいまだにこの矛盾を克服しているとはいえないが、もう近代化はある程度なされたし、今後も充実していくのだろうと思う。

たとえば私は「町内会」というシステムにたいへん違和感を感じていたのであり、いろいろ調べたのだけれども、この「町内会」は共同体的正義に属しており、それに疑念を抱く私は「市民」としての個人主義的な正義の立場をとっており、ここにあんがい深刻な齟齬があったのだと思う。また日本社会特有の「ブラック企業」というものも、おなじ要因に依るのだと思う。だから町内会やブラック企業というものを、安直に一蹴することはできないわけだ。

私は不幸というものは、近代以降に始まったと思われた。それはある意味で楽園からの追放だった。日本人は近代以降、一である生から苦しみと不幸をとりだしてきて、それと向き合わなければならなくなったのである。不幸は異国で発明されたのである。

そういうわけなので現在日本では知的エリートは合理主義的価値観をすでに持ち合わせているのだし、田舎のじいさんばあさんといった類のひとびと、あるいは下層の若者などはこの共同体的価値観を持ち続けているのだろう。ドイツなどでもやはり近代までは輪廻転生など土着信仰が普遍的に信じられていたらしい。

マア近代合理主義的価値観と日本古来の集団主義的価値観のどちらが良いのかはわからない、幸福な豚より不幸なソクラテスという言葉もあるけれども。向上心のない奴はバカだって?

現実にわれわれは便利な生活を送っている、スマートフォンだの、発達した医療だの、自動車などは、合理主義の結晶とも言える産物である。しかしそれでわれわれは豊かになったのか、どうなのか。もちろん便利で快適にはなっただろうけど。まあ渡辺京二というのはおもしろい思想家だと思うので、今後も読んでいきたいと考えている。


昨日はSとの関係が少しギクシャクしてしまった。ひとと長く一緒にいることに慣れていないからだろうし、私がすこし風邪気味だったこともある。それで日曜日の今日はSと会うことを辞めた。月曜日から昨日までの6日間、毎日Sと会っていたので、ひさしぶりの孤独の時間だ。

8.06.2016

職場のジコアイさん

株の練習として月曜からヴァーチャルの運用をしているのだが300万円ほど投資して現在6万円負けている。4銘柄買ってみたがそのすべてで損をしている。投資金額の2%を即座に失ったというわけであり、私のセンスのなさが露呈しているのである。

やっと今週の仕事を終えたのである、今の部署の仕事はとても苦痛なのだが原因がわかればそれほどでもないことを知った。その原因とは「自己愛性人格障害」というタイプの人間の存在であり、その本人は若い女だが、この女によって職場の雰囲気が異常に暗くピリピリとしているのだと知った。

まあ詳しくその人格をここで語ろうとは思わないが、ある個人と一緒にいて、「気分が良いか/落ち着くか」ということを吟味再検討してみることは非常に重要だと思われる。というのもなんらかの「コミュニケーション・スキル」により人格障害者にうまく利用されるということがあるからである。

コミュニケーション・スキルなどというものは肯定的に捉えられているが実際にはこんなものは不要であり、善的な人間は善的人間とわかりあえるようになっているのであり、ただ悪人が善人を利用するときのために、コミュニケーション・スキルは存在するのである。
まことに、運命のさだめは、悪しき者が悪しき者と真の友となることも、さらに、善き人が善き人と友にならずにいることも、けっして許さない(「パイドロス」)
だから技巧的なまやかしによって、悪の所在がごまかされるということがあるけれども、そういうときには「感覚」を頼りにすべきなのである。先に述べたようにある人間と一緒にいて「快」かどうかなのである。それは嗅覚や皮膚感覚に近い。

理性的に「このひとは魅力的だ」「このひとは優れた人格を持っている」などと考えることがあっても、一緒にあって妙に落ち着かない、かみ合わない、そわそわする、と言ったことがあるならば、ほんとうにその人間の人格が評価に値するのか、いちど吟味してみなければならない。

われわれは例えば哺乳類の動物といっしょにいると心が落ち着くのであるけれども、牙を持った爬虫類と一緒にあっては落ち着かない。よくサイコパスのような善性の欠如した人格を「蛇」に例えることがあるし、聖書においても悪魔=ルシファーは蛇なのだけれども、人間と言うのは、哺乳類的な血の通ったものと、他者を利用し血をすすろうとする冷血なものとでわかれるからおもしろい。

もっともその職場の若い女は、サイコパスというほどひどい人格ではない。自己愛性人格障害とはナルシズムが強いということではない。反対に自分を愛することができないがためにそのことに向けて奔走するという人格である。絶えず自己不全感に悩まされ自己肯定感を求めるがゆえに他者を利用し他者を傷つけるマア困ったちゃんである。サイコパスは遺伝的、機能形態的な異常であるがこういう人間は過去のトラウマなり親の愛情の欠落なりあったのだと思う。人格障害はエピソードが見てとれるから、精神分析などが適応だと思う。

とまれそのような人格であることをいったん認識してしまえばこういう人間に振り回されることはなくなるのである。もう愚かな子どものような扱いにして、自分は象のようにゆうゆうとしていればいい。

愛情の欠乏に悩み自分は存在してよいのかという時期は私にもあった。それはけっこう最近まで続いていたと思う。ただ徐々に心が開かれていった、哲学の助けもあったし女の助けもあったと思う。このブログも森田療法における「日記療法」になったのだろう。それで私はもう世界と和解したのであり、ある種の安寧に近づけたわけだ。

自己愛性の女性も昔の私に近いといえば近いのだけど、だからといって精神治療を受けさせればよいという問題ではないし、彼女がいつか世界を受け入れることができればよいとは思いつつも、悟りに近い内的反省が必要であり、そのためには孤独に自分と向き合う必要があるのだけれども、そういったことから逃げて、刹那的な自己肯定感を追い求めている以上は、少なく見積もって治療には数年間はかかるし、下手すれば一生変わらないのだろうし、私もそんな人間にふりまわされる余裕はないというわけだ。

8.05.2016

語れるもの/語られないもの

それでまあ昨日のブログをあらためて読むとひどい有様でありこんなことを公表しても意味はないのだと思われる。仕事中お菓子を食べていることを注意されて云々~というどうでもいい話である。

それにしてもひとつの人格はあらゆる事由が絡み合ってできているから難しいものである。ある不仲な夫婦があるとして、お互いつねにピリピリしているのだが、その原因が実は住居の近くを通るバスの騒音だったということがある。そうして双方ともその事実を認識せず、なぜこんなにうまくいかないのかと嘆く。車の騒音でなければ壊れた水道管のぽたぽたと水の落ちる音でも良いし、照明が明るすぎるとかいうことでもよい。

あんがいこういう事例はよくあるのであり、同様のことに目をつけたのがフロイトであった。フロイトは「語られない」領域であるセクシュアルな要素が、人格に甚大な影響を与えることを説明した。

そういうわけで我々は「語れるもの」「語られないもの」という区切りをどこかでつけているのに違いないが、あんがい「語られないもの」の領域というのは大きいのではないかと思う。この二項は単純化すれば意識・無意識の関係である。

たとえば呪術などの領域は、この区切りを外して巧妙に利用したものだと言えるだろう。陰陽道=風水においては玄関に黄色いものを置くと金運があがるといった類の話があるけども、この黄色いモノがわれわれに与える影響はほとんどが「語られない」影響である。われわれは毎日目にする置物にさほど注意を払わないからである。無意識に影響し人格を左右することから、風水というのはひとつの呪術に近い。

いったんこれを悪用すればマインド・コントロールなど容易になるのだろう。表面的には「語られるもの」に注意を向けさせておきながら、その実、無意識領域に訴えることができれば、巧妙に人格改変や意志のコントロールが可能になるのではないかと思う。

そも「語られるもの」「語られないもの」の区分は我々の社会通念に従うともいうことができ、そうなるとわれわれは国家という体系に言論・思想も支配されていると言ってもよいのかもしれない。つまりわれわれは意識的には民主主義国家における市民であり、おのおのが国家の統治者であると考えている。しかし語られない領域においてはエリート官僚だの資本家だの、まあなんでもいいけど統治者に支配されているわけである。

ウォーラーステインは科学万能主義ともいえる現代を批判し、われわれは確かに科学という「語られるもの」を得たけれども、それと同じかそれ以上に「語られないもの」を失ったのだ、というようなことを言っていた、はずだ。

意識と無意識の区切りをどこに置くかということ……無意識―語られない領域に目を向けること、が重要なのだと思った。なんか冴えないことを書いたが仕事へ行く。

8.04.2016

雑記

私はいま、一時的に別の部署にいるのだけども、その部署の人間関係がうんざりするようなものであり、私はもう仕事に行きたくない気分でいっぱいなのである。

ある夜オーナーから電話があり他の人員が働いているのにも関わらず私が定時に帰ること、私が勤務中に菓子を食べてることを注意された。私は定時に帰ることは当たり前だし、菓子(というかチョコレート数切れだが)をとらないと昼前や夕刻前に低血糖気味になり、能率が悪くなる、というか極端に体調不良になる(立ちくらみ、手足のしびれ、焦燥感)ので食べていると説明した……かったが別に言わなかった。

そも前の部署では同じことをしても怒られることはないのである。それで私は監視され密告されたような気分になりとても嫌な気持ちになった。

マア私が辞めたら困るのは会社という状態になっており、田舎の小企業だけにまともな人員は少なく、その密告しただろう人物もかなり精神的に異常であることは否めない。オーナーもやむなく私に訓告したという形であり形式上こういうことを伝えておかないとその密告者もおさまらないということである。

職場の小さな人間関係に煩わされたくないという思いがある。私は現在の部署の人間がどうなろうとまったく興味がない。こういう人間は思想的にも人格的にもまったく低いのであり、仕事という束縛がなければ一顧だにしない類のものである。私は最初、この部署の環境が悪いのだと思った。つぎには根本的に、人格の低俗さによるものなのかもしれないと思った。

人格的な高みと低みがあることは不思議なことであり、興味をそそられる人間は意外と少ない。ある程度学歴と相関はあるけど、苦しみの経験と、知への愛と、このふたつがある人は、私の興味を引く人間である。

サイコパスが根本的に人格的魅力を欠如しているのは、苦しみを持たないからである。彼らは憤怒を持っても、苦しみを持たない。苦しみとは痛みではなく全人格のゆらぎであり喪失である。麦が踏まれれば強くなるが、人格も踏みにじられることによって強くなるものだ。

そうして苦しむ人間がいきつく先は智慧であり、暗闇のなかの虫が光を目指すようなものであり、苦しむということと智慧というのは、ほとんど相関する。そういうわけだから、智慧とは苦しむことであり、苦しむこととは智慧であり、このふたつは同一である。苦しむことも、ひとつの才能だと、ニーチェは言っていたと思うが。

恥ずかしげもなく他人を攻撃する人間は、自分のしていることを知らないし、また「彼らはすでに罰を受けてしまっている」のだと感じる。

8.02.2016

BUTTERFLY

Sは私に、お前は文章を書くのが得意なのかと問うた。それでSはテーブルの上にあったフーコーの本を開いていた。私は得意ではないと答えた。実際得意ではないと思っている。こうして何千もブログの記事を更新しているけど、世間の日の目を浴びるようなことは一切記述できていないからだ。

こういう本を読む人は、著述が得意なはずだ、とSは言って、それからフーコーの臨床医学に関するなんたらを朗読し始めた、それは部屋に充満し不思議な呪文のようだった。私はもうフーコーなどあまり読む気がせず、そういう情熱は20代の前半くらいにはあったけど、今はもうないと言った。

Sはこういう本が読める自分がかっこいいとか優れているとか思って読むんでしょう、と言った。私はその通りだと応えた。だれでもそういう感情がなければ、読み進めるものではない。私は選ばれた人間だ、知的に優れた人間だ、だからこの秘密の智慧を授かる権利がある(はずだ)という想いがなければ、ふつうのひとびとは哲学書なんて正面から取り組まないものである。そこに書いてあるのは意味があるのかないのか実際にはだれにもわからない浮遊した羅列である。疑念を消して沈面しなければならない。そこに価値はあるはずだ。答えと、光があるはずだ。

フーコーが天才なのか頭がいかれたホモなのかわからないが確かに昔著作を読んだときには比較的わかりやすく真実に近いと思った。しかし孤独な大学生にとっての知と田舎のサラリーマンにとっての知は違う。私は大学生のときに完全な孤独だったし、いまはSという理解者がいるからそういった意味での世界への感じ方も違うのである。

それでもニーチェはしつこく私の脳裏にこびりついて離れない。私にとってニーチェはたしかに天才であり賢人である。そうであるけども、一定して私はニーチェに対して「いい人」という感覚を抱いている。私はニーチェに、際限ない愛情を感じてしまう。ニーチェは慈愛の人、気のいいおじさんだったのだと思う。案外フランクで、臆病で……。ルー・ザロメを友人にとられても、笑顔で写真をとったおじさんなのである。

私はこれまで思想ということにずいぶん時間をとられたけども、ある硬直し定立した思想というものにはさほど意味がないことを知った。それらはすべて「理論」であり、ロゴスに立脚するものであると私には思われる。私はそれよりもずっと、無意識の領域に関心がある。それは記述されない領域であり、記述できない領域である。その点をあきらかにしないと、思想や発言というのはまったく空虚なもののように思われる。

とは言っても私もだいぶ脳の衰えを感じるのであり、私はもう花開くことはなく、世間に認められることはなく、偏屈な人間として残りの半生を生きていくのである。私の生命燃焼の半分は、終わった!みなさん、おつかれさま。そうしてもっとも明るい時期は終わったのだ。私は静かに砂に沈もうと思う。

Sへの抱擁と愛撫がひとつの可能性を持っている。