10.31.2016

断酒会依存症

肉体・精神ともに健康になったけれどもそれから何をしてよいのかわからない。奴隷は鎖を切られてもぽかんとしている。ニーチェは「何からの自由ではなく、何への自由か」と問うた。さてどこへ向かうのか……。

まずは、ゴミ掃除……。酒を飲んでいたときは、部屋の片付けと、朝にゴミを出すことが恐ろしく苦痛だった。「私に命令するな」「それはしたくない」という気分だった。当然、ゴミは溜まっていく。するともっと酒が飲みたくなる……。

部屋からゴミをなくすことが、私にとっては一大事業であった。それがいまは簡単に処理できている。単純に、ゴミが減った。酒やコーラを飲んでいたときや、ポテチを食べていたときは、ゴミが山ほど積み重なったものだった。それが、いまはスーパーへ行っても、せいぜい納豆や豆腐を買って、あとは野菜や卵を買うくらいだから、ゴミが溜まらない。自慰をしていた頃は、そこかしこにティッシュが転がっていたのだが(汚いな)、いまはルンバを走らせてもほとんど巻き込み事故がない。

やはり、肉料理や魚料理も生活にはよくないようだ。料理をすると、油が飛び散る。嫌な臭いがする(肉食をしないとわかるが、肉が焼ける臭いって、けっこう臭い)。ゴミが腐って、嫌な匂いを放つ。動物の死体を家に入れることは、あまりよくない効果がある気がする。

ただ、いまは健康上の理由で魚をたまに摂っている。ヴィーガンなんて絶対身体によくない。ああいうのは、神経症的、教条主義的なところがある。

「断酒会」のようなものも、教条主義的であって、「節酒は無理、一滴も飲んではならない」と決めつけている。私は「依存症」から抜け出すことができれば、飲み会などの機会飲酒くらいは許してもよいと思っている。

仏教でも実は肉食を禁じていない。俗人が与えてくれたものは、なんでも食べよと言っている。これは示唆に富んでいる。もちろん日本の坊主のように、好き勝手肉食をしてよいと言っているわけではない。ようは自分から望むな、むさぼるなと言っている。私も、冷蔵庫に酒があるけど、もう飲もうとは思わない。ただ、奢ってもらえるなら飲む。

酒を飲んだからって、だれでもアル中になるわけではない。ただ、依存傾向にある人間がアル中になる。だからこの依存傾向に注意深く目を見張っていれば、自由に生活することができる。

依存傾向にある人間は、酒だけでなく、何にでも依存している。他の食べ物だったり、人間関係でもそうだし、仕事や、特定の行為に依存することもある。だから、アル中が入院して、次に依存するのは「断酒会」だったりする。断酒会に依存性があることは間違いないと私は考える。私は断酒会に参加したことはないから、あてずっぽうだが。

だからアル中が禁酒に成功したとしても、必ずしも完治と言えないことがある。酒を飲まなければ良いのではなく、自分のなかの依存的傾向を見つめ、これを断ち切ることが必要なのだろう。

見えない鎖を見つけ出すこと。自分を不自由にしているものはなにか、はっきりとすること。鎖は意外と身近な人間関係だったりするし、会社組織だったり、宗教や思想だったりすることもあると思う。ともあれ、これを見つけ出すことは容易ではない……。私も、だいぶ楽になったけど、まだ切りがないなあと感じる次第。

話がだいぶ脱線した。なんだか、何かをしたいという気がするのだが、まだ何もできていない。漫然と生活するのも、嫌だな、と考えている。

10.30.2016

マクロビオティックとおじさん

さいきん、マクロビオティックという、陰陽学と食育を組み合わせたような思想を調べている。提唱者は桜沢如一で、二次大戦前に創始されたというから、なかなか歴史が古い。

桜沢如一は石塚左玄の影響を強く受けている。石塚は「食は本なり、体は末なり、心はまたその末なり」と述べており、「何を食べるか」の重要性を指摘している。

マクロビオティックによれば、卵や四つ足は陽性、穀物や豆は中性、砂糖や合成薬剤は陰性となる。これは一例であって、すべての食品について陰陽は存在する。というか、世界のすべては陰陽で捉えることができ、男は陽、女は陰、豪傑は陽、聖者は陰、地球は陽、空は陰……まあ何でも陰陽に解釈できるわけで、桜沢はこれを「魔法のメガネ」と読んでいる。桜沢によれば、日本人は近代化でこの「メガネ」を失ってしまったが、本来は自然に陰陽を見分ける力を持っていたのだという。

基本的な陰陽の見分け方は以下の通りになる。
  • 色:紫が陰性、赤が陽性
  • 温度:熱い方が陰性、冷たい方が陰性
  • 硬度:堅い方が陽性、やわらかい方が陰性
  • 重量:重い方が陽性、軽い方が陰性
  • 水分量:水気がない方が陽性、多いほど陰性
  • 運動:上へのびるものは陰性、下へおりるものは陽性
  • 味:渋い、塩辛いものが陽性、甘いもの、酸っぱいものが陰性(「魔法のメガネ」桜沢如一)
しかし陰陽は相対的なものであり、さらに動的なものでもある。陽が極まって陰になる、ということがある。例えば陽性のくだものであるカキを熱すると(陽を加える)、たいへん甘く(陰性に変質する)ということがある。このあたり、太極図の形を思い出すとわかりやすい。(陰中に陽、陽中に陰)




私がマクロビオティックに惹かれた理由は、「自分がいかに陰性に傾いていたか」を知ることができたからである。陰性に傾きすぎても人は病気になるし、陽性でも然りである。陰性が進めば神経症や鬱病になり、陽性の極みはサイコパスということができるだろう(自己反省の欠如)。

たとえば、極めて陰性の飲食物をあげてみよう。アルコール、コーヒー、砂糖、コーラ、ポテト……いままで私が好んで食していたものが、すべて陰性であることに気づいたのである。ああ、これでは神経症にもなってしまうのだな、と思った。いまはこれらすべてを摂取しないようにしているが……。(コーヒーは覚醒作用を持つカフェインを含んでいるから、どうも陽性に感じられるのだが、産地が熱帯であり、身体を冷やす飲み物であることから、極陰性となっており、マクロビオティックではほとんど禁忌の扱いになるようである)。

しかし神経過敏の陰性である私がどうして陰性食品の虜になったのだろうか?これはどうも解せないのだが、どうやら陰性食品は依存性を持つらしい。それで私は陰性食品をひたすら取り込むことになった。結果、神経症はほとんどよくならなかったのだが、さもありなんということである。

ということは、神経症者を治療する、というと大げさだから、「改善」に導く方法は、陽性の食品を多くとる……にんじん、ごぼう、梅干し、たまねぎやかぼちゃなど……そういう生活を送っていれば、少しは楽になるのではないかと思う。

少なくとも、アルコール、コーヒーの摂取は御法度……。西洋薬の抗うつ剤や抗不安薬もどうなのか、ということになる。工業化学で精製される西洋薬もマクロビオティックでは極陰性ということらしいから……。

鬱病患者の「死にたい」という気持ちは、陰が極まって陽に転化したような状態と考えられる。なんとなれば自殺とは究極の能動行為だからである。そういった状態にある患者を、鎮静薬でひとまず落ち着かせるということは重要だと思う。また鬱病も軽度の状態では易怒や攻撃性を見せることがありこういうときにも効果的だろう。

抗うつ剤のなかでもパキシルなどは若年者に服用させるとかえって自殺率を上昇させるという報告があるが、陰性の人間に陰性のものを与えると過度の陽性に転化することがあるのだと思う。

精神疾患においても統合失調症の文字通り「陽性症状」であったり神経過活動が原因であるてんかん症などは薬が奏効するとは思う。ただ鬱病患者には基本的に西洋薬は禁忌であり、それが鬱病治療の決定的な薬が生まれない原因であるようにも考えられる。

だから鬱病患者には、薬を飲ませるよりもにんじんやかぼちゃを食べさせる方がずっとましだ、と言うこともできる……のかもしれない。乱暴か。

マクロビオティックはおもしろい思想である。この考え方が示唆することは、「病気にならなければ何を食べてもよい」という考えは間違っており(気づかないうちに精神や肉体に影響するから)、「人それぞれに合った適切な食品がある」ということである。自分の状態に合わせた最適な食物を選択することが賢く生きるコツなのだろう。

10.27.2016

神経症と「完全なる人間」

マズローの「完全なる人間」によると、健康人の特徴は次のようになる。
1.現実の優れた認知
2.自己、他人、自然のたかめられた受容
3.たかめられた自発性
4.問題中心性の増大
5.人間関係における独立分離の増大と、プライバシーに対するたかめられた欲求
6.たかめられた自律性と、文化没入に対する抵抗
7.非常に斬新な鑑賞眼と、豊かな情緒反応
8.非常に頻繁に生ずる至高体験
9.人類との一体感の増大
10.変化をとげた(臨床家は改善されたというだろう)対人関係
11.一段と民主化された性格構造
12.非常にたかめられた創造性
13.価値体系における特定の変化
(完全なる人間/A・H・マズロー)
ただマズローによれば、健康人はずっと「動的」な存在であり、上のような静的な定義に収まるものではないという。

驕りかもしれないが、私も神経症の治療を通じて、上のような「健康人」に近づいたな、としみじみ思う。自分がこのような人間になるとは思わなかった。

なんといっても、私は自分を屈折した、病んだ人間、集団に打ち解けず、御しがたく、対人恐怖、神経症であり、アルコール、煙草、薬物……あらゆる中毒にどっぷり漬かった人間だと自分を評価していた。私は自分を「freak」だと思っていたから、まさかそこから逆転して真人間になるなどとは思いもよらなかった。

神経症とはなんだったのか。私の苦しみとは何だったのか。というところに、マズローはこう言っている。
神経症は欠乏の病と見ることができる。したがって、治療のため根本的に必要なことは、欠けているものを与えるか、それとも、患者が自分でこれをみたすことができるようにすることである。これらの供給は、他人から生ずるものであるから、通常の療法は、対人的なものでなければならない。(同書)
神経症はある欠乏に対する反応である。もちろん、どんな人間であっても欠乏は生じる。だからといってだれしもが神経症者になるわけではない。困難や渇望を感じたときに、なぜ神経症となるのか?という問いに対しては、森田ダイセンセイは「ヒポコンドリー性基調仮説」のようなものを掲げている。

つまり、遺伝的に、あるいは胎内とか、産後しばらくの時期、「神経症的な性質」が作り上げられる。この要素は、一生変わることがない。

これはスーザン・ケインも指摘していることで、たとえば赤ん坊は無垢な状態で生まれるのではなく、その段階ですでに「個性」を持っている。少なくとも、外的刺激に対する反応性は画一ではない。

産後数日の胎児を見てみよう。森田センセーの言う「ヒポコンドリー基調」の子どもは、すこしの外的刺激で泣き出してしまう。ところが外向的性質をもった子どもはケロッとして、刺激に笑い出しさえする。

だから「三つ子の魂百まで」というけど、人格の大部分は生来的なものであり、この神経症的性向はほとんどuncontrollableということになる。

極端に鋭敏な神経を持った、神経症素因の人間がどうして神経症を発症するのか。神経症のもつ「意味」とはなんなのか。それは病的で無価値な反復なのだろうか。というところで、次のような記述を見つけた。
何人かの分析者、とりわけフロムやホーナイには、神経症でさえ、成長、発達の完成、人間における可能性の実現へと向かう衝動の、歪められた姿と考えないと、理解できないことがわかってきた。(同書)
歪められているにせよ、神経症は「生長」への衝動の形、と考えることもできるのだろう。

つまり、神経症というのは「病的」なプロセスではなく、反対に「健康」へ向かうためのものだったということだ。このことは、例えば風邪による発熱や咳、鼻水が、胎内の異常に対する免疫反応であり、健康へ向かうためのものであることと同様である。

以上をまとめてみると、私は神経症によって健康人になった、と言うことができると思う。
だれに人気があるのか、若者にとって近所の紳士気取りの俗物、カントリークラブの連中となら人気のない方がましである。なにに対して適応するというのか。堕落した文化に対してであるか。支配的な親に対してであるか、よく適応した奴隷をどう考えたらよいのか。よく適応した囚人はどうか。行動問題児でさえ、寛容の精神で見直されている。なぜ非行を犯すのだろうか。大部分は病的な動機からである。だが、ときにはよい動機から出ることもあり、この場合、少年は搾取、支配、無視、屈辱、蔑視に対して抵抗しているに過ぎないのである。(同書)
とあり、マズロー節だなあと。おもしろい良い本に出会った。まだ半分も読んでないが……。




10.25.2016

困学の人

健康とは、こういうことなのか、と思うことしきり。

これまでの私は、ひどい病気にかかっていた。毒物ばかりを摂って、精神・肉体が疲弊しきっていた。まちがった考え方をしていた。

まあそれを学べたのは良いことだけど、これまでの人生は何だったのか?となる。

孔子の言葉で、「孔子曰、生而知之者、上也。學而知之者、次也。困而學之、又其次也。困而不學、民斯爲下矣。」とある。生まれながら知っている人が最上であり、学んで知る人は次に良い。困って学ぶ人は、その次である。困ってなお学ばない人は、最低の人間である。

私は困って学んだわけだが、「困学」のないまま生きてきたら……と思うとぞっとする。それにしても、たぶんSなどは「生而知之者」であり、生まれ育った環境で、何も疑うことなく生きてきたのだと思う。

生きて行く上でほんとうに大切な智慧、というか、基盤となる智慧とは、愛情とか、自尊心とか、自立心とか、そういった感情であり、これが全人格をほとんど規定するのではないかと思う。これらの感情がきちんと育まれるかどうかは、ほとんど家庭に依るだろう。

愛情なく育った人間は、自分が何をしたいのかわからず、「だれかの目」に従って生きることになる。常に受験エリートになることを強要された人は、社会人として独立してもエリートを志向し、親に都合のよい人間を演じてきた人は、悪い人間につけこまれ、利用されて破滅することがある。

どのように生きてみても、こういう人間は不幸であるよう運命づけられる。エリートになっても空虚だし、形式的に友達が増えても、孤独であったりする。自分がほんとうにしたいことをしていないから、当然のことだ。

ある瞬間に、彼がおそろしい絶望感に全人的に襲われるときがくる(「底つき体験」)。そのときはじめて治療の準備が整うのだろう。この瞬間、親を含めて、自分を道具的に利用してきた人間に対する「NO」を突きつけることになる。ここで精神的な脱皮とも言える現象が起きる。すなわち、自分がだれにも支配されない、独立した存在であることを学ぶのである。いわば十代の反抗期の再体験というわけだ。

自分を道具のように利用してきた人間に対する「決別」、「脱依存」によって、ひとはほんとうに目を覚ますことができる。

この世に悪が存在するとすれば、やはり人間を「モノ」のように扱うことだろう。他者を尊重せず、感情を労らない人間は、死後地獄へ行くことは間違いない。こういう人間は、人間の姿をしていても、精神的には下等動物に近い。

そういう人間に悩まされることは、自分の人生に不要だということを、学び、次には、そういう人間を見分けるしっかりとした目を持たなければならない。この世には、善人の顔をした悪人がおり、またその逆もある。そこが生のおもしろいところでもある。

また説教臭くなったが、仕事の時間が近づいたのでここまで。

10.23.2016

性依存とおじさん

考えてみると、私は「性依存症」だったのかもしれない。今日気づいた。

魅力的な女性を見ると、性交したくなる……ということは、男であれば正常な反応だと思う。ただ私の場合、これが度を越していた。女性をそういった行為の対象としてばかり、見ていた。親しくなった女性が家に来たら、必ず性交を強要した。性交できないと、怒ったような態度を取ることがあった。単なるデートであっても、頻繁に身体を触るような真似をした。

ただ単に、私の性欲が強いということが言えるのかもしれないが、それ以上に、強迫的に性交を求めるようなところがあった。私は、セックスが「友人」と「恋人」の境だと考えていた。だから、親密な関係の証は、性交にあるのだと考えていた。

それでいて、内面の繋がりができることは、とても恐れていた。私は孤独を固守した。私が読んでいる本だとか、思想のことを、恋人に打ち明けることはしなかった。神経症だとか、両親が離婚していることも、相手に伝えることはしない。私が何を考えているかも、伝えない。ただ、セックスというゴールに向けて、酒を飲ませたり、笑わせたり、ということだけ。

私は自分のことをまるで相手に伝えられないでいたから、肉体的にだけは繋がりたかったのかもしれない。もっとも、女性からすればそれは単なるエゴだろう。セックスしたいだけなら、風俗でもいけばいい。私の身体を、慰みに使うな……というところだと思う。

でも、私は心と、愛情を求めていた。これはほんとうだ。でも、どうしても、うまくいかなかった。

Jasmine Le Nozac'h
そういうわけで、私が女性と長続きしなかったのは、半ば強要であるセックスと、頑なな心にあったのだと思う。上記のことは、とても書きづらいことなのだが、この際だから書いてしまおう。

もっと書きづらいことは、自慰をかなりの頻度でしていたということである。大学時代は一日だいたい二回はしていた。そのおかげで、慢性的な疲労に悩まされていた。私は女性と性交する機会があまりなかったから、セックス依存というよりは、自慰依存症と言ってもいいかもしれない。

セックスは、どのような形であれ、男性の女性に対する攻撃だ、と読んだことがある。私の心のなかに、女性に対する深い憎悪と不信があるのだと思う。考えられるエピソードは、たくさん……。私を攻撃する女性の顔を、たくさん思い浮かべることができる。私は、いまは女性にとても愛されているのだが、思春期の頃に、同じ学校の女性に攻撃されていた時期があった。

でも、やはり、私の母親が、愛情を十分に注がなかったことが、この性依存のもっとも深い原因だと思う。愛情を渇望していた。「私は愛されるに値するのか」と、つねに葛藤していた。

しかし、私が自分の女性への接し方が「異常」だとは、これまで気づかなかった。恋人同士がセックスするのは当たり前のことだ、と思っていた。だから女性が私に別れを告げても、よく理由が飲み込めなかった。そもそも、女性と心が通じることがほとんどなかったのだが。

私はこの性依存のおかげで、どれだけの魅力的な女性と別れてきたかわからない。すばらしい女性たちばかりだったのに、私が肉体ばかり求めるおかげで、ついには愛想を尽かされてしまう。女性が心を開いても、私は心を頑なに閉じ、手ひどいことをしてきた。私は女性を恐れていたし、女性に怒ってもいた。何より、母親に怒っていたのだと思う。「母の呪い」は本当に強固だった。私の人生が、めちゃくちゃになるところだった。

気づけてよかった。



フランスの画家、Jasmine Le Nozac'hが最近気になっている。1970年生まれ。

10.22.2016

カフェイン断ちに励むおじさん

ここのところカフェインフリーの生活をしている。

平均的な私の一日は、こうだった。朝食後に一杯のコーヒー。仕事中、眠たければエナジードリンク。昼休み、仮眠をとってから一杯のコーヒー。夕方、やっかいな仕事が残っていればコーヒー。仕事終わり、読書前にコーヒー。

というわけで、一日最大で四杯のコーヒー+エナジードリンクを飲んでいた。冷静に考えると、かなり量は多かったようである。だいたい300mg~500mgの量かな。

カフェインについて特にネガティブ・イメージがなかったため、抵抗なく摂取を続けていた。カフェインは中高生ぐらいの時期から飲み始めた。受験の時期は、ジョッキのようなマグカップでコーヒーを飲みつづけるなどバカげたことをしていた。

ただ、冷静に考えてみると、不安感を増強するカフェインが、神経症の私にとって毒にならないはずはない。はずはないのだが、コーヒーを飲まなければやる気が出ないし、あのコーヒーを飲んでから課題に取り組むときの集中力、万能感や陶酔感に完全に魅了されていた(こう書くとアッパー系のドラッグのようだな)。

それでたぶん十数年、毎日せっせとコーヒーを飲んでいた。特に事情がない限り、毎日コーヒーを飲んでいたと思う。というのも、飲まない日があると焦燥感に襲われるからである。なんだか具合が悪い、そういえばコーヒーを飲んでいなかった。そうして、コーヒーを啜ると、神経が鋭敏になり、脳が覚醒していくような感覚になった。身体が軽くなって、頭のなかでいろんなアイデアがくっついていく感じ。今考えると、この恍惚とした感じは、ほんとうにドラッグそのものだと思う。このブログの記事も、何百もあるけれど、99%はコーヒーとともに書いたものである。残りは、アルコールかな。だから少し、ラリったような記事がある。

それで、ポテチ依存、白糖依存を断とうとした次に、カフェインを断とうと考えた。

ただ、このカフェイン断ちが、あんがいつらいもので……。カフェインを断って二十四時間くらいから、前頭部に鈍痛。頭痛があるとは聞いていたから、すぐ治まると思っていた。

それで、咳や熱も出てきたから、不思議に思っていたら、風邪を引いてしまったようだった。体温は38℃を超える。のどのひどい痛み、寒気、そして頭痛。たぶん風邪と、カフェイン断ちが合わさって、かつてない頭痛の苦しみだった。

この風邪に数日間、苦しめられた。いまは熱が下がっているが、37℃付近の微熱であり、咽頭炎と頭痛が続いている。

酒を辞める離脱症状はほとんどなかったが、カフェイン断ちの方がきついとは思わなかった。まあ、たまたま風邪という要素が絡んだせいかもしれないが。

身体がある変化にさらされるとき、システムが脆弱になるのであり、そこに風邪のウィルスが入ってきたと考えることはできると思う。毒でも、日常的に摂取していればそれに身体が順応するわけで……「糖分は?」「カフェインは?」「アルコールは?」と細胞が渇望しているような状態か。

精神的には、数日でだいぶ改善した。夜、しっかり眠れる。朝の目覚めがよい。仕事にも、フラットな集中力が持続する。以前はコーヒーを飲めば集中力がぐんとあがるのだが、すぐにガス欠してしまった。それを繰りかえした。その山と谷がなくなって、安定して仕事に集中できるようになった。結果的には、仕事の能率はあがっているのではないかと思う。

カフェインによる妙な切迫感、不安感が、そのまま対人恐怖症にリンクしていることを知った。私はもうだれかとコミュニケーションをとるときに、不必要に緊張したりしないし……なんというか、大柄な草食動物になったように、のんびりと、自然と会話ができる。コーヒーを飲んでいたときは、小刻みにふるえる小動物のように、ちょろちょろと動き回り、少しの失敗があると逃げだしていたように思う。

最近、酒を断って、カフェインを断って、いろいろ依存の鎖を切る試みをしているのだけど、ひとつ切るたびに「こんなに自由なのか」と驚いてしまう。依存とは、自己の欠乏感からくるのだろう。これを埋めるために、なにかで穴埋めしようとする。この欠乏感がなくなれば、もう何もなしでも、快適なのである。

まあ対人恐怖にせよ、神経症にせよ、不安症にコーヒーは御法度と言えるだろうと思う。

食事に関してはほとんどあらゆるものを断っている。

獣肉、カフェイン、糖、酒、ポテチ……。こう並べるとわずかだが、スーパーへ行くと、買う物がまるでないことに驚く。だから私の食生活は、ご飯と味噌汁、穀物の類、野菜、たまの卵や魚介といった具合である。とくに、納豆は毎日摂るようにしている。安いし、飽きないし、身体に良い。

私はべつに、長寿を目指しているわけではなく、精神的な安定を目指しており、その意味では上記の禁欲的な食事はベターだと思う。これが、長寿を目指すとなると難しくなる。100歳超の高齢者が、健康の秘訣は「肉を食べること」「煙草を吸うこと」と一般的な通念と反することを言うことがある。100歳まで生きることと(量)、精神的な安定を目指すこと(質)はまた違うということだろう。

「食事は文化」と言われるとおり、われわれがイルカを食べようが、隣国が犬を食らおうが、それは否定されるべきものではないとされている。それは「自由」であり、侵害されるべきではない、と。大麻や酒を批判することは許されても、砂糖や酒を批判することは一種のタブーとされている。肉をしっかり食べる女性はときに賞賛される。

しかし思った以上に日常に「毒」は潜んでいるのだな、とおどろくばかり。カフェインだって、自発的に調べようと思うまではネガティブイメージがほとんどなかった。むしろ、コーヒーを習慣的に飲むことは健康的であり、成熟した大人の習慣だと……。小さい頃からからテレビ広告にさらされていると、こういう効果があるのだろうか。

コーヒーを飲まずに何かを書くのは、妙な気分だ……。もう少しカフェイン断ちを続けてみよう。

10.17.2016

ポテチに依存するおじさん

ここのところ、生活がまた「悪く」なっていた。酒や煙草は辞めたが、また別のものに依存してしまっていた。それは「ポテトチップス」と「コーラ」である。

精神的に大変不安定だったときは、ほとんどみそ汁と納豆とご飯のみ、という生活をしていた。それで満足していたのだが、精神的な緊張から解放されると、糖分や油を求めるようになった。

砂糖の害悪については、いまや広く知られている。「砂糖」は、実はアメリカが覇権を握ることになった最大の要因だった。大航海時代において、最大の資本をもった勝ち組は二種類。タバコ農家と、砂糖農家だった。しかし隆盛を極めたのは砂糖農家の方であった。
「タバコ貴族」という言葉がある。ヴァージニアなどのタバコのプランターがいかに豊かだったかを示す証拠である。彼らは植民地においてイギリスのジェントルマン階級を真似た生活様式を維持し、名士として活動した。しかし、タバコ・プランターたちが「貴族的」であったというなら、カリブ海の砂糖プランターたちは「王様」であった。じっさい、イギリス西南部で、不在化してイギリスに住み着いていた砂糖プランターの馬車とすれちがった国王ジョージ三世は、そのあまりの豪華さに憤慨して、「関税はどうした、関税は」と首相ピットをなじったというエピソードも残っている。(「世界システム論講義」川北稔)
アメリカの発展は、「砂糖」と「奴隷」の両輪で成し遂げられた、というのが川北氏の云いである。我々日本人は、そういう国に負けたのである(この本は、ときどき痛烈に英米を皮肉るのでおもしろい)。

煙草にせよ、砂糖にせよ、阿片にせよ――ひとを依存させるものは、強烈な影響力をもつ。ときにその影響力が、歴史を左右することもある。

依存性のある食品を扱う産業は強力であって、ほとんど盤石と言っていい資本力を持っている。たとえば国内の食品産業を売上高で並べてみると、JT、キリン、アサヒ、サントリーと並ぶ。さらに高順位にはヤマザキパンや、コカ・コーラがある。こういう産業は、市民を依存させることで成り立っている。

ところで、私は昨日、依存とは隷属であるというようなことを書いた。奴隷的な人間は、主人を「求めている」。奴隷は主人がいないと安心できないのである。そういうひとが、主人の代替としていろんなものに依存していく。

砂糖の快楽に溺れる人が、糖尿病になり、薬なしでは生きていけない体になる。そうなると、この人は砂糖に依存し、薬に依存して生きていくことになる。製薬企業としても、砂糖ビジネスの企業としても、たいへんありがたい存在であることには違いない。

アルコール中毒から肝硬変になり、塩分中毒から高血圧になり、油分中毒から高脂血症になり、ニコチン中毒から肺がんやCOPDになる。あるいは、「他人中毒」によって不安障害を抱える。

不思議なことに、「依存」はかならず種々の病気を生むようである。しかも慢性的な……。そうしてその依存は、二次的に製薬企業を儲けさせるようである。糖尿病、肝硬変、高血圧、高脂血症、がん、精神疾患……いずれも製薬企業(というか医療産業)にとっては「ドル箱」のような領域である。依存の状態が、奴隷的であるというのはそういうことである。

一次の慰めにと思って嗜んだものが、身を滅ぼし、さらなる依存へと導かれる。人は次第に不自由になり、不健康になり、身動きがとれなくなる。仏教では、あらゆる執着(しゅうじゃく)から離れよと解かれるのだが、こういう依存から離れ、独立して生きていくことが必要なのだと私は考える。

私自身を振り返ってみると、ここのところ毎日ポテチとコーラを摂取しており……まあ、酒を飲むよりはよいだろうと考えていたのだが……結局これも依存なのだろうと思った。どうも、ポテチを食べるようになってから、精神的に降下したような気分なのである。仕事中疲れやすいし、注意が散漫になる。今日も、職場で不用意な発言をしてしまって、同僚に不快な思いをさせてしまった……。

私は関心をもっていても、特定の宗教にいれこむことはないのだが、やはり人智の及ばぬ「魂」のようなものはあると考えている。そうしてそれは、高みに昇って雲を突きぬけることもあるし、だらしなく地べたでふやけていることもあるのだと思う。

そうなると、魂をしっかりと正すにはどうすればよいかということになる。私は酒や煙草をやめてから、だいぶマシになったと思う。つぎに自慰への依存をやめて、ほんとうにこれは効果があると思った。「霊性が高まる」のである。これは、神秘主義的な表現だけど、こう表現するのがぴったりなのである。

それで次には、ポテチ、コーラ依存を脱しようと努力してみようと思った。しかしまあ、ふつうの人は何ら依存せずに生きているようであって、そのことが不思議である。私の周りのひとは、酒にもたばこにも依存せず、という人がいる。そういう人はやはり人格的に優れていることが多い。ただそういう人でもやっぱり、仕事中毒だったりするのだが……。

依存=隷属を完璧に断つことは難しい。われわれは多かれ少なかれ、隷属しているのである。国家であったり、会社であったり、家庭だったり……。健康とは、独立であり、主人的であることだと思う。俗世にあってこれを達成するのは大変難しい。

あとはカフェインも断とうかな、と考えている。不健全な状態にあるから、目が覚めないのである。魂が健康であれば、ことさらカフェインで目覚めさせる必要もないはずだ。

さて……ここまでして私は何になろうとしているのか。しまいにはあらゆる食べ物を断って、仙人にでもなるというのか。私は、なんら高尚な要求を持っていない。最近は、飛躍した目標を持つことがなくなった。いまでは「楽しく暮らしたい」と考えているだけの、ただの小市民である。

ただ、この「楽しく暮らす」ということが難しい。健康であり、明朗であり、目が開かれており、死や苦痛を恐れず、困難を克服し、日々を充実させて生きる。そんなことはフィクションの中だけで可能だ、とふつう思われているが……。霊性を高めるとは、こういう領域を目指すことである。

最近、意外だったのは仏教は「楽しく暮らす」ことを目標としていることである。つまり、何かに依存することは楽しくないのである。欲情にかられて女を抱いても虚しいし、豪華な食事をしてみてもむなしい。高級車を買っても満たされない。本当に楽しいことは、知識を得たり、他人のために尽くしたり、おだやかに自然のなかで暮らすことだったりする。そういう、ある意味であたりまえのことを仏教は説いているわけだ。この点が、仏教は哲学であり、宗教ではないと言われる所以である(日本の仏教は99%宗教だが)。

私もこの仏教的な方向を目指しているに過ぎない。「楽しく暮らす」には、悟りのようなものが必要なのだと思う。人間というのは、ただ生きるということでも困難ばかりで、やっかいな存在だと思う。

10.16.2016

Coniine

学問的な知識と違って、もっと広く全般的な知識がある。それがどのように身につけられるのかわからない。教育によって身につく、と考えるのが自然だが、宗教的に考えれば「前世」ということになるのかもしれない。

その全般的な知識を身につけているひとは、何が正しく、何が間違っているかを知ることができる。それはニーチェが対比したところの、「よい悪い」と「善悪」の違いと似ている。「人間と人間の間にはひとつの位階秩序があり、したがって道徳と道徳のあいだにもそれが存する(「善悪の彼岸」)」。「よい悪い」と「善悪」の対比は、「主人道徳」と「奴隷道徳」がそれに対応する。

奴隷道徳とは、外から与えられるものであり、不健康さ、無力さ、受動性を肯定するものである。それは文字通り、よき奴隷を生みだすのに役立つ。

ニーチェはキリスト教を批判したけれども、本来的なキリスト教を批判したわけではない。宗教が政治に組み込まれると権力に都合よくゆがめられるというのは往々にしてあることである。そういう都合のいいドグマに、都合よく踊らされているキリスト者が、ニーチェには我慢できなかったのだと思う。国家神道を批判する人があっても、自然宗教としての神道を批判する人がいないのと同じ。

「よい悪い」を基準とする主人道徳は、まず前提に自己肯定がある。「自分は高貴であり、正しい存在」という芯があり、それがゆえに外から与えられる基準は不要である。だから「それは悪い」「それは良い」と、ほとんど無根拠に規定することができる。

ニーチェがソクラテス以前のギリシャ人を好んだのは、この「無根拠さ」にあるのだろう。つまり、ソクラテスはなんでも説明したがるのである。「それは間違っている。なぜなら~」といった風に。プラトンの本を読めばわかるが、まあ恐ろしく理屈っぽい。ほとんど詭弁のようなところもある。

ソフィストたちによって、ソクラテスは「悪い」と断罪された。青少年をたぶらかした罪で、ソクラテスはドクニンジンを飲まされた。それは、現代の価値観からすれば、非合理的ではある。「善悪」の基準からすれば、不当な罪を下した、ということになるのだろう。ただ私は「ソクラテスは死刑に値する」としたアテナイの500人の気持ちがなんとなくわかる気がする。それは「論破されたことの逆恨み」というよりも、やはりソクラテスは若者を論理の力によって、「よくない」方向へ導こうとしていた、と考えることができるからである。

論理は道具であるのだが、しだいに人間が論理の道具になっていく。無根拠の「良い」「悪い」は、論理的判断によって隅に追いやられてしまう。そうなると、無根拠の自己肯定もなくなっていく。ひとは主人的状態から、奴隷的状態に陥ってしまう。

現代においてもプラトンの影響は根強いのであって、「私はそれをする、それが良いと思われるから」というような、主人的な考え方ができる人は少数だと思われる。我々はふつう、何をするにしても「私はそれをする、なぜなら~~」と理由づけていると思う。これが理性主義である。

神経症者は、つねに後者の原理によって行動する。合理的、打算的なのである。たとえば私が高校生のとき、野球部の友人が高卒で働くことになったのを知ったときに、「あれほど大変な練習をしたにも関わらず、結局はなんの意味もなかったではないか」という風なことを別の友人に話したことがある。しかし少なくとも高校生活では、彼の方がずっと幸福な人生を歩んでいたのである。

このような合理的な判断をする神経症者だが、その症状はというと、反対にきわめて非合理的である。一度ガスの元栓を閉めたのに、仕事中にそれが気になってふたたび確認してしまう。ばい菌などほとんどいないだろうに、何度も手を洗ってしまう。

この非合理的行動は、「奴隷的自我」によって抑えつけられた、「主人的自我」の漏出というふうに考えられなくもないと思う。これは何度か指摘した、神経症者の内的な分裂ということになる。

まあここで上のことを繋げると、理性=奴隷=神経症ということになり、無根拠性=主人=健常者ということになる……少し無理がある気がするが、なんとなく正しいという気もする。

最初に述べたようにある個人が生育して主人的になるか、奴隷的になるか、という問題は、たぶん教育によるものなのだと思う。主人的な人間からは、主人的な人間が生まれ、奴隷的な家庭からは奴隷が生まれる。現代は何人も平等だとされるが、社会的階層は依然分かれているものである。それは単に年収や社会的地位を意味するのではなく、精神的な位階のレベルで。

奴隷的な人間は、つねに何かがないと生きていけない。奴隷は主人を必要とするのである。ただ現代では奴隷も「市民」であるので、残念ながら主人がいるわけではない。だから奴隷は偶像崇拝のように、主人を創造する。それは異性であったり、金だったり、アルコールだったり、上に述べたように「論理」が彼の主人だったりするのだが、ともあれ奴隷はそのようにして自己を満足させる。

神経症者に必要なのは、理性主義の解体ということができるかもしれない。まただいぶ飛躍したが……。

10.13.2016

「私はそれに値しない」

昨日は午後から休みだったのだが、特になにもしなかった。

なにをしてよいかわからず、少し疲労と眠気があったので、スーパーに行ってチョコレートを買い込み、それをひたすら食べて、あとは寝た。

Sが私の元にきて、去っていってから、私の生活はだいぶ変わったと思う。まあ人間が変わるということがあるのだと思う。

神経症が改善した、対人恐怖が改善した、酒をやめた、煙草をやめた、自慰をやめた、週に一回はシャンプーするようになった、香水を買った、コンタクトレンズを買った、高級カメラを買った……。



これまでの私はこの逆であり酒と淫欲に溺れていたし精神的にもだいぶ屈折していた。

それにシャンプーは身体に悪いと思い(いまでも悪いと思うが)ほとんど湯シャンしかしていなかった。ただ頭から異臭を放つ男などだれも好かないだろうと思い少し高めのシャンプーを買って、それで整えることにした。香水も同様である。

カメラはふたつ買ったが合わせて二〇万円以上した。さすがに良い代物だった。

「私はそれに値しない」という考えが、私をいろいろなものから遠ざけていた。上等な衣服とか、高級品は、私にはそぐわない。……私は身綺麗にしてはならない。装飾してはならない。なにかしたいことがあっても、その道具は与えられてはならない。私の趣味は、金を費やす価値がない。

「私はそれに値しない」という考えが、私の人生から彩りを損なっていたな、と思う。私はその女性に値しない。私は彼の友人のひとりとして値しない。私はその作品の賞賛を受けるに値しない。私は人に好かれる価値はない。私の存在は、他者に受け入れられない。その考え方が凝固して、対人恐怖症を生んだ。

「私はそれに値しない」という教条に、私の人生は支配されていた。いろんな侮辱や罵倒や叱責や暴力に、屈服した。そうでなければどうやって生きていけただろう。あいつはバカだ、キチガイだ、と言われればそのとおりだ、と頷いた。不当な扱いを受けても、嫌な顔ひとつしなかった。肉体と精神の痛みは怒りとなって、心の内にたまっていった。その結果が、自殺願望となって、絶望の底に私を引きずり込んだ。

お前は愛を受けるに値しない。お前は無価値だ。

うーん、おそろしいドグマ……。悪そのもの、生命の破壊、ほんとうの意味での殺人。人のこころを真空にしてしまう。いったいこんなひどい犯罪が、この世にあるだろうか。しかしそれは当たり前のように、いまもひとびとの間に広まっているのである。悪い親、悪い教師、悪い社会によって……。「お前はそれに値しない」と、洗脳のように、再三に繰りかえされる。この世における、もっとも悪い犯罪。

Sが私に教えてくれたことは、「お前には価値があり、それに値する」ということである。不思議なことに、Sが私に見切りをつけ、去っていったあとでも、その持続する効果を保っている(一時期はとても苦しんだが)。

たまに、素顔はとても美人なのに、髪の手入れや身繕いをきちんとしないから、魅力をほとんど損なっている人がいる。こういうひとは、きっと、子どもの頃に「お前はブスだ」「お前に価値はない」と言われ続けて生きてきたのだろう。こうした人は、自分の人生を生きずに、罵倒してきた人々に、人生を奪われている。こういう例は、ほんとうにたくさんある。だれもかれも、自分の人生を生きているわけではない。

サイコパスは、他人を道具化する。他人の道具化、これこそが悪である。強い立場にある人間が、弱い人間に、「お前は愛するに値しない」と言うことがある。自己が十分確立していない人間は、それを信じ込み、「どうすれば愛されるのか」と悩み苦しむ。悪人は、そこにつけこむ。すると、精神の奴隷ができあがる。このように、搾取、掠奪が行われる……。金品や労働力ではなく、人生の搾取である。いろんな社会、学校のグループだとか、会社組織だったり、親子関係において……このような不健全な人間関係は構築されている。弱者は使い捨てにされボロボロにされる。

この世に悪は広まっていて、ますます栄えているようである。それでは悪はどのように是正されなければならないのか。

10.11.2016

世界旅行への疑問

仕事が終わり、駐車場へ向かうと、同僚の女史が車から出てきて、私に「会社を辞めるんですか?」と聞いた。私は今のところその予定はない、と答えた。女史は「海外旅行に行くために、辞めてしまうと噂になっている」と。私は、「以前はその願望が強かったけど、最近ではあまりその気がない」と答えた。



ここ数年くらいずっと、海外に行くことが夢だった。私は生来、好奇心が強い方だったので、いろんなところへ行くのが好きだった。また定住とか、所有があまり好きではないので、「身軽にあちこちへ移動する」ということだけでも楽しいように思われた。それで、バイクによる世界旅行をたくらんでいた。

ただ、最近は旅に出ることに意味があるのかな?と思うことがある。

昨日、天気が良かったのでバイクで出かけた。荒れた細道とか、開けた海岸沿いを走った。それから、だれも通らないような山間の林道で、ウィリー走行の練習をした。それは何時間にも及んだ。だんだん、コツをつかんでいくのが楽しくて仕方がなかった。最初は前輪がぴくりとも浮かなかったのである。それが、今は自分の顔くらいまで前輪があがる。なんどもなんども繰り返した。エンジンが熱をもって、クラッチが焼けるような臭いがした。私も全身汗だくになって、筋肉が痛んだ。でもバイクはこんな風にも操れるのか、と楽しくなって、最後には歌いだしたりした。

ウィリーの練習が楽しい。とはいっても、このような練習にたいした意味があるわけではない。だれかに見せるわけではないし、だれかに褒められるわけではない。金を稼げるわけではないし、女にモテることもない。せいぜい、林道で倒木を乗り越えられるくらい。

しかし、単純に楽しい……こんなに楽しんだのは久しぶりだった。私は自分のしたいことを、ほんとうに久しぶりにしたような気がした。

海外旅行は、少しこうしたニュアンスとは違う。なんだかそれは、理性的な判断のように思われるのである。「俺は何十か国旅した」という事実は、一種の「資格」に近い。飲み会で話せばウケるだろうし、就職活動で役立つかもしれない(社風によるが)。女にも一目置かれるだろう(主にサブカル系の)。大学時代に行った旅行先では、そういった効果を狙って旅行している人が、たしかに多かった。必ずしもその旅を楽しんでいるわけではなかった。

バブル期の家族は、みな強迫的に「レジャー」を楽しんだ、と筒井康隆が書いていた。何時間も渋滞につかまり、わざわざ高い金を払って人のごった返すプールや遊園地やキャンプ場で遊び、そしてまた渋滞につかまりながら帰宅する。なにが彼らを駆り立てるのか?それは「この休日は○○へ行った」という事実なのである。

われわれが、「人に認められたい」「このような人間だと思われたい」と願うエネルギーは、すさまじいものがある。偉い人だとか、聡明だとか、優しい人、まじめ、いろいろあるだろうが、そのように思われたいがために、他人に見栄をはる。嘘をつく。そしてひどいときになると、自分にまで嘘をつく。先の例で言えば、くだらないレジャーで消耗している人間のほとんどは、「ああ、楽しい休日だった」と思っているのである。「自分はこのような人間なのだ」と思うことが、ぜんぜん違っていることがある。自分へのイメージ像が、「こうありたい」と願う自分だったりする。たちの悪い親は、「あなたのためを思っている」と言っても、ほんとうは自分のため、ということがある。

こうした自分への嘘は、無知、愚昧、迷妄であり、結局のところ不幸の原因としかならない。壁にぶちあたって苦しみもがくことができればまだ良いほうで(正しい認識に導かれるから)、一生牢獄のなかのように、世界を皮相的にしか認識することができないまま死ぬひともいる(むしろ多数派かも)。
無知は、空気すら入れない密閉された器のようなものである。魂は、無知の中に閉じ込められた鳥のようである。鳥はさえずることもできず、一本の羽すら動かせない。魂は無言の歌手のように黙々とたたずみ、無知に見切りをつけなければ死んでしまう。(「沈黙の声」ブラヴァツキー)
話が長くなったが、自分はほんとうに海外に出たいのか?と最近は疑問を持っている。もっとも、旅は純粋に魅力的だと思っている。ただ、今の生活を捨ててまでするのか?と考える。今の生活は、案外楽しいのである。

だれも知らないような田舎の小企業、社員も数十人で、あまり学歴の高い人はいないけど、レベルの高い仕事をこなす人や、まじめな人、やさしい人、さまざまおり、そうした人間と深く付き合っていくことと、世界のあちこちを旅行すること、どちらがよい智慧になるのか?ということを考えるのである。いくら海外旅行の経験を積んだひとでも、卑しく、くだらない人間はいる。「世界旅行者」なんて自称して、ただの見栄っぱりだったり、卑俗な楽しみしか知らない人はたくさんいるように思われる。

私の場合はとくに、旅をしたいという感情が強迫的だったと思う。世界中を旅行すれば、自分に箔がつく。いろんな知識、経験を得ることができる……切符の買い方、露店のTシャツの値切り方、安宿で荷物を守る方法、ドラッグ売買人のかわし方……。それに加えて、いろんな形での称賛……「大変だったろう」「すごい決断だね」「勇気があるね」「そんな経験がある人は、ぼくの周りにはいないよ」。しかしそんなものが何になるのかな、と思うこと多々。私は最近まで、ひととろくに心を開いて話すことができなかった。そんな人間が海外へ行って、何になっただろうか。ただ物見遊山して終わりである。

身近なところに世界はあって、宇宙もあるんではないかな、と考える。恋愛なんて特にそうで、たったひとりの女との関係が、宇宙全体を支配するということがある。

ペソアの一言が頭にずっと残っていて、結局これが正しかったのかな、と。
想像すれば、私には見える。わざわざ旅などして、それ以上なにをするというのか。感じるために移動しなければならないのは、想像力が極度に脆弱な人間だけだろう。(「不穏の書、断章」)
もちろん、自分の神経症的な性向が治っているいまだから旅行を楽しめるということはあると思うけど。女史がほとんど泣きそうな顔をしていたし、いろんな人間関係に折り合いがついてもいないので、もう少し待ってみようかな、と思っている。何より、いまの職場は待遇がいいし、少しハードな仕事も、もう慣れ切ってしまって、楽にこなせるのである……。安逸と言えば安逸で、昔の私がいまの自分を見たら、「満足した豚」に見えるのだろうが。


10.09.2016

神経症と愛情

いまになってふり返ってみると、神経症の病因は愛情不足にあるのではないかと思った。神経症の症状は雑多だが、その根底には「不安」がある。ここにいてはいけないのではないか、間違ったふるまいをしているのではないか、危害を加えられるのではないか……といった不安が、神経症者を倒錯した行為へ陥らせる。

この不安はどこからくるのか……というと、「自分は愛されるに値しない」というような感情に由来するのではないかな、と思う。たとえば、両親による愛情が限定的だった場合……。「よく言いつけを守れば」愛される、「勉強ができれば」愛される、というような、親の要求を満たせば愛情が得られる子どもだった場合……、無条件の愛が与えられる健全な家庭の子どもと比べて、「自分は正しいのだろうか」「自分は愛されるだろうか」ということに確信が持てずに、つねに自分の行為を再確認する習性がつく。

ゆえに……病的に手を洗うとか、ガスの元栓を確認するといった行為は、漠然とした不安感が、その行為に凝固されたと言ってもよいのではないかと思う。「人に嫌われたのではないか」と執着する対人恐怖症はより単純である。

ひとくちに「愛情」といっても、子どもにとって両親の愛というのは、生死にかかわる重要なものである。無力で他に頼るもののない子どもにとって、両親の愛が信頼できないことは、そのまま世界が不安定であることを意味する。愛情をそそがれた子どもは世界の認識を確固たるものにし、愛情の不十分な子どもには、世界はなにか危険なものとしてうつる。

神経症者にとって世界は不安と恐怖に満ちている。この価値観形成は、おそらく4,5歳くらいですでに達成されてしまっているのではないかと思う。こういう家庭に育って、ちいさな子どもが「俺をちゃんと愛せ」と両親に諭すことはありえないのだから、子どもが思春期を迎えるまでに、繰りかえし学習されるのだろう。神経症者は「世界は悲惨であり、恐怖と不安に満ちている」という絶望的な価値観を、くりかえし固定化される。

そうして神経症者は思春期頃から、神経症を発症する。それは本人がどう思っていようが、本人の生活を破壊する。

たぶん、ひとは学習されるもの以外に生来の感情というものがあるのだと思う。「親は無条件に子どもを愛するべきだ」という感情。もっといえば、「俺は愛されるべき存在だ」という感情がある。しかしこの感情は、生まれてからずっと否定されてきたものだ。だから、神経症者はこの内的な感情を無意識的に抑圧してしまう。

するとどうなるかと言えば、深刻な心理的な葛藤が生じる。精神のもっとも深いところで、自己が分裂しているような状態だ。その混乱が、神経症のような病的な人格を生み出す。

上記をまとめると、神経症者は幼少期に「世界は絶望的だ」ということを徹底的に学習させられる。そして思春期頃になると「世界に希望はあり、少なくとも絶望ではない」という内的感情が湧きでてくる。すると、世界認識そのものにゆがみが生じる。このぐらつきが、神経症の発症としてあらわれる。

たぶんこのあとには、神経症の克服がなされなければならないのだと思う。つまり、「世界に希望はある」という認識に確信を持つことである。

神経症の克服がたいへんむずかしいのは、世界認識、根本的な価値観をすべてくつがえす必要があるからである。いままで学習させられてきたことを捨て去って、より現実的な世界を認識しなければならない。

これを例えれば、「あなたが普段生活している世界はすべて仮想現実です。あなたはカプセルのなかで眠っていて、夢を見させられている」と言われて、それを信じられるか、というのと同じくらい難しい。いやそこまで難しくないかもしれないが、それと似たような状態に神経症者は置かれている。

「世界は危険に満ちている」「私は愛されない」という認識から、「私はそのままで、愛される」「世界は信頼に足る」という認識に移行することは、ふつうにはできることではない。一種の悟りに似た、膜をやぶるような経験が必要である。

私は患者を入院させ、えんえんと「草むしり」をさせる森田療法が、たしかに有効だと思う。これはたとえば、禅僧が弟子入りすると、何年間も掃除や使いなどの雑用をさせられることと似ている。これは都合良く使われているのではなく、精神修養のひとつなのである。

また、草むしりによって草や土に触れることは、現実認識を確固にする効果があるのではないかと思う。神経症者の世界認識は、基盤を失っているようなところがあるから、地面に触れるということは暗喩的な効果があるのではないかと思う。

話を戻そう。神経症者は愛情が欠乏している。ゆえにつねに深刻な不安をかかえて生活している。この治療にはより現実的な世界認識を持つことが必要である。あとは、両親や家庭が異常ではなかったかどうか、今一度ふり返る必要があるのではないかと思う。


10.07.2016

母のエピソード

アホなおじさんはまたSに連絡をして無視された。学習しないバカだなこのおっさんは。

別れとは他人に戻ることであると思う。男女の関係はそのように清算されなければならない。お互いが無関係になり、ばらばらの方向を向く。恋人は家族と違う。もともとが他人だったのだから、関係が壊れれば、他人に戻るのは自然なことだ。

それなのになんとなく寂しいのだからと連絡をするのは、実に失礼なことだと思う。エゴむき出しで醜い行為だ。エゴむき出しなところが嫌われて別れたのに、また連絡をとろうとするなんて、「私は底抜けのバカです」と伝えるようなものだ。Sは別れる決意をしたのだから、私も腹をくくらねばならない。なにも別れを告げられた私ばかりが被害者なのではない。恋愛においては、喜びも悲しみも痛み分けである。

Sが私と他人になろうと決意するまでには、たいへんな苦しみがあったはずである。私はそのことを察することができずに、Sを失望させ続けた。私は悪い人間だった。Sは私に母親のような慈愛をそそいだが、私はただそれに甘える赤ん坊でしかなかった。



ひきつづき、自分の人格的な問題をどうしようかと考えているのであり、「毒になる親」という有名な本を読んでみた。

この本に書かれているほど、私の親ではひどいものではなかったと思うが、しかし私が「神経症」で「対人恐怖気味」であり、他人とうまく信頼関係を築けないことは、その大部分は親や家庭環境に原因があることには違いない。

もっとも、日本では親の影響はアメリカより絶対的ではなくて、学校環境が大きなウェイトを占めているように思われる。思い出すと、ほんとうに私はろくでもない教師にばかり巡り合った。

私の叔母夫婦、祖父母も教師だが、やはり人格的にすこし歪なところがある。見え透いた偽善、凝り固まった教条主義。日本の学校教育は、たびたび指摘されるように不完全で未成熟であるように思われる。そういった硬直した画一的なシステムに組み込まれれば、教師もゆがんでいくのだろうか。あと、私の職場のサイコパス的傾向のある人間も、教職に転向していた。弱者を利用して自分を満足させたい人間が、教師には多いように思われる。

話が逸れてしまったが、私は自分が神経症である原因を、親に求めることにした。これはたぶん、不当なことではないと思われる。

私の家庭ははっきりした暴力や暴言はないものの、抑圧的な環境だった。私の家庭はたとえば、一家が揃う夕食中に、一切の会話がなかった。みなもくもくと食べ物を口に運ぶのだった。私はそれが嫌でたまらず、中学校くらいから丼に飯をよそい、その上に適当なおかずを乗せ、自室に引きこもって食べるようになった。両親は別に何も言わなかった。

その他のエピソード。私の母親は、分離不安が強かったのではないかと思う。何回か書いたことだが、私の母親は家庭内で孤立していた。祖父母との関係はうまくいっていなかったし、父は祖父母の肩をもった。そうしてふたりいる私の兄は、成長して反抗期を迎え、自立を望んでいた。残る希望は私しかいなかった。私は小さな体で母を背負わねばならなかった。

母親は私を強力に縛り付けようとした。私が自我を持つこと、成熟することを恐れていた。

私は自分の部屋を与えられていた。私はそこで、思春期の少年らしく、小説を書いたり、シュルレアリスムっぽい絵を書いたりしていた。エロ本やたばこや女の子からのラブレターをそこかしこにしまいこんでいた。私は当然、それを見られることを死ぬほど恐れた。しかし母親は、私の部屋に忍び込み、それらを覗き見ているようだった。部屋が汚いと、勝手に掃除したりした。

私はそれを知ると、半狂乱になって怒った。勝手に部屋に入るな、と叫んだ。母はそれにたいして、あいまいな返事しかしなかった。部屋が汚いから、とか、入ってない、と否定したりした。私が我慢の限界を迎えたとき、ドアの前にガムテープと段ボールでバリケードを張ったことがある。しかしそれは、すぐに撤去されてしまった!そうして私の部屋への侵入はやむことがなかったのである。

母は私がどれだけ自分ひとりの世界を望んでいるか、理解しなかった。いや、理解していたからこそ、力ずくに抑制した。私へのプライバシーの侵害は、両親が離婚する高校入学までずっと続いた。

今考えてみても、ほんとうに腹が立つことだった。私の内心は、こう叫んでいた。私の自立は、なぜ妨げられなければならないのか!私は自立してはいけないのか!つねに何を考えているか、何をしたいか、覗き見られなければならないのか?……たしかに、母親は私の自立と成長を拒んでいた。ひとりで生きていけない小さな子どもであるよう、私を縛り付けていた。

まあ子どもの部屋への侵入なんて、ありふれたものだと思うが、私がかなり傷ついたエピソードではある。私はいまでも、私の内面を母にpeepingされているような気がしてぞっとすることがある……(それが視線恐怖傾向の原因かもしれない?)



ここまで書いたところで、Sから返事が来てしまった。

10.05.2016

ここにいて良かったのか

ここにいて良かったのか。

と思うこと、多々。これは不思議な感覚だ。自分が自分でいて良いという感覚。

自分はもう独立しており、だれからも支配されないのであり、足かせは消えて、自由に歩ける。

もし私を傷つけるような人間があらわれれば、「やっつけてやる」と言える心理……不思議な感覚だと思う。

このような感覚、ある意味でひととしてあたり前の、ことさら意識することのない、アプリオリな感覚を私はどこかで見失ってしまっていたようだった。私の居場所は「いま」になかった。わたしは過去に縛られていたし、他人に縛られていた。私はひとから不当に傷つけられても、声をあげなかった。それどころか、私は自分をさらに責めたものだった。私は「いい子」でなければ、生存を認められないような気がしていた。

私は無条件に愛されることがあるのだということを知らなかった。私は、自分が何か才能や長所をもっていたり、他人に有益な作用をもたらすかぎりにおいて、存在が許容されるのだろうと思っていた。私は自然のままでは存在を許されず、お世辞をいったり、金品を渡したり、笑顔をふりまいたり、気の利いたことを言えるのでなければ、他人に愛されることはないのだろうと思っていた。

それだから、私は他人とまったくうまくいかなかった。私にとって、他者はひどい負担だった。つねに道化になって、気を遣わなければならなかった。そうして、私のような「いい子」であろうとする人間には、狡猾で冷酷な人間ばかりが近づいてきた。私の人心を支配し、おもちゃのように弄したり、道具のように利用しようという人間。私はそのとおりに、道具になったりおもちゃになった。そうして、私はなんども「世界はそのようなものだ」と学習し、世界観を固定化したのだった。世界には光がなくて、地獄そのものだった。もちろん同じクラスの別のグループとか、泊まりに行った別の家族とかには、健全で愛に満ちた世界もあったのだろうが、それは並行世界のように私とは無縁だった。それはテレビドラマのように演技と虚偽の世界なのだろうと思った。

今日仕事中に、私の人生において、私を道具のように利用してきた悪魔どものことを考えて、カッカとしてしまった。私のこころを愚弄した人間が許せなかった。「人をおちょくるな!」「俺を舐めるな!」と、怒ってしまった。職場の人間は驚いたと思う。私は自分がかわいそうでならなかった。愛情を知らずに自分を封殺してきた哀れな人間。しかし、怒ってもしょうがないのであった。結局ひとを道具的に扱うひとは、道具的に扱われてきた被害者でもある。

私をだいいちに利用してきたのは、たぶん両親だろう。私は長い間、自分の家族関係をまあまあ正常なものだと思っていた。しかし、いまある程度の観察力をもって考えてみると、とことん愛のない家庭だったと思う。そのような具体例をあげることは、寂しくなることだからやめておこう。異常で、閉鎖的で、救いのない家庭だった。

私は、もう少し自分をいたわろうと思った。そうして、過去に居場所がなかったから、未来につくってあげようと思った。私はずいぶんと自然で、素直なこころになったと思う。だから、だんぜんに生きやすい気分だ。私をまた利用する人間があらわれたら、そのときは「お前の言いなりにはならない」と突っぱねてやるつもりである。

「他人と違って自分には価値がない」──この自分についての感じ方に、私は何十年と悩まされつづけた。自分が他人に相手にしてもらえるためには、自分は他人と違って特別な才能が必要である、他人と違って特別に相手に尽くさなければならない、と心の底で私は感じつづけてきた。自分は他の人と同じようには扱ってもらえないという淋しさ、孤独感が、いつも心の底にあった。神経症からなおりかけてきて、人々は「他の人と同じように自分のことを感じてくれる」と知ったことは、信じられないような驚きであった。(加藤諦三)

10.02.2016

助けを求めること

前に書いた記事で、あれこれ理由を付けているけど、結局性欲が高まっているだけなのですよ、さびしいだけなのですよ、というようなコメントをもらって、確かにそうなのかもしれないと思った。

あれこれ理由をつけてもしょうがない、単刀直入にメッセージを伝えればよい……ということを、私は最近別の事実から知った。Sがいなくなって、自分の人格に失望し、ひどく落ち込んでいたとき、あれこれ方策を考えて、自分の人格の改善を試みたのだった。ただ、さいごには私は、自分の人格を自分で矯正できるものではないことを知った。他人や社会が自分の人格をゆがめたのだから、私はこう言うだけで良かったのだ。「助けてくれ」と。

それで、私は職場の女史にうなぎ弁当をもらい、中年女性の涙をもらい、体力と気力の回復をはたしたのだ。必要なときは、助けを求めなければならないということを私は知った。それだけで良かったのだ。

考えてみると、「助けてくれ」と訴えることが、たいへん難しい社会だと思う。それでいて、助けを求めているひとは、数知れずいるのだと思う。自分で何とかしようと思って、どうにもならない人。キリスト者は神に救いを求める。神のまなざしともに人生を歩むから、独立して生きていける。日本人はキリスト者のような西洋個人主義が浸透していて、それでいて頼りになる「絶対神」もいないから、袋小路のようだと思う。

自殺とはどういうことなのか、考えてみると、これは「自分を殺す」と書くのだが、どちらかといえば「すべての他者を殺す」という意図の方が強いのではないかと思う。他人からしてみれば一人の人間が死んだだけだが、自殺者本人からすれば、自分以外のすべてを殺す行為に等しい。自殺志願者は、自分の弱さや過ちを理由にして死んでいくのだが、ほんとうのところは、弱い自分を受け入れてくれない社会に絶望して、というか憎悪を溜めこんで、究極の傷害行為に及ぶのだと思う。

子どもの自殺はまたニュアンスが違ってくる。いじめを苦にして死ぬ場合、「だれだれにいじめられたので死ぬ」と遺書に書いていたりする。つまり苦しみから逃れられないから死ぬというよりも、自分の死をもってして、いじめっ子たちの一生を台無しにしてやろうというような復讐心が見えるときがある。

同じ自殺であっても、大人よりも子どもの方がずっと素直だ。つまり自分が憎悪の感情を持っていることを、理解しているのである。一般に自殺する人間は、そもそも憎悪を認知していないことがあり、生活苦だとか、事業の失敗とか、いろいろあるけれども、そういった事柄から通じて見えてくるのは、他者や社会に対する憎悪である。

憎悪や憤怒は身を滅ぼす、ということが、ここでも言えると思う。仏教でもさんざん怒りを持つなと説いている。それでは耐えがたい出来事が起きたときにわれわれはどうすればよいのか。これはもう、悲しむしかない。怒って他人を批判しても、しょうがない。耐えがたい出来事が起こった。そうしたら、もう、ぶっ倒れればよいのだと思う。道ばたで、だれかが倒れてたら助けるでしょう。だから、もう他人や社会を信頼して、ぶっ倒れるしかない。会社が嫌だったら、携帯の電源を切って寝てしまう。学校が嫌なら、もう親になんと言われようと学校へ行かない。そうすれば絶対にだれかが助けてくれるわけだ。まあ、だれかが助けてくれなくても、つっぷして寝っ転がっていれば、なんとなく気分が晴れてくる。

自殺傾向のある人は、この行為ができないで、他人に助けを求めてはならない、と意固地になる。「助けてくれ」と言うこと、たったこれだけのことが、できないで、破滅に向かう。意固地になって過労死するまで働いてみたりする。「こんなにボロボロになっているだろ、助けてくれ」という境地である。そんなことは必要なくて、「もうしんどいので、助けてくれ」と言えばいいのに。ほとんど確実に、自殺傾向のひとは、過去にトラウマがあるに違いない。それは、「助けを求めたが、無視された」とか、「弱さにつけこまれて利用された」とか、そういう経験が繰り返され、他者や社会に対する拒絶感が学習される。

そういうわけで、なんでもひとりで抱え込んで物事に対処しようとする。よく「鬱病のひとは責任感がある」などと言うことがあるけど、この責任感は病的なもので、あまりほめられたものではないと思う。社会は不寛容で攻撃的で、生は苦しみだ、というようなスティグマが、鬱病の人間を自殺に追い込むのだと思う。

もはや自分のことなど、だれも助けてくれないのだ、と鬱病の人間は思うかもしれないが、そう思うのであれば、少しひとの多いところへいって、「あっ」と叫んで倒れてみればいいのだと思う。みんな、一生懸命になってあなたを助けてくれるでしょう。どうしたのか、どこが痛むのか、いま救急車を呼ぶぞ、しっかりしろ、もう少しだ、がんばれ、と声をかけてくれるはずだ。

私もずいぶん意固地になって生きてきたけれども、他人に救いを求めてよいのだ、ということを知って、人生がすこし明るくなってきたと思う。

鬱病のひとを批判するようなことを書いたが、私もずっと似たような考えをしていた。私も自分のことはだれも助けてくれないと思っていたし、そもそも自分は十分に強いのであり、助けなど不要だと思っていた。そうして自分に怒りや憎悪の感情が蓄積していることに、自覚がなかった。

「助けてくれ」というメッセージが、加害感情や怨恨の形をとったりするから、厄介だ。自分が本当に何をしたいと思っているのか、何を求めているのか、これを知ることは、本当に難しい。完全にできている人などいないだろう。しかし地道な努力をして、聞き取る努力をしなければいけない。

一度、本当の愛情に触れてみないと、こういったことはわからないことなのかもしれない。私のがんじがらめになった精神をほどいてくれたのは、まぎれもなくSである。……元気かな、Sは。