6.04.2017

不幸の源泉としての父親

人間の不幸は、内面的な「性質」の腐敗堕落によって生じるよりも十倍も多く外面的な意見や習慣の束縛から生じる。わたしたちを縛り付け、盲目にさせるのはわたしたちの両親の血よりも、むしろ両親の生活なのである。トラハーン
ダメな親を持つことは辛い。

私の父親を見ていると、母に逃げられ、子どもからも逃げられる理由がわかる気がする。一家バラバラの原因はこいつだ。

一見善良で優しい父親なのだが、その根底にあるのは臆病と逃避と未熟である。男らしさがない。父親らしさがない。たぶん、彼には父親であることが耐えられないのだろう。永遠の子どもでいたいのだと思う。十歳児が突然父親にさせられたような、当惑、逃避、拒否といったものを感じる。

端的に言えば、「父性がない」ということである。肉体的には壮健なのだが、精神的には女の腐ったような、うじうじ、はっきりしない、なんとも頼りがいのない男であった。

家長という感じはしない。自分の意志を持たない。黙って辛抱していれば、いつかなんとかなるだろう……。じっと耐えていればよい。母が泣いても、離婚されても、子どもが反抗しても、じっと耐えていればなんとかなる。そういう、抑圧された奴隷根性の人間であった。

子どもは父親に父性を求めるのである。母には母性があったが、父には父性がなかった。今もっても、なよなよして、子どもに媚びるような態度を取る。まあ、もう父とは関わろうという気はないのだから、実家に居候している間は我慢しよう。……しかし子ども時代は地獄であった。私にとって父は世界の半分だったのだから。

ロレンスの「無意識の幻想」を読んでいると、父のことが書かれているようだった。男は、優しくて善良なだけじゃダメなんだよ。

男女はそれぞれ相手を自意識過剰から脱け出させるように闘わなければならない。男女の慣れ親しむような関係維持のために、実践するよう教え込まれている、不治の病のような辛抱ではなくて、この上なく激烈な公然たる対立状態が生じるべきである。あなたの妻が他の男たちといちゃついているのが気に入らなかったら、みんなの前で、妻、男、その他のみんなの前で、そういうことは気に入らない、そういうことは許さないと言うがよい。もしあなたの妻が、どのような状況においてであれ、嘘をついていると思われたら、お前は嘘をついているな、と怒りや激怒を込めて言い放ち、嘘を言うのを止めさせるがよい。自分の怒りが正当化できるかどうかなど全く気にするな。あなたの妻の行為があなたの憎悪を掻き立てるようなら、激怒を込めて妻に向き直れ。本物の熱い憤怒があなたの内部に沸き立っている限り、妻を苦しめろ、地獄のような生活を送らせろ。黙って憎むな。黙って耐えるな。そんなのはひどく卑しくて狭量で不潔な、恥ずべきやり方だ。腹からの激しい怒りを覚えたら、叱りつけろ。決して悔いるな。そういうことをすれば、十中八九、彼女が傷つくよりも、あなたが遥かに傷つくことになろう。しかし本物の熱い憤怒は、「正当化」できようができまいが、これを後悔するようなことは決してするな。妻を愛する気持ちがごくわずかでもあれば、そして、彼女があなたに、もう我慢できないと思わせたら、ぶて、頬に黒いあざや青いあざができるまでぶて。そして、あなたの心が後に血の涙を流すようになっても、彼女にこう言え、一度っきりのこととしてお前をぶてて、非常に嬉しい、お前はもっと烈しくぶたれた方がよかったのではないかと思っている、と。
同様のことは妻たちの夫との関係にも当てはまる。夫が神経に障るようなことをしたら、夫を叱りつけるべきである。夫が他人に度が過ぎて優しく、へつらうような振る舞い方をしていると思われたら、夫の鼻のあたりを思い切りぶん殴るべきだ。夫には単調で惨めな生活を遅らせるべきだ。癇癪を決して抑えるな。
妻であれ、夫であれ、我慢してはいけない。そんなことをすれば、内面が全くおかしくなる。常に激しい言葉で必死になって食ってかかれ。どんなにひどい印象を与えようとも、決して後悔するな。

私はSと好き合っているとき(付き合ってはないのだが)、いろいろあってSにひどく怒られたことがあった。そのときの私の態度は、父とそっくりであった。「あなたはそう思う。私はそう思わないけど、それほど言うのだったら、あなたに合わせてあげよう」という態度。あれほどひどい態度はないと今になってわかる。というか、自分がやられたらこの上なくムカつく。他人だったらいいけど、特別な関係にある相手にこの態度はない。Sは「どうしてそんななの?」と泣きそうな顔になっていた。どうしてこんななのか。父親が原因だった。

Sは私に全身で体当たりしてほしかったのだと思う。私が思うことをすべてぶつけて、いっそロレンスの言うようにぶん殴ってもよいのだから、人間と人間のぶつかりあい、深い関係が当然持つそういった闘争を実行して欲しいと思っていたのだろう。今考えてみても、そうした方が二人の関係が一時的には傷ついたとしても、ずっと分かちがたい関係になったと思う。(まあDVだなんだって言われるだろうが)

私は父に死ねだのムカつくだのと衝動的に毒づくのだが、まるで暖簾に筆押しだ。いっそ私をぶん殴ってくれればよいのだが、父は突然私の父親にさせられた十歳児なのだから、「おりこうなちちおや」の振りをして、うまくかわすことしかできない。「おりこうなちちおや」である限り父は無敵である。自分に対するどんな攻撃も、惨めな不遇な生活も「相手が悪い」で済ませられる。父にとって私は不可解な不思議な他人であり、他人であるから逃げればよいと思っている。

これで表向きは善良な父親なのだから、タチが悪い。たしかに一般的な「ダメ親」ではない。暴力をふるったり、金をせしめるとか、そういうわかりやすい悪行はしない。だからこそかえって、私の精神に深い傷を与えた。私は最近になるまで、父親がいかにダメなぼんくらか、気づけなかったのだから。

ああ、私の精神のなかに巣食うこのダメ人間を浄化してくれ!願わくば私の記憶からこの男を消してくれ!そう思いたくなる存在だ。

ちなみに、私が読書funboyになったきっかけは、大学4年頃に読んだ「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」というキングスレイ・ウォードの本であった。この本を貪るようにして読んだ。そこには本物の父性があったのである。厳格で、力強く、思慮に富む、人生を豊かで楽しみに満ちたものにする積極性を持つ……そういった父性である。

その後数年に及ぶ私の読書体験は、父親探しだったと言えるのかもしれない。ニーチェはショーペンハウエルに父性を感じていたようだが、私はニーチェに父性のようなものを感じている。

父性のない父親を持つことは辛い。ダメな両親を持つことは辛い。善良な振りをしている、また、善良だと思い込んでいる両親はなおタチが悪い。子どもをある種のマインドコントロールにかけるからだ。子どもは両親の洗脳から解かれなければならない。人生は楽しく豊かで、自由に生きるべきだと学ばなければならない。そうでなければ、私のように無意識を抑圧し、神経症になってしまうだろう。



私の家庭環境の全体像は、父性の欠乏した父親と、代償的に子どもに異性を求める母親、といった構図で完成している。ロレンスの記述を見てみよう。
情欲に深く身を浸すことに充足を求め、自意識と性で頭をいっぱいにして病んだ状態になり、夫、すなわち己の内面に退いて、己一己の平静と単独性を確保して、妻を己の決断と実行の魔力の下に置く勇気をもたぬ夫に挫折させられて、不幸せになった妻は、飽くことを知らないといった風に、満足を求めてあさり歩き、貪り食うことのできるものを捜し求める。そして通常、彼女の目は自分の子どもの方へ向けられるのだ。この場合、彼女は自分の欲しているものを、刺激を通じて生ぜしめようとしている。この場合彼女は、自分に属している、自分の産んだ息子の内部に、自分が渇望しているものに対する最後の完璧な答えを見出すように思われる。息子は彼女にとっては一個の媒体であり、彼女は息子の内部に彼女が求めている答えを、刺激を通じて生ぜしめるのである。そこで彼女は、息子への最後の大いなる愛に、息子への最終的、決定的な献身に、身を投げ出すのである。この献身は、もしも夫へ向けられていたなら、夫にとって心の豊かさ、力の源泉になっていただろう。息子に向けられている今の場合、息子にとっては毒となっている。夫、すなわち優柔不断で、己の一段と高い責任を決して受け容れない夫は、屈服と甘受に明け暮れる。そして、内向性と「コンプレックス」の致命的な過程がいま一度始まることになる。夫が己の存在の究極性、己の決定的な孤独性、生に対する己の責任の究極性を全く受け容れようとしないなら、妻が、根を喪失し、抑制を欠いたまま、災厄から災厄へと突っ走るのを覚悟しなければならない。

そんなわけで、ロレンスが100年前に危惧したアメリカ的な家庭崩壊、それを日本の田舎で実行していたのが私の両親というわけだったのである。

3 件のコメント:

  1. はじめまして。乱筆乱文お許しください。
    私の場合は失踪した母でした。
    小さいながら、母には母の人生があり、大人であっても義務を果たせない弱い人間であるんだ。と、物分かりの良い子を演じていました。数年後、母は母性より女を選択していたことがわかりました。理性でなく本能で選択していたんです。普通の生活がしたかった。でも、普通がとても難しい事を知りました。自分が同じ道を辿らないようにするための見本になってくれたと今では思えます。
    ブログ応援しています。

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  3. 親を愛せない子どもというのも悲しいものです。
    立派でなくてもいいから、普通の、親らしい親であってほしかった。
    まあ、乗り越えなくてはいけないのですが……。

    私も両親が離婚するとき、物分りのいい子どものふりをしていました。
    今考えると、子どもを子どもでいさせられない親というのは親失格ですね。
    私も親の呪縛から離れるよう努力します。

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