6.06.2017

ジャイナ教に感心するおじさん

ジャイナ教の托鉢僧ってすごい。

ジャイナ教の教義は無所有である。金を持たない。着替えを持たない。持ち物は、托鉢と、手織りの布だけ。それで徒歩で何千キロも旅をする。靴すら履かないのである(大地に暮らす生き物を殺さないため)。



それでどうやって生きていけるのか?世人たちの家や、食事を分け与えてもらって生きるのである。もし民家がなくとも、数日は断食しながら過ごす。

倉田百三の「出家とその弟子」でも、親鸞が凍えながら宿泊を求めるシーンがある。日本の場合は裸足というわけにはいかないので、下駄や草履を履く。よく笠をかぶった托鉢僧が新宿駅などにいるけれど、ジャイナ教徒のように布切れ一枚というわけにはいかないようである(寒いし)。

辛子色の法衣がオシャレ。

ジャイナ教の教祖はマハーヴィーラだが、釈迦と同時代に生まれており、また釈迦と共通の聖地を持つことから、同一人物説もある。教義も似通っている部分が多い。

極端というか、ストイックなジャイナ教徒は裸行派(ディガンバラ)と呼ばれ、托鉢や布切れすら持たずにすっぽんぽんである。

ディガンバラの聖者

孔雀の羽は小さな虫を殺さずに払うためのもの。すっぽんぽんでもメガネはかける。ちんちんを傷つけないように仰向けに寝なければいけないらしい。過酷である。

インドのような暑い国だから可能なのだろうけど、果たして日本では実践可能なのだろうか。沖縄の西表の無人島に全裸で暮らすおっさんがいるらしいけど。

私はジャイナ教の教義に賛成である。生き物を殺さずに生きていくべきだし、自然と協調しながら生きていくことが大切だと思う。……と言いつつも、魚は喜んで食べてしまう私だが。

ジャイナ教のアヒンサーの実践は難しい。菜食主義であることは確かなのだが、植物を殺してもいけない。どういうことかと言うと、その収穫によって植物や地中の生き物を殺してしまうものは食べられない。トマトやナスはいいけれど、人参や、じゃがいも、玉ねぎは食べてはいけない。さらにスイカなどの種は捨ててはいけなくて、丁寧に取り除いて庭に撒かなければならない。

よく「動物を殺すのはかわいそうで、植物を殺すのはよいのか?」というベジタリアン批判があるけど、ジャイナ教はこの点をクリアしている。さすがである。

まあここまで極端にせずとも、我々は自然と協調して生きるべきだろう。釈迦は菩提樹の下で悟りを開いた。彼もまた木に教わっていたのである。木は仏陀より賢かった。



なぜいきなりジャイナ教?ということなのだが……明日からタイへ行くのだが、その準備をしていると、なんだかアホくさいな~と思えてくるのである。ガラクタばかりを「必要だ」とつめこんで行くのだから。

タイへ行ったらバイクを借りて方々を巡る予定。楽しいのだろうけど、ジャイナ教徒の巡礼よりも実り多いとは思えない。まあ世人が聖人の真似をしようったって、限度があるものだ。

それにしても、ジャイナ教徒のようなストイックな聖者がいれば、少しは日本も良くなると思うのだが。カルト宗教の跋扈、伝統宗教の形骸化、政治との癒着など、宗教界の腐敗が日本をダメにしている大きな要因という気がする。

2 件のコメント:

  1. このところ記事の内容が一段と面白くなってきたけど、なんかあったのかな?頭が冴えてる感じ(笑)
    久々の日本脱出ですね!くれぐれも気をつけて行ってきてください。無事を祈ります。

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  2. ニートになると、記事を書く時間がたっぷりあるんですよ。
    頭は冴えているというより、あっぱらぱーになっている気がしますが……^^;

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