8.01.2017

まぼさくウォッチングおっさん

MAHAOという巫女の血筋の書いている「幻の桜」というブログがある。

何年か前にテキトーな記事を書いたけれど、長いあいだアクセス数が多かった。なぜアクセスが多いかといえば、だれも彼女についての記事を書かないからである。読者はたくさんいるのにかかわらず、驚くほど「語られない」人物である。

私はMAHAOを尊敬している……というか、畏敬の念を抱いている。私は彼女のブログからどれだけ智慧をくみとったかわからない。

彼女の文章は平易でありながら、社会の実相を鋭く突いている。ときにニーチェやアルチュセールやフーコーのような哲学者の分析と、彼女の言うことが一致していることもある。彼女はたぶんそれらを読んでいないだろうが、肌感覚で世界の構造を捉えているのだと思う。天才的である。

しかし最近は統合失調症的がひどくなっているようで、ブログの更新が滞っている。徘徊や奇行が目立つようになっているようである。意味もなく木更津から新宿へ行ったり、駅で「たすけてください」と見知らぬ人に声をかける、パソコンを壊してしまうなど。(そういえばアルチュセールも重度の分裂病だった)。

またMAHAOの旦那さん(くまちゃん)が開業したバーの経営がうまくいかずに、生活費のやりくりに困る状態らしい。そのためバイトの面接を30件近く受けたが、すべて落ちてしまった。さらに飼っている猫の相次ぐ死など、精神的なストレスが重なっている。

そういう状況なので、MAHAOは「たすけて」と掲示板に助けを求めている。悲痛なほど書き連ねている。ここまでMAHAOが弱っていることは過去10年通してもほとんどなかったのではないか。

MAHAOがアフィリエイトで稼ごうと思えば、容易である。少なくとも一日に数万アクセスはあるだろうから、広告を何枚か貼るだけで稼げる。バイトなんてする必要はない。

また熱心なファンが多い(ほとんど心酔しきっている人も^^;)のだから、布施(というか寄付)を受け付ければ簡単に数百万円は入ってくるだろう。単なる布施ではなくて、ブログを書籍化すれば買う人はいくらでもいる。

しかしMAHAOは経済的に困窮して尚、それらのことをしない。なぜか。読者に遠慮している、というわけではないと思う。

これは私の感覚にすぎないが、MAHAOは他人の支援で生き延びることが嫌なのだろう。彼女は与えられることの害、もっと言えば「生かされることの害」を熟知している。

それまで彼女は常に与える側だった。猫に餌をあげ、ホームレスに一升瓶をふるまった。それは、その行為が「得」だったからだ。

功利的な判断である。MAHAOのブログに登場する「Mちゃん」が言っていたように、「人はメリットのないことはしない」。

弱者を救うことは簡単である。金持ちに一升瓶をあげてもたいしてありがたみはないが、ホームレスにふるまえば彼らは心の底から感謝するだろう。日常的に社会に見捨てられている彼らは、MAHAOを天使のように思うかもしれないし、長いあいだ崇拝するだろう。そして気が繋がる。生命力を吸いとることができる。

キリスト教は弱者や病者の宗教だったし、創価学会員の多くが低所得者だった。彼女もそういった宗教と構造的に似たようなことをしていたのだろう。弱者を取り込むことは「効率的」なのである。

MAHAOのよく言うように、「やったことはかえる」のであれば、気前よくお布施を受け取ればよいのだ。自分がしたようなことを、他人に求めればよい。しかしそれをしない。それは危険だからだ。そのときMAHAOは立場が逆転して、「弱者」になってしまう。

彼女が求めているのは金銭ではなくて、想念である。彼女が「助けて」と叫ぶとき、彼女は金が欲しいのでも、助けて欲しいのでもない。崇め奉られたいのだ。

もっとも私は弱者から想念を奪取しようとする彼女を批判するつもりはない。彼女は生まれついての王女なのだと思っている。他者を喰らい、他者の上に立つ生まれついての権力者。そんなわけで、私は彼女がいくぶんか羨ましいし、崇拝しているのである。

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