神経症の記録

病気にかかったのはあなたの責任ではないが、現在病気を治すのはあなたの責任です。あなたが私にはできませんと言ったら、あなたは自分をのけ者にしているのです。身体がどこもこわれていないかぎり、他の普通の人ができることは何でもできるのです(アブラハム・M・ロウ)
目次
  • 神経症の病理
  • 神経症の治療の記録
  • 神経症と愛情
  • 神経症者への言葉


神経症の病理


「この苦しみはだれにも理解できない」というのが神経症の苦しみであり、その孤独感とあいまって絶望的につらい症状ではある。神経症者であればだれでも人生に絶望するような時間を味わっていることだと思う。そうして絶望に陥らせた「神経症」に執着し、そのことによって余計に神経症が悪化する。この絶望と執着のサイクルとが、神経症を泥沼化させる。

自分の苦しみは世間一般の苦しみとかけ離れていると独断し、孤独にひきこもり、他者を拒絶し、あたりまえの価値観を受け入れられなくなる。つまり、世間のひとびとが仕事や学業の困難に立ち向かい異性との関係に悩んでいるようなときに、神経症者は神経症を治そうとあらゆる努力を試みているのである。神経症者は、神経症の問題がとりあえず片付かなければ、恋愛や仕事のような「本来なすべき事柄」に真剣になれなくなると考えている。

実のところ神経症者は神経症に甘えているのであり、神経症を克服すべきだとは思っていない。ここが神経症の問題の核心部分だ。神経症者は治療をこころから熱望しているように見えるし、彼らも自分でだれよりも救いを求めていると思っている。人生を破綻させたこの病を、一刻も早くやっつけなければ。

しかし彼らは、あまりに長い時間を神経症に費やしてしまった。さらに彼らは人生の短くない間のさまざまな大問題から、目を逸らして生きねばならなかった。もちろん彼らはそれらの原因を、神経症のせいにしてきた。……まあ神経症者が人生のあらゆる失敗や不満や憎悪を神経症に向ける技術は芸術的でさえある。

そうだから、彼らがなんらかの「治療法」によって神経症を克服したとすれば、今度はそういった大問題がふりかかってくる。人間関係のこと、仕事のこと、ほったらかしにしてきた夢。

それら大問題は、けっして容易ならざる問題である。というのも、神経症はいくら複雑だろうと個人の内面的な問題でおさまるのであるが、こういった「本来の問題」というのは、ひとと関わること、社会とかかわることにあるのである。

ここまでくれば、神経症者の内的な問題面が見えてくる。単純に言ってしまえば、神経症者は社会や他人と関わることを恐れているのである。だから個人的・内面的な領域を出ない神経症に執着し、拘泥するのである。

俺の神経症は――と言う人があるだろう。俺の神経症は相手の眼が見れないという症状だ。人と対面すると赤面するというものだ。だから対人的な問題に悩んでいるのだ。そんなことはわかっている、と。

実際のところ、赤面しようが目を合わせなかろうが些末な問題だ。むろんその些末な問題に病的に執着するのが神経症というものであり、「そのせいで社会的な関係を構築できない」と対人恐怖的な神経症者は言うのであるが、何のことはない、彼ら自身が「社会的関係を自分からぶち壊したい」と願っているのである。

目の動きも、赤面も、しょせんは自分の肉体的な変化であり、「これさえよくなれば他人とうまくやっていけるのになあ」と、「自分の個人的な欠点」にのみ目を向けようとする。だから結局「他者」や「社会」といったものに背を向け、自分の問題だけ扱っていたいのである。この逃避と独断のプロセスが、神経症を持続させる基本的な原理である。

神経症者に他者は存在しないし、自分と相手の関係に目を向けることもない。彼らはそうした考えを抹殺してしまう。それは「厄介ごと」で「手に負えない」と内心では思っている。神経症者はめんどうなことを投げ出してしまう子どもなのである。神経症者は社会的な事柄から逃避してきたため、精神的に未熟だ。そうして潜在的に抱え込んでいる人生の課題は、膨大な量である。そこから動けないジレンマが、神経症者を釘付けにする。時間が経てば経つほど、余計に状況が悪くなる。神経症は地獄の苦しみだと言うが、これは事実である。

実際のところ、人生の充足感は社会や他者との関わりからしか得られない。だから神経症である以上、人生は空疎になる一方だ。

まずは自分の未熟さを自覚すること。神経症者が逃避していた間に蓄積した人生の大問題は、徐々に片付けていくしかない。足元から少しずつ、というわけであり、たとえば森田療法の作業療法が有効なのはこの理由によるのである。神経症者に必要なのは、少しずつでいいから、問題を片付けていこうという気持ちである。私はそのように考える。
(2016/8/20)


これまで私は、どれだけ自分を探ることに時間を費やしただろうか?自分、自分、自分……。さて、自分をどこに置いてきたのか……。

14歳で神経症になってから、自分はどこかへ消えてしまった。私は何を望むのか?という根本的な事柄が、もはや理解できなかった。私は身動きがとれなくなった。そうだから、私の願望は世間一般の欲望に向けられた。友人の数、セックスの回数、高い学歴、高い収入。とりあえず私は自分がそれらを求めている、と思い込み、十年間それを追い求めた。しかし私は根本的に満たされることはなかったし、あいかわらず自分が何を求めているのかよくわからなかった。

大学でほんとうによかった出会いは、楽器と、読書と、書くことに出会えたことである。これらがなければ私は内的葛藤の蓄積によって破滅していたのではないかと思う。

私の自己は分裂していた。14歳のときに、私の自己は分裂した。それまでの私は自分がひとつだけであった。それだから、私は自分が何を求めているかに確信があったし、私は多少過敏で独創的なありふれた子どもでしかなかった。――私にはまだ地面があった。

それがどういうわけか、私は「自分を封印しなければならない」という衝動にとりつかれたようだ。私は14歳以前の自然で充足していた自己を、精神の奥深くに抑圧した。それで新しい自己を手に入れる必要があった。私は新しい自己を手に入れたわけだが、それが必要だったのは、当時意地の悪い女子生徒に陰口を言われていたせいかもしれないし、両親の関係が日を追うごとに悪化していたせいかもしれない。

もっとも思春期はだれしも内的な葛藤に悩むものだろう。社会的要請と自己の願望とのコンフリクト、肉体的成熟にともなう、自分の劇的な変化になんとか折り合いをつけること……。多くの人間がこれらの仕事を達成し、まともな、成熟した人間に成長する。

神経症としての私は、自己内の矛盾を克服できなかった。それだから、14歳の自己を封印し、新しい自己を作り上げることにした。しかし新しい自己はうわべだけ取り繕った出来損ないであり、仮面でしかなく、人間のもっとも根本的な内的な感情や衝動が欠如していた。私はしかしこの出来損ないこそが自己なのだと信じていた。

14歳の自己は、27歳になるいままで、ずっと生き続けていた。その自己はずっと解放を求め、人生を自分のものとして取り戻そうとしていた。私はその声を無視しつづけていた。その間の私は、自分が何をしたいのかわからないまま、浮動して生きているよくわからない人間だった。私の10年は悲しみと絶望に彩られていたが、その理由がわからないままただ困惑し傷ついていた。「なぜ私の人生はこんなにも悲惨なのか?」、私はどうしてこうなったのかわからなかったが、なぜなら私は自分がなにをしたいのか、ずっとわからないまま生きてきたからだ。

神経症は私を悩ませ続けたが根本的な問題ではなかった。しかし私はそれを重大問題だと思い続けた。私の十年間はそのことばかり考え続けていた。なぜ私はまともではないのか?私が異常なのはなぜか?私の異常性は神経症にあるのではなかった。神経症は仮面的な自己が作りだしたスケープゴートでしかなかった。

私に欠如していたのは自分の精神だった。自己の自然な願望だった。14歳のときに置いてきた生身の自己だった。

大学の時読書に目覚め、それから心理学や宗教、哲学の本を読み漁った。なかでもニーチェに心惹かれた。それというのも、ニーチェは形式主義を批判し、大地に生きる、無意識に目を向けることを主張したからだった。それは私にとっては、14歳の自己に目を向けることだった。それこそが私に必要なことだったのだ。ニーチェは「心理学者」と自称したが、なかなか食えない奴である。また禅や神秘主義にも心惹かれた。それというのも、これらは本来の自己と向き合うことを要請するからであった。

毎日楽器をやること、芸術に触れること、日記を書くことや、読書によって、20代前半になってようやく、神経症はましになっていった。思えばあの頃から少しずつ治療が始まっていたのかもしれない。私は自分の内心を音楽や日記にぶちまけていった。もっともそれはだいぶ的外れなことがあったが、しかし必要なことだった。

だんだんに14歳の自己は底からあがってきた。遠くからささやかな声が聞こえ始めた。27歳、職場にやってきた後輩のSによって、その声は認められた。当時は気づかなかったが、いま考えてみると、S以外も私の内心の声に気づいた者はたくさんいたと思う。しかしわざわざそれを救うということをしなかった。救おうという奇特な人があったかもしれないが、それはことごとく失敗していた。

Sは私の汚泥のような心に、腕をつっこんだ。27歳の4月から8月までの4か月、おおがかりな治療だった。そうして14歳の私を引っ張りだすことに成功した。この顛末は、最近書いたことである。

私はようやく、かつて置いてきた自己と対面した。仮面としての自己と、本来の生である自己はまだ打ち解けず、気まずそうだ。14歳の自己は、憤りと苛立ちを隠せないものの、ひさしぶりの空気と明るさに喜び、私を許そうとしている。いずれは和合しなければならない。時間をかければよいと私は思う。いくらでも時間はある。
(2016/8/21)


神経症と愛情


いまになってふり返ってみると、神経症の病因は愛情不足にあるのではないかと思った。神経症の症状は雑多だが、その根底には「不安」がある。ここにいてはいけないのではないか、間違ったふるまいをしているのではないか、危害を加えられるのではないか……といった不安が、神経症者を倒錯した行為へ陥らせる。

この不安はどこからくるのか……というと、「自分は愛されるに値しない」というような感情に由来するのではないかな、と思う。たとえば、両親による愛情が限定的だった場合……。「よく言いつけを守れば」愛される、「勉強ができれば」愛される、というような、親の要求を満たせば愛情が得られる子どもだった場合……、無条件の愛が与えられる健全な家庭の子どもと比べて、「自分は正しいのだろうか」「自分は愛されるだろうか」ということに確信が持てずに、つねに自分の行為を再確認する習性がつく。

ゆえに……病的に手を洗うとか、ガスの元栓を確認するといった行為は、漠然とした不安感が、その行為に凝固されたと言ってもよいのではないかと思う。「人に嫌われたのではないか」と執着する対人恐怖症はより単純である。

ひとくちに「愛情」といっても、子どもにとって両親の愛というのは、生死にかかわる重要なものである。無力で他に頼るもののない子どもにとって、両親の愛が信頼できないことは、そのまま世界が不安定であることを意味する。愛情をそそがれた子どもは世界の認識を確固たるものにし、愛情の不十分な子どもには、世界はなにか危険なものとしてうつる。

神経症者にとって世界は不安と恐怖に満ちている。この価値観形成は、おそらく4,5歳くらいですでに達成されてしまっているのではないかと思う。こういう家庭に育って、ちいさな子どもが「俺をちゃんと愛せ」と両親に諭すことはありえないのだから、子どもが思春期を迎えるまでに、繰りかえし学習されるのだろう。神経症者は「世界は悲惨であり、恐怖と不安に満ちている」という絶望的な価値観を、くりかえし固定化される。

そうして神経症者は思春期頃から、神経症を発症する。それは本人がどう思っていようが、本人の生活を破壊する。

たぶん、ひとは学習されるもの以外に生来の感情というものがあるのだと思う。「親は無条件に子どもを愛するべきだ」という感情。もっといえば、「俺は愛されるべき存在だ」という感情がある。しかしこの感情は、生まれてからずっと否定されてきたものだ。だから、神経症者はこの内的な感情を無意識的に抑圧してしまう。

するとどうなるかと言えば、深刻な心理的な葛藤が生じる。精神のもっとも深いところで、自己が分裂しているような状態だ。その混乱が、神経症のような病的な人格を生み出す。

上記をまとめると、神経症者は幼少期に「世界は絶望的だ」ということを徹底的に学習させられる。そして思春期頃になると「世界に希望はあり、少なくとも絶望ではない」という内的感情が湧きでてくる。すると、世界認識そのものにゆがみが生じる。このぐらつきが、神経症の発症としてあらわれる。

たぶんこのあとには、神経症の克服がなされなければならないのだと思う。つまり、「世界に希望はある」という認識に確信を持つことである。

神経症の克服がたいへんむずかしいのは、世界認識、根本的な価値観をすべてくつがえす必要があるからである。いままで学習させられてきたことを捨て去って、より現実的な世界を認識しなければならない。

これを例えれば、「あなたが普段生活している世界はすべて仮想現実です。あなたはカプセルのなかで眠っていて、夢を見させられている」と言われて、それを信じられるか、というのと同じくらい難しい。いやそこまで難しくないかもしれないが、それと似たような状態に神経症者は置かれている。

「世界は危険に満ちている」「私は愛されない」という認識から、「私はそのままで、愛される」「世界は信頼に足る」という認識に移行することは、ふつうにはできることではない。一種の悟りに似た、膜をやぶるような経験が必要である。

私は患者を入院させ、えんえんと「草むしり」をさせる森田療法が、たしかに有効だと思う。これはたとえば、禅僧が弟子入りすると、何年間も掃除や使いなどの雑用をさせられることと似ている。これは都合良く使われているのではなく、精神修養のひとつなのである。

また、草むしりによって草や土に触れることは、現実認識を確固にする効果があるのではないかと思う。神経症者の世界認識は、基盤を失っているようなところがあるから、地面に触れるということは暗喩的な効果があるのではないかと思う。

話を戻そう。神経症者は愛情が欠乏している。ゆえにつねに深刻な不安をかかえて生活している。この治療にはより現実的な世界認識を持つことが必要である。あとは、両親や家庭が異常ではなかったかどうか、今一度ふり返る必要があるのではないかと思う。

(2016/10/11)

神経症者への言葉


他人のせいで失敗したのであり、そのゆえに責任をまぬがれているというのが、神経症患者の人生計画の絶対的な要請である。不適応のいっさいの形態は、責任を回避しようとする企てである。(A・アドラー)

神経症を治すためには、患者がどれほどたくさん精神分析の本を読み、理論をどれほどよく知り、自分の神経症の原因、構造を理論的にどれほど正確に理解しても、それだけではダメであって、分析者と患者とのあいだにラポールが成立し、患者が転移を起こし、その転移を分析者が分析し、それを患者が理解することが必要不可欠であると言われる。転移において初めて患者は、かつて親に対して体験した思いや感情を今まざまざと再体験し、自分の過去の親子関係が現実にどうであったかを実感として把握することができるのである。(「唯幻論物語」岸田秀)
精神分析学的治療の主要目的は「失われた部分を自我にもどし、統合を増大する」ことである。それまで無意識だったものに対する意識は、幸福を増大しはしないが、全体性と健康を回復するために固守される。精神分析学の目的は、かならずしも人間を幸福にすることではなく、つねに神経症的苦しみを現実主義的評価と置き換えることだったのである。(「創造のダイナミクス」アンソニー・ストー)

私たちは抑圧に失敗したために神経症になるのでもなければ、棄却に失敗したために精神病になるとだけは言い切れない。その正反対に、これらが成功しすぎたために、つまりは強すぎる抑圧によって自我を防衛し、深層意識にあるさまざまな欲望が日常の表層意識に回帰不能となったために、さらには深層意識の核となるはずだった原初的イメージをも棄却・排除してしまったために狂気に陥るとも言えるのではないだろうか。(「言葉・狂気・エロス」丸山圭三郎)
そんな「逆立ちした世界」なんて消え失せてしまえ!(「道徳の系譜」ニーチェ)

「アウトサイダー」は何よりもまず「アウトサイダー」たることをやめたがっている。といって、「アウトサイダー」をやめてあたりまえのブルジョワになりはてることはできぬ。いかに前進するかが、彼の問題でなければならぬ。ロレンス、ヴァン・ゴッホ、ニジンスキー、彼らはみな後退した。三人とも敗北したのである。
もうこれ以上ためらうことなしに「アウトサイダー」は自覚すべきだ――わたしが他の人と違うのは、もっと偉大なものに運命づけられているからだ、と。そしてまた、詩人たるべく、あるいは予言者ないしは世直しの人たるべく運命づけられたものとして自分を考えよ。そうすれば、「アウトサイダー」の問題は半分まで、解決されたことになる。(「アウトサイダー」コリン・ウィルソン)

「私が見知らぬ場所で、何人かの見知らぬ人、あるいは私がそう思う人と一緒にいるとき、部屋全体が胸を圧迫して、私は動くことでさえできなくなる。そして、私の人格そのものが彼らをいらいらさせているように思われて、全てが絶望的になる(カフカ)」……狂気に近い精神状態である。書斎机、解体する危険をはらむ精神をひとまとめにして維持することができる想像力、完全無欠の知性、この三つがかろうじて彼を狂気から引き離す。(「孤独」アンソニー・ストー)

冷たいネオンの光に照らされた、一見、完全な意識と理性の領域へ通じる道があります。しかしこの領域を通り過ぎた者は、ふたたび自然の支配する土地、ふたたび暖かい領域、ふたたび素朴と愛の領域に戻ります。この冷たい領域から逃避することによってではなく、この領域を超克することによって、それらのものに到達することができるのです。これらのものはまた、手に入れても失われることがあるでしょう。そしてまた手に入れることができるでしょう。(ヘルマン・ヘッセ)

神経症的人間とは、自己のための闘いにけっして完全に屈服しない人間であるということもできよう。(「自由からの逃亡」E・フロム)


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